◇記事の前に♢

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こんにちは、Sato(さと)です。

久しぶりの投稿です。
前回は文化祭の投稿をサボりにサボって
数日後に投稿しましたね(๑° ꒳ °๑)

僕は高校で将棋部に所属しています。
中学でその部活に所属していた訳ではないですが、
友達の誘いで半ば……いや、強制的に入部しました。

将棋のルールは元から知っていましたが、
定跡と呼ばれる基本手筋があることなど
少しでも専門的な事になるとサッパリな状態でした。

体験入部せずに直接入部した訳ですが、
最初に顧問の先生と対局をしました。

当然、手筋を知らない僕は
素人丸出しの手筋で指していきます。
試合結果は案の定、惨敗です。

後で知ったことですが、
顧問の先生は将棋の三段を持っています。

そこから一年生の間は何度も対局しました。
春と秋に行われる大会や段級認定戦では、
一番下のリーグで戦いました。

一年生の間で僕は5級、3級を取得しました。
意外と快勝だったことに僕自身が驚いていました。

二年生になると僕の中での将棋熱が冷め、
少しサボりがちになりました。
それでも大会にはしっかりと参加し、
春の段級認定戦では2級を取得しました。

そして、二年生の秋の段級認定戦。
そこは高校で最後の段級認定戦となります。
僕は初段、二段のグループです。

初段を取るには連続した4回の対局で3回勝利、
二段を取るには連続した4回の対局で4回勝利、
これが条件となっています。

一年生の春先、人数がとても少なかった将棋部は
藤井聡太七段(当時は四段)の歴史的快挙による
空前の将棋ブームにのって部員は倍に倍になりました。

そのブームは僕の学校だけではなく、
他の学校でも巻き起こっていました。
大会や段級認定戦は数十人の規模だったものが、
その次の大会では百数十人という規模。

福岡県では僕の学校の将棋部が
大会準備などを行うため、
参加者などを見て部員たちと共に驚いたのを覚えています。

段級認定戦でも増えた部員の顔が見えます。
多くは後輩ですから、
何とも賑やかで楽しい空間に見えます。

結果、僕は初段になりました。
それが偏に僕の力だ、とは言えません。
どんな対局相手に当たるかの運要素も大いにあるでしょう。
同じグループだった同級生は
別の学校の顧問の先生と対局して、
為す術もなく、負けてしまいました。

二年間と二ヶ月。それが僕が将棋部として
活動した期間です。後半はほぼ幽霊部員でしたが(笑)

それでもたくさんの経験を積むことができました。
そして、文化祭の後、僕達三年生は引退となりました。
何とも言えない気持ちです。
言葉にできない思いがあります。

またいつかこの経験が思い出として蘇る、
そんな日が来ることを信じています。

過ぎ去る日を追わず、来たる日を待って


それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。


♢記事の後に♢

AFTERWORD

きっと来る。そう信じているから。



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