MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 148 - お菓子ちょうだい(2019年10月20日/50日め)

2019年10月20日 バックハーのサンデーマーケットで。


10月20日


農産物市場をウロウロしているときに、
花モン族の、かわいい女の子に会いました。


1歳半くらいでしょうか。なんちゃって衣装をひらひらさせて、かわいいったらありません。^^

おかあさんそっくり!^^

「こんにちは」と話しかけると、怖がらないで、こちらを見てくれました。


あまりにかわいかったので、
つい、持っていた「えびせん」を
あげたくなってしまいました。


私が直接あげると、怖がるといけないので、
「えびせん」を隣りにいた女性に渡し、身振りで、
「この女の子にあげてください。」
と伝えました。


女性が女の子に、「えびせん」をあげてくれました。でも、それが食べ物であるとわからなかったようで、女の子はきょとんとしています。それがまたかわいい。^^

「じゃあ、またね。バイバイ。^^」 女の子は、小さな手に「えびせん」を握りしめたままでした。このあと、食べてくれたかな…。^^


その場を離れたとたん、
長女に叱られました。


「おかあさん、
 お菓子をあげちゃだめ、って、
 いつも言ってたくせに。」

と。


そうなんです。
10年前、子どもたちといっしょに、
海外を歩くようになってから、
私は長女に何度か、
「外国では、子どもにお菓子をあげてはだめよ。」
と言いきかせてきました。
なのに、どうしてあげるの?と、
長女は怒っていたわけです。


私が長女にそう言い続けていたのは、
若いころに見た光景が、
いつまでも忘れられないからです。


38年も前になりますが、私は、
南米をバックパックで旅行したことがあり、
そのときに、チチカカ湖にも行きました。
湖の中には、浮島があり、
そこに住むウル族の集落を訪ねるためには、
小舟に乗って行かなければなりません。


私たちが乗った小舟が、浮島に着くやいなや、
まちかまえていた、10人くらいの子供たちが、
駆け寄ってきました。
そして口々に、
「ドゥルセ! ドゥルセ!
 (お菓子! お菓子ちょうだい!)」
とせがむのです。


その気迫に閉口し、私たちの誰も、
お菓子をあげることはありませんでした。
結局、一時間後、島を離れるときまで、
子どもたちは私たちにまとわりつき、
ずっと、お菓子をせがみ続けたのです。


あのときの、子どもたちの、
「ドゥルセ! ドゥルセ!」
という声を、私は、
38年たった今も、忘れることができません。


誰が、子どもたちをこんなふうにしてしまったのだ、
と、腹立たしい気持ちもありました。
でも、子どもたちにこんなことを教えてしまったのは、
私たち観光客なのです。


はじめに誰かが、
軽い気持ちでお菓子をあげたことが、
何度も繰り返されていくうちに、
結局、子どもたちの中で
「当然のこと」となってしまったのでしょう。


日本でも、戦後、こどもたちが米兵に、
「ギブミーチョコレート」
と言う時代がありました。
それは良いことであったとは言えませんが、
ほんの一時期のことでした。


けれど、ウル族の子どもたちは、
幼いころから大人になるまで、
ずっと、このような環境で成長していくのです。


私たちが安易にお菓子を与えることで、
子どもたちは、
「観光客からモノをもらうのはあたりまえ」
と思って、育っていくのではないでしょうか。
いえ、すでにそうなってしまっている子どもたちに
会ってしまったのです。


当時、私はまだ学生で、
社会人の経験もない、若輩者でした。
それでも、観光客にお菓子をせがみ続ける子どもたちに、
暗澹たる気持ちになりました。
そして、私たち観光客が、
現地の子供に与えかねない負の影響や、
ただ旅行するだけであっても、
自覚しなければならない責任の重さを、
考えるようになりました…。


そんな経験があったので、長女には、
「外国で子どもにお菓子をあげてはだめよ。」
と言い続けたわけです。


なのに、花モン族の子どもに、
「えびせん」をあげてしまった(汗)。
話が違うじゃないか、と、
怒る長女(苦笑)。


それはね…。
説明がむずかしいな…。


「どう思う?」
と、夫を見ると、夫は、
「いや、別に、これでいいと思うよ。」と…。


そのときには、長女に対して、
うまく言葉にできなかったのですが、
今なら、説明できます。
つまり、あの女の子は小さすぎて、
「外国人からお菓子をもらったこと」
を、理解していない。
だから、それを学習して、
自分からお菓子をせがむことにはつながらない。
…ということです。


ああ、でも、むずかしいですね。
「かわいいからあげたい」と思っても、
それは時として、
「めぐむ」ことにつながってしまう。
私自身も、その時々で判断するしかない、
とも思います。


長女よ。わかりにくくて、ごめん。
あとは自分で、旅行しながら、学んでくれ。
おかあさんも、あなたの年の頃に、
そうしてきたのだから。笑


マイペースの母と、今ひとつ納得がいかない長女。


怒涛のサンデーマーケットを後にし、
次回は、お土産物市場に向かいます。


(つづく)


(おまけ)
掲載しきれなかった写真です。


少数民族フェチの夫によると、30年前、
花モン族について調べていたころは、
誰もが、オレンジ系の衣装を着ていたそうです。
つまり、こんな感じですね。


子豚クンを袋に入れて売る女性。


けれど、今回、私たちが見た衣装では、
ブルー系が主流となっていました。
30年もあれば、
民族衣装の色まで変わってしまう、
ということでしょうか。
はやりすたれもあるでしょうし、
村が変われば、同じ花モン族であっても、
衣装は少しずつ変わってくるそうです。


ブルー系の衣装。

で、結局は、こうなるみたいです。左から、義母、次女、妻、長女、三女、夫(または義父?)、そして長男。義母と妻は正統派花モン族の衣装ですが、長女は「なんちゃって衣装」。この長女も同じ民族衣装を着ていたら、さぞかしすてきな光景になるだろうに、と思います。

家畜市場で。

真ん中の少女なんて、「なんちゃって衣装」に網タイツにスニーカーで、スマホ見てます。泣

売りながら、楽しそうに談笑していたのに…、

お客と価格交渉が始まったら、みんなキビシイ表情。このコントラストがたまりません。爆

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