「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

大河ドラマ 「西郷どん」第40話 権力とお金(感想)

今回の「西郷どん40話」では、ついに吉之助(西郷隆盛)が一蔵(大久保利通)がいる東京へ行き、新政府に参加することになりました。

一蔵や岩倉様、桂さんなど、吉之助と親しい人たちが日本の政治を行っていましたが、みな、昔とは少し違う様子でした。

新政府の財政が厳しいと言いながら、自分たちは豪華な屋敷で暮らし贅沢な食事を楽しんでいます。
岩倉様のように派手に遊んで「昔のようなひもじい思いをするのはいやだ」と感じている人もいるようでした。

対する吉之助は食事の時はにぎりめしを持参し、住む場所も東京で暮らす民と変わらないような場所(長屋)で暮らしていました。

新政府のみんなは「財政が厳しい」と口々にいうのですが、自分たちが少しでも倹約しようという気持ちはありません。
吉之助が「財政が厳しいなら、自分たちが倹約すればいい」と言うと、新政府の人たちは何も言わなくなります。
逆に、新政府の人たちは「吉之助とはやりにくい」という始末で、完全に権力やお金の力に飲み込まれているようでした。
(今の時代も根本的には変わってませんね 笑)

やはり時代は変わっても、権力やお金といった「欲」に人間は勝てないようです。

でも吉之助はその「欲」に勝つことのできる数少ない人間の1人でした。

ではなぜ吉之助は「欲」に勝つことができるのか?それは吉之助の言動に表われているような気がします。

「民のために」。「戊辰戦争で失った命のために」。

このように他人の気持ちを考えることのできる、強い想いを持って生きることのできる人だからだと思います。

吉之助だって豪華な料理や美味しそうな料理を見れば食べたいと思うでしょうし、みんながきれいな家に住めるならそうなったほうがいいと思っているはずです。

でも吉之助がそうしないのは、苦しんでいる人たち、未来の日本のために命を失った人たちの想いを背負っていかなければという想いが強いからです。
自分のことよりも、他人を気持ちを優先させようと思える気持ちが強いからだと思います。

もちろん新政府の人たちも他人を思う気持ちがないわけではありません。
日本のために。という想いを持った人たちばかりだと思います。

でもその想いよりも、権力やお金を欲する気持ちのほうが強くなってしまうからこそ、豪華な食事などの贅沢な暮らしをやめることができないんだと思います。

逆に吉之助の場合は権力やお金を欲する気持ちよりも、「民のために」、「戊辰戦争で失った命のために」という想いのほうが強いからこそ、「倹約すればいいじゃないか。」という気持ちになれるんだと思います。

私たち人間というのは、想いが強ければ強いほど、その想いをもとに行動を起こしてしまうような気がしています。
良くも悪くも、自分の想いのままに行動してしまいます。

吉之助のように「民のために」、「戊辰戦争で失った命のために」という想いが強ければ、権力やお金に対しての思いはちいさくなるので、「贅沢ばかりしていては、申し訳ない。」と当たり前のように感じるでしょうし。

逆に、新政府の人たちのように「民のために」、「戊辰戦争で失った命のために」という想いが弱ければ、権力や贅沢できるお金が手元にあるぶん、そういったものを求める思いが普通の人よりも大きくなってしまうでしょうし。

私たち人間というのは、吉之助のように何か強い想いを持っていないと、すぐに権力やお金といったものに気持ちが負けてしまいます。
特に権力やお金が大きければ大きいほど。

だからこそ、吉之助のように本当に大事なことを感じられる「心」、他人を想うことのできる「心」、そういった「人として大切な心」を強く持てるように成長することが大事なことだなと感じます。

その強い想いがあれば、権力やお金に負けずに、吉之助のような正しい判断ができる人になれるはずです。

偉そうに書いてきましたが、私ならほぼ間違いなく新政府の人たちのように「欲」に目がくらんでいまいそうなので、強い想いを持つことができないうちは、そういった「欲」に近づかないようにしたいと思います(笑)

ただ現実的に考えると、残念ながら大きな権力やお金を持つ機会が人生の中で訪れることはないと思いますので、その点では安心ですが(涙)

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