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国指定重要文化財の道後温泉本館・保存修理(耐震補強)工事始まる

2019年09月18日 | 伊予松山歴史散策

道後温泉は、日本最古といわれている。

今から約3000年前、傷ついた一羽の白鷺が傷を癒していたことから発見されたと言われており、シンボルが白鷺で、本館最上階にある振鷺閣上部に白鷺が北面を向き置かれている。
また、古墳時代、推古4年(596年)には、聖徳太子がこの地(道後温泉)を訪れ、温泉の素晴らしさに感動したと伊予風土記にある。 

現在の道後温泉本館は、明治25年9月に全面改築起工式を行い、明治27年4月10日、伊佐庭如矢町長の大英断で現在の本館を町議会の猛反対を押し切り建造した。
総工費は13万5千円、大工棟梁は松山城天守を建造した宮大工、坂本又八郎を起用した。
翌年夏目金之助(漱石)が松山中学の英語教師として赴任し、坊ちゃん列車に乗り入浴した事は有名である。
長い歴史の中でたくさんの人々が道後の名湯に親しみ、癒やしの時間を過ごし公衆浴場とし平成6年12月27日、全国で初めて国の重要文化財に指定された。 

経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定された道後温泉木造の館内は、各部屋と廊下、階段が複雑に入り組み、迷宮さながらその不思議で神秘的な建築は、映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった。 

また、昭和25年大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦直後、獅子文六が妻の実家がある愛媛県宇和島市津島町(旧北宇和郡岩松町)に疎開していた様子を描いた小説・てんやわんやに出て来る道後温泉、松竹映画はこれを映画化をし、そのロケを道後温泉で行った。
撮影された時に、道後温泉と一目で分かるように撮影スタッフが掲げたベニヤ板製の扁額が現在の扁額のはじまりで、これは撮影終了時に撤去されるはずだったが、利用客からも好評で存続することになった。

 

揮毫は松山出身の画家・村田英鳳によるもので、戦後生まれの額である証拠に、文字が戦前主流だった右横書きではない。映画の大道具をそのまま使っていたため老朽化が激しく、昭和61年に現在の扁額に替えられた。

その時の俳優は、犬丸順吉を「佐野周二」花輪兵子を「淡島千景」鬼塚玄三を「志村喬」が演じた。

明治27年4月10日、伊佐庭如矢町長の大英断で現在の本館を町議会の猛反対を押し切り全面改築してから125年が経過、初めての保存修理が平成31年1月15日から始まった。

完成は、令和9年の予定である。

道後温泉本館で明治27年4月10日、全面改築された当時の正面である。

道後温泉本館当初の正面で、一階に唐破風が三カ所見えるが左から一乃湯・二之湯・三乃湯の入口である。

その後大正12年に城地区工事が行われ玄関は現在の入り口に変更されたが、平成31年1月15日から保存修理工事が始まり入浴入口は、明治時代の入口である二之湯入口からとなっている。

一乃湯は、旧藩士・寺神社関係者

二之湯は、旧藩士・寺神社関係者以外の男性

三乃湯は、女性

上記の様に分けられていた。

現在保存修理が平成31年1月15日から始まり大きな工事用の屋根が造られた。

保存修理の工程。

二階の床板に明治27年4月10日、全面改築され、二階を担当した大工さんたちの名前が記載されている。

道後温泉本館の遍歴。

道後温泉絵図で、江戸時代後期の様子。

道後温泉絵図で、明治14年の様子。

明治初期の道後温泉で、現在の三層の建物になる前の様子。

明治27年4月10日、全面改築された現在の道後温泉本館。

嘉永時代の諸国温泉効能番付表で、道後温泉は西の小結にランクされている。

保存修理のための大きな素屋根。

保存修理をしながら入浴は出来、現在入り口は明治時代の二之湯の入口からとなっている。

昭和25年太平洋戦争の終戦直後、獅子文六が妻の実家がある愛媛県宇和島市津島町(旧北宇和郡岩松町)に疎開していた様子を描いた小説・てんやわんやに出て来る道後温泉、松竹映画は、これを映画化をしそのロケを道後温泉で行った。

撮影された時に、道後温泉と一目で分かるように撮影スタッフが掲げたベニヤ板製の扁額が現在の扁額のはじまりで、これは撮影終了時に撤去されるはずだったが、利用客からも好評で存続することになった。 

揮毫は松山出身の画家・村田英鳳によるもので、戦後生まれの額である証拠に、文字が戦前主流だった右横書きではない。映画の大道具をそのまま使っていたため老朽化が激しく、昭和61年に現在の扁額に替えられた。

道後温泉本館は、大正12年大増築工事を行い、当初の玄関を現在の玄関に変更した。

ライトアップされた道後温泉本館当初の正面で、一階に唐破風が三カ所見えるが左から一乃湯・二之湯・三乃湯の入口である。
その後大正12年に城地区工事が行われ玄関は現在の入り口に変更されたが、平成31年1月15日から保存修理工事が始まり入浴入口は、明治時代の入口である二之湯入口からとなっている。

一乃湯は、旧藩士・寺神社関係者

二之湯は、旧藩士・寺神社関係者以外の男性

三乃湯は、女性

上記の様に分けられていた。

道後温泉本館正面(北面)で最上階に振鷺閣がありその上に、道後温泉のシンボル、白鷺が北面を向いて立っている。

道後温泉のシンボル、白鷺が振鷺閣の上に北面(正面)を向いて立っている。

振鷺閣にある太鼓は時太鼓で、環境省指定の日本の音100選の一つで、午前6時に6回、正午12時に12回、午後6時に6回太鼓をたたき、時を告げている。

 

道後温泉入浴永代終身優待券

明治25年9月、全面改築費用が総額13万5千円必要であった。
多額な費用の一部を住民からの寄付金を募り、寄付をした住民に対し道後温泉本館改築の功労者の証として、道後温泉入浴終身優待券を発行した。

明治27年代から代々入浴終身優待券は引き継がれ現在もその家族は使っている。

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