長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

断捨離のワルツ

2020年05月10日 11時30分00秒 | 近況
 平成三十年に心不全で急逝した父の遺品整理の凄まじさを知っているので、この機を天佑と捉え、断捨離作業に没頭しようかと思ったが、なかなか捗らない。
 本、CD類(レコードは10年前に殆ど処分してしまった。手許に残ったのは、処分するに足る物ではないと特に大切にしていなかったものが、偶々適当な場所に置いてあったので、一括大処断の網を逃れ、何の未練も無いものだったりするのが忌々しい)などを、処分するために分類する作業で(つまりお料理のまだまだ下ごしらえの段階なんですけれどもね…)、茫然としてやる気をなくした。
 つまり、山頭火風に言えば……分け入っても分け入っても、断捨離の山。

 …そうだ、管理会社から毎月配布されるリビング誌に、片付け(大掃除)の極意特集があったのを取っておいたのだった。
(実を言えばその雑誌を取っておいたことすら忘れていて、今回の断捨離作業着手の途中で、書類の山から発掘したのである)

 心得特集の、箇条書き心得その1、片付けるものの中身を見ない…そうか! そうだそうだ、それでいつも片づけ転じて回想の…追憶の時間になってしまったのだ、クワバラクワバラ。
 しかし、職業上の必要性から、古典籍・歴史資料や音楽関連を分別せずして捨てるわけにもいかない。
 更衣えの時季でもあったので、そうだ、洋服を片付けよう、と気がついた。

 この三十数年来捨てられない、日本が世界に冠たる経済大国だったあの昭和の終わり頃の、オーダーメイドでない、単なるレディメイドの吊るし、出来合いの服であるのに、生地がしっかりしていて、仕立ても丁寧だし、裏地だって…昔、お裁縫の時間で習ったように、三つ折りで、きちんとまつり縫いしてある。ミシンの糸だってほつれないように、きちんと片側に出して始末している。
  すべからく丁寧で完璧だ。
 20世紀の我々は世界で一番ハイレベルな基準値…鑑識眼、審美眼、自らの仕事に対する責任感と誇りを持っていたんだと思う。
 縫製技術もそうだが、まず、品質が違う。生地を組織する繊維自体が、今市場に流通しているペナペナで1シーズン着用するとへたれてしまう軟弱な素材とは、次元を異にする手触りと張りのある強靭さがあった。


*愛機リッカーマイティで縫製途中のまま放ったらかしにされた、ワンピースの切れ端まで発掘…
生地の耳に“カネボウ print 1981”とある

 今はとんと見かけないが、1970年代から80年代半ばにかけて、オシャレのかなめはトラッドだった。私が大学生になったあたりから、ニュートラとかハマトラとか、バリエーションが進化し、やがてイタリアブランドのスーツがバブル期を席捲するようになるのだが、トラッドといえばブリティシュで決まりだった。19世紀末のイギリス紳士の格好をしたくて、憧れが高じた挙句、私は男に生まれなかったことを酷く悔やんだ。
 …某ブランドの、茶の杉綾ツイードの共布カフス付のワンピース(これは前世紀に懇意にして下さったが今は泉下にいらっしゃる菊五郎劇団音楽部の唄方の先生と銀座で忘年会をしたとき着ていたもの)とか、コロニアル調ジャングル味シダ植物柄のベスト&スカート(これは道路拡張工事による立ち退きで最後となった、浅草にあった旧友のご実家のビル屋上での隅田川花火大会鑑賞会に着て行ったもの)とか、テーラード衿にステッチを入れた茶の細身のパンツスーツ(20世紀の終わりに池袋演芸場の二階の喫茶店でとある噺家さんと待ち合わせをしたときの出立ち)とか…

 もう絶対着ない、物理的理由からも着られない青春の脱け殻を、何度ため息混じりに箪笥から出し入れして来たことだろう。
 一般庶民が高品質の衣料を、日常的に手にすることができた時代への追慕、そして、時と場所を共有した方々との想い出。二度と手にすることがかなわぬ品物も惜しいが、付随する記憶が捨てられないのである。



  片付けの心得何か条かの一、過去の自分に対する執着を棄てよ。

 金曜日は古着を出す日である。思い立ったが吉日、捨てるのだ、捨ててしまうのだ!
  映画「ゴッドファーザー」の愛のテーマじゃない方の、♪ターリラリ…ターリララ…というもの悲しいメロディが脳内に流れていた。

 ところが、どうしたことでしょう、私は妙にウキウキして、心が軽くなった。
 腹に一物、手に荷物。財布も軽いが、心が軽いという、この解放感。
 もう本当に、落語のあたま山で言えば、百年ぶりに散髪したようにさっぱりした心持ちがして、そうだ!街に出られないのだから、本を捨て、抜け殻を捨てるべく家にいよう‼…という新たなスローガンが胸に去来するに至った。

 それからだいぶ落ち着いて、着手しつつあるCDの断捨離を進めるべく、これまた前世紀ぶりにチャイコフスキーのバイオリン協奏曲(ダイナミックなのに繊細で、まったくもって、なんという名曲なのでしょう! ヤッシャ・ハイフェッツの躍動する弓が目に浮かぶ‼ 録音されたのはもう60年以前だというのに…)をヘビロテしながら、スケジュール帖の空白を埋めるに余りある、今日も今日とて断捨離作業にいそしむのだ。



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