さきたま古墳群の記念講演会を聴講しました&年輪年代法について少し | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 先日、さいたま市で開催されたさきたま古墳群の講演を聴きに行きました。

 「さきたま あれから これから」というタイトルで、埼玉古墳群史跡指定80周年・稲荷山古墳発掘調査50周年・鉄剣銘文発見40周年という実におめでたい記念講演会でした。

 

 

 私は、原日本紀の復元017 稲荷山古墳出土鉄剣の471年説・雄略天皇説を否定してみる〈1〉〜〈6〉で考察したように、辛亥年は531年であり、ワカタケル大王は安閑天皇であった可能性が高いと考えています。

 

 ですから、国立歴史民俗博物館名誉教授である白石太一郎氏の講演はぜひ聴きたいと思っていました。

 内容は予想通り、辛亥年は471年、ワカタケル大王は雄略天皇というものでした。ですが、非常にわかりやすくお話されましたので、最後まで興味深く拝聴することができました。

 稲荷山古墳の墳丘くびれ部から出土した須恵器はTK47形式であり、5世紀の第4四半世紀が想定されるが、鉄剣が出土した礫槨(れきかく)は同時に出土した鈴杏葉(すずぎょうよう)から5世紀末〜6世紀初頭が想定されるというものでした。

 つまり、稲荷山古墳が本来の被葬者(まだ発見されていないですが)のために築造された後に、オワケという鉄剣の持ち主がその鉄剣とともに礫槨に追葬されたという論考です。

 その考えには私もまったく同感です。しかし、鈴杏葉が6世紀に下る可能性があるのなら、追葬時期が531年の辛亥年もしくは翌年、翌々年あたりであっても不思議ではないと思うのです。辛亥年531年説が再考される余地も十分にあると思いながら聴きました。

 

 明快な白石氏の講演でしたが、雄略天皇の「シキ」の朝倉宮とおっしゃられたのには少し違和感を覚えました(一瞬のことでしたので、私の聞き間違いであればご容赦ください)。やはり、雄略天皇の宮は「泊瀬(ハツセ)」の朝倉宮であり、厳密には「シキ」ではありません。ただ、これについては私の考える安閑天皇の場合でも当てはまりません。

 531年は継体天皇の崩御年とされますので、宮は磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)です。「磐余(イワレ)」も「泊瀬(ハツセ)」同様に「シキ」の隣接地域ではありますが、厳密には「シキ」ではありません。ちなみに、継体天皇が玉穂宮におられたときに、広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすみらみこと)(後の安閑天皇)の若宮が「シキ」にあったと考えるとしっくりくるのですが、これにはまったく物証がありません。

 

 もう一つ気になる点がありました。

 くびれ部から出土した須恵器の編年に関する話の中で、田辺昭三氏の須恵器編年の西暦が少しさかのぼってきていると言われました。田辺氏は大阪の陶邑窯跡群(すえむらようせきぐん)の膨大な窯跡を調査・研究され、須恵器の編年を作成されました。それが、近年、須恵器と一緒に出土する木製品の年輪年代測定により、場合によっては氏の想定年代から数十年さかのぼると考えられるようになっているそうです。また、宇治市から出土した須恵器と木製品からTG232型式が389年までさかのぼっているという話もありました。

 

 それを聞いて、「こんなところにまで年輪年代法が・・・」と複雑な思いでした。というのも、つい先日、全国邪馬台国連絡協議会の会長である鷲崎弘朋氏の「科学的年代測定法と古代史」という講演を聴いたばかりなのでした。

 鷲崎氏の講演は、光谷拓実氏の年輪年代法において、弥生時代、古墳時代の年代が100年遡上しているという内容でした。もしそうであるなら、年輪年代法によって導かれた年代自体に問題があるということになります。

 

 そもそも、年輪年代法の元データ自体が非公開ですので、誰も検証できないのが大問題なのです。私は、そういう第三者が検証できない測定法を無条件に用いるのはどうかと考えているので、それによって様々な年代が古くなっていく現状は大丈夫なのかと思っています。

 余談ですが、C14年代法についても、最新機器による測定結果は非常に厳密なものだと思いますが、それを実年代に変換するための「日本産樹木による較正曲線」に全幅の信頼が置けない現状では、それによって導かれた年代を本当に信じてよいものなのかという気がしています。そして、この「日本産樹木による較正曲線」の作成にも光谷氏のデータが関係しているといわれています。

 結論としては、一刻も早く光谷氏の測定データが公開され、多くの科学者によって様々な角度から検証されて、誰もが納得できる測定法として完成してほしいと思っています。

 

お読みいただきありがとうございます。よろしければクリックお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ   
にほんブログ村    古代史ランキング

 

総合オピニオンサイト「iRONNA」掲載の小論

「邪馬台国は熊本にあった」魏の使者のルートが示す決定的根拠

 

*****

拙著『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)