秦野、二宮、大磯、中井にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

船員を観音崎に慰霊する

2019-01-22 00:50:42 | 日記
心やさしき行幸なるかな

両陛下、戦没船員を慰霊 
横須賀・観音崎で献花
1/21(月) カナロコ



慰霊碑に供花される天皇、皇后両陛下
=横須賀市の観音崎公園(代表撮影)

天皇、皇后両陛下は21日、神奈川県立観音崎公園(横須賀
市鴨居)を訪ね、第2次世界大戦で犠牲になった民間船員ら
約6万人を奉安している「戦没船員の碑」に供花された。

同日から25日まで葉山御用邸(葉山町)での静養前に立ち
寄られた。両陛下は遺族らの出迎えを受けた後、碑前の献花
台に白菊の花束を手向け、深く拝礼した。

大戦の犠牲者への慰霊は4月30日に退位する陛下が在位中、
最も心を砕いてきた務めの一つ。顕彰会によると、両陛下が
公園を訪問したのは、皇太子時代の第1回追悼式(1971年)に
出席以来、8回目を数えた。

公園到着後、陛下は皇后さまとともに歩を進め、出迎えた
一人一人に言葉を掛けられた。1943年11月に貨物船
の機関長だった父を亡くした遺族代表の後藤美津子さん
(86)=横浜市泉区=には、皇后陛下が「どなたが亡く
なられましたか」と尋ねた。後藤さんが「父です」と答え
ると、2人で深々と頭を下げ、「ご苦労なさいましたね。
お体を大切になさってください」と声を掛けられた。




後藤さんは「退位前のお忙しい時期にもかかわらず、足を
運んでいただき、御(み)心をお寄せいただき、本当にあ
りがたく思っています」と感謝の言葉を述べ、妹の今田
小夜子さん(78)=埼玉県川口市=は父の写真を持って
列席し、「皇后さまが足を止めて一礼してくださった。
心から戦没者のことを思ってくださっていると感じました」
と語った。

43年4月に旅客船の機関士だった父を亡くした小浜富子
さん(76)=横須賀市桜が丘=は「退位されたらゆっく
り過ごしていただきたいと思う」と気遣った。


箱根初Vの東海大が優勝パレード 
26日に平塚市内で
1/21(月) スポーツ報知



初優勝した東海大

第95回箱根駅伝(1月2、3日)で初優勝を遂げた東海大
は21日、神奈川・平塚市内で優勝パレードを行うこと発表
した。18日には同市中心部で優勝報告会を開催することが
発表されていた。

Vメンバー10人と両角速(もろずみ・はやし)監督はオー
プンカーに乗車してパレードに参加。26日午後1時から
平塚市スターモール(銀座通り)を、東横イン湘南平塚北口
前よりひらつか市民プラザ前までの450メートルで行わ
れる。終了次第、平塚見附広場へ移動し、報告会も開催さ
れる。




コース沿道の一部の平塚市にキャンパスを構える東海大に
とって箱根駅伝制覇は悲願だった。平塚―戸塚間を走る復路
8区で小松陽平(3年)が最古となる区間記録を22年ぶり
に更新する快走で初めて首位に立ち、優勝を大きく引き寄
せた。「力強いご声援をお送りいただいた地域の皆さまに
改めて選手・監督から感謝の意を表するとともに、優勝の
喜びを皆さまと分かち合いたい」と東海大は応援を感謝す
ると同時に多くのファンの来場を呼びかけた。

京急が開業120周年!
「0キロポスト」大師線に設置、養老鉄道もお祝い
1/21(月) 乗りものニュース

京急川崎駅にモニュメント設置







京急電鉄が2019年1月21日(月)、開業120周年の記念式典を
京急川崎駅(川崎市川崎区)の大師線ホームで開催。記念モニュ
メントの除幕式などを行いました。

線路脇に設置された「0キロポスト」

京急が開業120周年! 「0キロポスト」大師線に設置、養老
鉄道もお祝い

京急電鉄の開業120周年記念式典(2019年1月21日、草町義和撮影)。

記念モニュメントは、鉄道路線の距離の示す標識のうち、起点
に設置される標識(0キロポスト)を模したものです。モニュ
メントを覆っていた幕が取り除かれると、「0」を表現した大き
な円と、大師線が開業したころの電車の写真をあしらった板を
組み合わせた大きな構造物が姿を現し、線路の脇に設置されま
した。

