MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 11 - 出羽の国 紺野家②(2020年11月13日/1日め)

2020年11月13日 「出羽の国 紺野家」で。二階部分は、古民具展示処となっていました(群馬県吾妻郡東吾妻町)


11月13日


「出羽の国 紺野家」に来ています。


【出羽の国 紺野家(合掌入母屋造り切妻屋根天窓付】
安永時代(1772~1779年)から九代続く旧家です。もとは、山形県米沢市の北、最上川中流の小高い台地にありました。出羽の国米沢藩主で藩政改革を進めた名君・上杉鷹山を慕って庄屋となり、戦後農地解放するまで、大地主でした。3キロほど離れた最上川まで、人の土地を踏まずに行けたそうです。かやぶきの郷に移築してきた家屋は、七代当主の久五右衛門が、明治時代初期に建て替えたものです。樹齢数百年のモミの大木4本に囲まれるようにして母屋が立ち、漆喰の白川土蔵や茅葺き小屋がいくつも連なっているさまは、出羽丘陵の山並の中で際立っていたそうです。


出羽の国 紺野家

茅葺き屋根を保護しているガルバリウム鋼板を外すと、外観はこうなります。(画像をお借りしました。)

真ん中の吹き抜け部分は、一階から三階まで続きます。その空間を、美しい照明が彩ります。


さて、階段を上がって、
二階に行ってみましょう。



二階と三階は、往時は蚕室でした。
いつも十人近い使用人が働いていたのを、
九代目の紺野陽一氏が記憶しているそうです。


二階に上がってすぐのところにあるスペース。ここは、使用人たちが使っていたのかもしれません。

そして、吹き抜け部分を囲むようにめぐらされた回廊には、古い箪笥や古民具が並べられています。現在の二階は、「古民具展示処」と名づけられていました。

「此方に展示してある『古民具』は、神奈川県横須賀市の鈴木真人様の御好意により、多くの方にご覧頂きたいというご意向で、ご寄贈頂いたものです。」と書いてありました。

たくさんの瓶が並んでいるだけなのに、美しいですね。茅葺き屋根の内側が見えているのも、すてきです。^^

こちらも、味わいがあります。

器類もこのとおり。並べた方のセンスのよさがうかがえます。^^

まるでラケットのようなザル。壁にかかっていました。


ところで。
一階の玄関奥に、囲炉裏があることを、
前回、ご紹介しましたが…。


一階の囲炉裏です。


その囲炉裏の真上にあたる部分が、
二階では、こうなっています。


風の道(煙突)です。


「出羽の国 紺野家」では、
一階の囲炉裏の煙が抜けるように、
その真上に、
風の道(煙突)がつくられていました。
その換気効率はかなりよかったようで、
夏でも、一階の広間で寝ると
体が冷えるほどだとか…。


「昔の日本人はすごい。」と、
現在の大工さんたちも、
その智恵に驚くそうです。


風の道(煙突)にかけられていた、宮城県・「鹿子躍(ししおどり)」の人形です。江戸時代、狩猟した鹿や亡くなった人などの霊を慰めるために生まれたそうです。


三階部分には上がれないようになっていました。
ちょっとのぞいてみたら、
たくさんの物がしまわれているような…。
展示しきれない物の、
保管場所になっているのかもしれませんね。^^


「出羽の国 紺野家」を出て、
次の場所に向かうべく、
枕木街道の階段を降りました。
階段の下から、後ろを振り返ってみると…、


美しい家屋が並んでいました。左側は「出羽の国 紺野家」で、右側が、甘味処「蔵戸」です。ここからだと、二棟がちょうどいい感じで、並んで見えるんですね。^^

そして、枕木街道のつきあたりに見えるのが、本陣です。背景の山々を背負って、すばらしい眺めです。ようやくここまで来ました。これが、「旅籠」。つまり、なんとホテルなのです。


このまま、
本陣の中に入りたいところなのですが、
いやいや、そうはいきません。
本陣の向かいに、
まだもう一軒、あるのです。


濱田邸


濱田邸です。
益子焼で有名な栃木県益子町より、
二年の歳月をかけ、移築したそうです。


これ一軒に、二年ですよ…。
かやぶきの郷の、
すべての家屋を移築するために、いったい、
何年の月日がかかったのでしょうか…。


次回は、益子町 濱田邸を
ご紹介いたします。


(つづく)

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