祝!「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録勧告 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 5月14日、文化庁から、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関イコモスが、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」を世界遺産に登録するように勧告したことが発表されました。

 すんなりと登録勧告がもらえたわけではなく、10年以上にわたる多くの地元や関係者の方々の努力があっての結果だということなので、まずはおめでとうございます!ですね。

 また、大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)をはじめ、多くの天皇陵が含まれますので、「令和」のはじまった今というのもベストなタイミングだと思います。

 

拙著のオビにも百舌鳥古墳群の写真を使っていただいています。

手前が履中天皇陵とされる上石津ミサンザイ古墳、左奥が大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)です。

 

 今後、無事に世界遺産登録されると多くの観光客が訪れると思いますが、現実的な問題も残っていると思います。

 百舌鳥古墳群・古市古墳群には日本最大の大仙陵古墳をはじめベスト3が含まれます。

 

1位 大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)墳丘長約525メートル

2位 誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)墳丘長約425メートル

3位 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)墳丘長約365メートル

 

 しかし、実際訪れてみるとあまりにも大きく、全容を見ることができないのです。拝所から望む墳丘は、下の写真のように森か小山にしか見えません。

 

【大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)】

 

 博物館では上空からの映像やCGで再現された映像を見ることができるのでしょうが、やはり実際に自分の目で見てみたいというのが訪れた人の感想でしょう。少し高所から一望できる展望施設は整備してほしいと思います。

 また、百舌鳥古墳群と古市古墳群は場所が離れているので、それを短時間でつなぐ交通機関の充実も望まれます。

 

 それと、これは実現可能性が極めて低いとは思いますが、古墳自体の研究を進めてほしいです。

 上記の大きさベスト3の古墳はそれぞれ天皇陵として治定(じじょう)されていて、宮内庁が管理して基本的に発掘調査は禁止されています。

 しかし、考古学的な研究により、この3つの古墳は治定された天皇と整合性がとれていないことがわかっています。出土した埴輪などから推定される築造順は、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)→誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)→大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)なのですが、天皇の即位順は記紀では応神天皇→仁徳天皇→履中天皇となっているのです。

 治定を変更することはできないかもしれませんが、墳丘自体の調査などにより、その辺りのことはもう少し明確にしてほしいものです。

 

 今回の世界文化遺産登録勧告には反対意見もあるようですが、両古墳群に注目が集まり、古代について思いを巡らせる方が増えることは歓迎してもよいのではないでしょうか。

 

 

 さて、話は変わりますが、前回の記事で告知していました全国邪馬台国連絡協議会 第9回東京大会「【古代史への科学的アプローチ法】開発者に聞く!年輪年代法」に参加してきました。

 光谷氏のご講演は、「年輪年代法が古代において100年ズレているのではないか?」という疑問に答えていく形式のものでした。しっかりと丁寧に解説されていたと思います。「年輪年代法」のデータ収集・分析については、非常に真摯に取り組まれたことが伝わってきました。

 ただ、元データを一般に公開されるお気持ちはないようですので、第三者が検証することは難しいという状況が続くことになります。そこだけが残念であり、「年輪年代法」に全幅の信頼をおけない理由でもあります。

 参加してみた結論としては、年輪年代法に対する肯定・否定が50%ずつだった気持ちが、肯定70%ぐらいまでアップしたというところでしょうか。引き続き、元データ・生データが公開され第三者の検証を経て、年輪年代法が古代の年代特定に誰もが納得する手法として確立されるのを期待したいと思います。

 

 

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2020年に完成1300年を迎える『日本書紀』の解明をめざし、

新しいアプローチ法で古代史の真実に迫ります。

定説・通説を覆す新説・新解釈を満載した一冊です。

 

 

『日本書紀』だけが教える ヤマト王権のはじまり

伊藤雅文(著)/333ページ/扶桑社新書301/定価980円+税

 

第一章 『日本書紀』紀年解明への新アプローチ法

第二章 推古天皇からさかのぼる

第三章 金石文の新解釈(1)隅田八幡神社「人物画像鏡」

第四章 倭の五王を比定してみる

第五章 神功皇后創作の弊害を正す

第六章 金石文の新解釈(2)七支刀

第七章 武内宿禰像を再構築する

第八章 垂仁・景行・成務・仲哀天皇と日本武尊の相関関係

第九章 東征したのは誰か

第十章 継体天皇の二王朝並立説を考える

第十一章 金石文の新解釈(3)稲荷山古墳金錯銘鉄剣

 

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