式典には京急電鉄の原田一之社長や16駅の駅長のほか、創業者
のひ孫である立川元彦さん、岐阜県と三重県にまたがる養老線
を運営している養老鉄道(2代目)の原 恭社長も招かれました。
東海地方の私鉄社長が招かれたのは、京急線と養老線の創業者
が同じという縁があるためです。

京急電鉄は1898(明治31)年2月25日、実業家の立川勇次郎が
設立した大師電気鉄道を起源に持つ私鉄。翌年の1899(明治32)
年1月21日には、現在の大師線の一部が大師電気鉄道の手により
開業しました。今回、大師線で式典が行われたのはそのためです。




一方、養老線を最初に運営していたのも、立川勇次郎が社長を
務めた養老鉄道(初代)でした。同線は1913(大正2)年から
1919(大正8)年4月27日にかけて全通しましたが、その後は合併
や分離、譲渡を繰り返して運営会社が幾度となく代わり、戦後
は長らく近鉄が運営していました。2007(平成19)年からは現
在の養老鉄道(2代目)が列車を運行。2019年4月27日には全通
100周年を迎えます。

京急と養老鉄道は2019年1月21日(月)から8月16日(金)まで、
「京急と養老をつなぐキャンペーン」を開催。スタンプラリー
や記念ヘッドマークの掲出など、互いの縁を深める企画が行わ
れる予定です。

他の鉄道会社では

時代と共に電車の色が変わってきている

が、京急は100年以上も赤を基本と

する姿勢を貫いている所も凄いと思う。

40年前の中学生時代は

三浦半島へハイキングや

海水浴の時に乗る電車。

それが今や羽田へのメインアクセスに

なるとは夢にも思わなかった

JRとの並走区間で快特が踊り子を

追い抜くのが快感ですな。

本当に京急は限られた

キャパシティで最大限の努力をしてますね

これからも応援します

昭和40年代後半、終夜運転での

京成成田行き成田山初詣臨時特急や

三浦海岸行きの初日の出臨時特急を

ロングランで乗ったのが懐かしい。

現代では無理でしょうが、

こういった臨時列車の復活を

希望致します。




京急と言えば駅の電光掲示板に

不快な文字まだ表示してるのかな

外国語を併記するなら

英語だけでよい

くれぐれも友好国でない国の

文字を使ってまで電光板案内しないで

ほしい。英語と日本語だけで

すっきりとなる。

民主党政権時代の負の遺産ただ

町娘や新撰組に忍者 
子どもたちが着物姿で正月遊び 川崎
1/21(月) カナロコ



着物姿でけん玉を楽しむ子どもたち
=東海道かわさき宿交流館

着物姿で羽根突きやけん玉などを楽しむイベント「お正月
を遊ぼう!」が19日、川崎市川崎区本町の東海道かわさ
き宿交流館で開かれ、多くの子どもたちや外国人留学生ら
が「日本の正月」を楽しんだ。

同館やNPOきもの文化・歴史風俗研究会などでつくる実行
委員会(斎藤文夫委員長)の主催で初めて開催。町娘や
新撰組、忍者、はかまなどに着替えた子どもや留学生は
三味線を習ったり、かるたや福笑い、扇子を的に投げる
投扇興(とうせんきょう)やすごろく、人力車体験をする
など正月遊びを堪能していた。

参加した市立中原小の6年生(12)は「着物で動きづら
かったけど、羽子板やけん玉などができ、楽しかった」と
笑顔。同研究会の尾崎弘子会長は「平成最後の正月に子ど
もたちや外国の方に、江戸時代からある日本の正月遊びや
文化を体験してもらえた。今後も何かの形で続けていけ
れば」と話していた。




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