「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション、著作権フリー)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


手紙38 時のない場所(2)


 私は、美への、それは天国と同義語なのだが、あこがれにかられた。私がは実際に自分で動いて天国へ行ったのだろうか、それとも天国の方が私のところに来たのだろうか? どちらかはわからない。空間はここではほとんど意味を持たない。なぜなら、ベールの外側の世界とは内部の世界でもあるからだ。ある場所を望めば、もうそこに行っている。たぶん師ならこの現象を科学的に説明してくれるだろうが、私にはまだ説明できない。では、昨夜訪ねた天国の話をしよう。それは非常に美しい場所で、私はいまもその魅力に浸っているほどだ。

 私が長い道を歩んでゆくと、糸杉のような黒い木が二列に並んでいるのが見え、そこは柔らかな光に照らされていた。千の太陽に照らされる天国の話をどこかで読んだことがあるが、私の天国はそれとは違っていた。近づいくと、その光は月光より柔らかく、それでいて月光より澄んでいた。何枚もの雪花石膏のベールを通した太陽の光なら、こんな感じの光になるかもしれない。しかし、その光がどこからきているかはわからない。光はただ、存在していた。

 さらに進んで行くと、二人の人が手を取り合ってやって来るのが見えた。二人の顔には、地上では決して見られない幸福感に満ちた表情が浮かんでいた。こんな表情は、時間を意識しない霊だけが浮かべることができる。

 その二人は、男女だったが、君が考える男女の姿とまるで違っていた。彼らは、歩きながら互いに見つめ合ったりしない。つないだ手が二人をまるでひとりにしていたので、目で確認する必要もないくらいに彼らは満ち足りていたのだ。どこから来たかわからないあの光のように、二人はただ、存在していた。

 少し先では、明るい色のローブを着た子供が数人、花々のなかで踊っていた。手をつないで輪になって踊っていて、四肢のリズムに合わせてロープが花びらのように揺れていた。私の心は歓喜に満ちあふれた。あの子供たちも、時間を意識してはいないので、きっと、永遠の昔から踊り続けているにちがいない。しかし、その喜びが一瞬のものであろうと、永遠の昔からのものであろうと、私にも彼らにも問題ではない。あの光や、手をつないで私の横を通り過ぎた恋人たちのように、彼らはただそこに存在しており、それで十分なのだ。