6月から8月にかけて様々な事があった。目まぐるしくて思い出せないくらいだ。先日、タクシーに乗った時ドライバーさんとの会話は結構盛り上がった。最近の世相はおかしいと一致したのだ。常識が通じない、知らなさ過ぎる、移民反対、などなど。

 

 

人の生産性

杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」である。連日、ネット上、テレビ、新聞紙上で糾弾されていた。オレ的見解では、彼女の文章の本意は理解する。ただし、言葉足らず、誤解を招きやすい表現だったと思う。「少子化を念頭におけば」とか前置きが欠如していたと思う。これが余計な問題や間違った方向に議論を進めてしまったのは事実だ。公人はあくまでも丁寧な言葉使いが必須である。

 

そもそも個人的な性的嗜好なんて国が保護すべき事柄でもないし。問題はここの部分であろう。別段他人のそんな部分はまるで興味がない。オレに迷惑が及ばなければなんだったいい。差別しようとか考えたこともないし。見た目男なら男風呂、見た目女なら女風呂に入ればいい。それがつらいだって? 自分の生き方を貫くには誰だって犠牲を払ってるし、我慢もしてるのだ。

 

賢明なみなさんはお気づきであろう。性的少数派にかこつけて「差別」を声高に叫ぶ連中の正体を。その多くは反日であることを。なんでLGBTパレードに天皇反対とかのプラカードを持つのか。全く関係がない。

 

これに参戦(余計なw)してきたのが芸能某氏。デイリー新潮に稚拙な文章がある。杉田議員の発言は論理破綻と断じているが、氏の論理は最初から成立していない。そもそも望んでも子供ができない夫婦とLGBTとは全く関係がない。杉田議員も子供のできない夫婦に言及はしていない。無理矢理両者を結びつける意図丸出しである。まぁ、芸能界で生きているから話題性は必要なのだろうけどね。政治家を叩くぶんには問題無しだからだ。まさか反日は文化だ、なんて言わないよナw

 

また杉田議員に税金を投入してもいいのだろうかとも言及している。旧民主党系の議員はもれなく反日であり売国行為をしている。国会議員1人頭、年間約5億円が税金から支出されているが多過ぎるだろうね。

 

 

 

死刑廃止論

夏に死刑が13回行われたが、弁護士会を筆頭に文化人、メディア人らが猛烈な抗議をしている。例の兇党集団によって絶命した被害者の遺族、未だに後遺症で苦しんでいる人々、前途を絶たれた人々の真ん前で同じ言動をできるかな?

 

 

人権派で名を馳せた死刑制度廃止論者の日本弁護士会副会長の妻が最悪の被害にあった時、彼は極刑を望み、殺人事件の公訴時効廃止を訴えた。人とはこうゆうものなのである。いざ被害を受ければ思想・信条なぞひと吹きで消し去ってしまうものなのだ。理性と感情のバランスは永遠の命題なのであろう。

 

死刑は残酷であるという。では死刑に相当する犯罪の被害者の無念さと遺族の心情はどうなる。人の命を奪えば極刑になることは児童でも知っている。知っていながらそのような犯罪を犯した側にすべての責任があるのだ。その責任の取り方に残酷もへちまもない。

 

 

 

自然災害

今夏は自然災害が多発した。これも天意ならば受け入れるしかない。あきらめの気持ちではなく、積極的に自然災害が減るように努力せねばと微力ながらも思う。

 

自然には意思があると感じている。それは人格をはるかに超越したものである。古代の人々はそれを神と認識し、崇め奉り少しでも暮らしが豊かになり日々の安全を乞うものであったと思う。「一木一草に神宿る」の原初のかたちだ。八百万の神々が守りたもう日本に生まれたのだから理解しやすいであろう。それでも毎回尊い人命が奪われてしまうのはあまりにも忍びない。

「御神慮甚だ計り難し」というのはこういう事なのだと思う。

 

 

 

ボランティア・救援物資

災害が多く、あの尾畑春夫さんが賞賛されている。善意の寄付なども大変良いことであるが、必要とされているものを把握したほうがいい。間違っても自分の不用品などを送ってはいけない。使われない的外れな物資を送っても最終的には行政が税金を使い処分するのだから。

 

一番良いのは義援金だろうか。ただテレビでCMを打っているような団体、政党などはおすすめできない。必ず必要経費と称しみなさんの募金から差し引かれている。礼状だって1件あたり120〜200円ぐらいはかかっている。1万口なら高額になってしまう。礼状なんていらない、名乗らない、自己満足もしない、人には言わない、ただただ黙って自分ができる範囲で行う。やがて忘れ去ってしまうのが一番いいのかもしれない。

 

                               そいじゃ