絶対安心 | Pure Enlightenment -本質的な覚醒-

Pure Enlightenment -本質的な覚醒-

『本質的に生きること』
__人間の究極のテーマでもある『本質的な生き方』と『本質としての覚醒(悟り)』について、ここではその初級編を気の向くままに綴っています。

絶対安心というのは、

本質的な覚醒を得た瞬間から

私の中に存在するようになった

絶対的な安らぎの状態です。

それは一切のコントロールや操作や作為のない状態の中で

私の意図や意識とは無関係に自然発生し、

今も不動の状態で存在しています。

 

 

 

 

絶対安心の領域には

エネルギーが存在しない

マインドが存在しない

感情も思考も存在しない

主体も客体も存在しない

至福や恍惚感もない

意識が存在しない

そこに在るのは静寂さと絶対的な安らぎです。

 

 

 

 

 

絶対安心矢印無我、

マインドや意識矢印自我

その両方は相対的に見れば相反しますが、

無我は相対の領域を超えています。

 

 

 

 

 

覚醒とは大悟徹底した状態である

と捉えている人もいるようですが、

大悟徹底した状態に至るというのは

煩悩そのものが滅却したマインドのない

無我の状態が徹底して起きている

ということなので、

私という個の意識さえ消えて

絶対安心という空の純粋経験そのものとして

在り続けることであり、

生きるという執着さえ消えてしまう感じがします。

覚醒をこの大悟徹底と捉えている人もいるかもしれませんが、

それは空の体験としては成立しても

(私も空の純粋経験はしています)

マインドのない状態で生き続けるということは

この世界では不可能だともいえます。

そう捉えると、私が絶対安心そのものになり、

全き無我の状態で生き続けるというのは

今の段階では想像はできていません。

 

 

 

 

 

 

友人から、なんでその中(絶対安心)に

入ってみないの?と質問されたことがありました。

潜在意識に入るとかエネルギーの中に入る

といった感覚で質問したのだと思いますが、

エネルギーの領域にはマインドが介入できますが、

純粋領域にはマインドが介入できないので

そのような操作ができません。

ただ、操作はできないけれど

存在しているのには違いなく、

操作しなくても自然に絶対安心の領域が

私の中の割合として覚醒時より増えてきています。

 

 

 

 

 

私の状態がいつかは絶対安心そのものに

なる時も来るかもしれませんが、

そうなってもならなくても、

絶対安心という状態が自分の中で、

どんな時も存在している恩寵にあることで、

私は絶対安心の状態から全ての本質を

感じ取ることができています。