「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション、著作権フリー)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


手紙38 時のない場所(1)

 私がこれまでに君に話したことから、魂が空気のような境界を越えたあとで、すべてが天国か地獄のどちらかに行くわけではないことは理解したと思う。極限までゆけるのはごく少数で、ほとんどの者は、自分のおかれた状況の可能性や重要性には気づかず、地上で過ごしたときのようにこちらでも一時期を過ごすことになる。

 知恵はすぐには成長しない樹木なのだ。幹の断面にある年輪は地上での人生を示し、年輪のあいだは人生と人生のあいだの時期にあたる。どんぐりが樫の木になるのに時間がかかるといって嘆くだろうか? 私は、魂の偉大な余暇という真実を君に理解させたいと願っているが、その真実が必然的に悲しいものだと思うのも、やはり哲学的態度ではない。もし人間がたった数年で大天使になるのなら、成長のための痛みにひどく苦しまねばならない。自然の法則は無情なものだが、ときには親切に見えることがある。

 とはいえ、天国にはたくさんの魂いて、私が見たいくつかの天国のほかにも、たくさんの天国がある。

 だが、大部分の者が私のようにある場所からある場所へ、そしてある状態からある状態へと移動できるのかといえば、そうではない。私がきみに説明していることは例外的なものではないが、ひとりの人間がこれだけ多くのことを見聞し、説明できるというのは、例外的なことだ。それは師のおかげによるところが大きい。師の導きがなかったら、こんなに豊かな経験をすることはできなかっただろう。

 そう、天国はたしかにたくさんある。私は昨夜、地上にいたときにとしばし感じたような、美へのあこがを感じた。霊界における最も不思議な現象のひとつは、このエーテルの世界では共感の力が途方もない引力を生むことだ――引力とは、できごとを引き寄せる力のことだ。あるものを激しく求めると、もうそれに近づいている。羽根のように軽い体は、自由意志のプロペラによって素早く動くのだ。