「学んだ」には、「学んだ」のですが…、つまりは、継続的指導は大事 | 悠太郎が綴る中学受験国語と、ときどきパパナス育児ブログ

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中学受験と国語、まれに育児、ゆる~~く綴ります。

とある生徒さんとの授業中、


傍線部分に


「急いだ」


とある



それに関する気持ちの読み取りを行う設問で、


解答はもちろん


「あせる」


というものなのですが……。。。



その生徒さん、解答に異議を。


どうやら、


以前集団塾の先生に授業後の質問して、そのときに、傍線部分にある表現をそのまま気持ち言葉として使ったら、


「そのまんますぎるから、ダメ!」


と、言われた、と。


それ以来、傍線部分から推測するという行為そのものが「ダメ!」と、


認識してしまったようで、


傍線部分の内容を無視して、傍線の周りにあるものを答えに使おうという指向が形成されてしまったようで……。。。




……う~~~ん。。。



いえ、その生徒さんのお気持ち、大変よくわかります


あるものがダメと言われたら、それに類するもの全般がダメ、と思ってしまう……。。。



私も、子ども時代、同種の認識をもったことがあります。。。



…しかし……。。。



うん、集団塾ですから、仕方ない面が多分にあります


どうすればいいのか、という正しい解法を伝えることが主です


その正しい解法を正しく理解し、実践し、継続して使っているのか


という面のチェックというものは、なかなかになされません



これが算数などの途中式を記し、それをもとに推測できればいいのですが、


国語に関しては、それに類するものがなく、


伝えた解法が正しく理解できたかどうかのチェックというものが、集団塾では、どうしても困難で……。。。



…このへんが、個別塾、あるいは、家庭教師の強みになる、ということでしょうか……。。。


正しく理解できたのか、お子様の理解度のチェックというものが、極めて容易にできますからね……



生徒さん主観からすれば、


「先生から教わった通りにやっている」


ということになりますから、


それで違うと言われるのは、納得がいかないことですよね……。。。



誤解した当人が悪いは、言い難い面がございます



お気をつけくださいませ




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