前記事では、4世紀末から5世紀末までの、百舌鳥・古市古墳群を中心とした巨大前方後円墳の築造年代を推定してみました。
*前回の図表に誤りがありました。岡ミサンザイ古墳の墳丘長は(誤)425→(正)245メートル、太田茶臼山古墳の墳丘長は(誤)238→(正)226メートルでした。
今回は、その期間の天皇崩御年についてみていきます。
拙著『ヤマト王権のはじまり』に掲載した「原日本紀(げんにほんぎ)年表」では、図表1のようになっています。
■図表1 原日本紀年表による4世紀末から5世紀末までの天皇在位期間
「原日本紀年表」の説明を少ししておきます。
『日本書紀』は神武天皇の即位を紀元前660年にさかのぼらせるために、大幅な紀年延長操作を行っています。天皇の年齢・治世期間を大きく延ばす方法によってです。
『日本書紀』には各天皇が治世何年にどういうことをされたという記事が、編年体で年を追って記されています。しかし、初期の天皇紀には何も事績(および出来事)の記されない年が多く存在します。例えば、第10代崇神天皇の治世は68年だったとされていますが、事績(および出来事)が記されているのはわずか17年しかありません。
私は、この空白の年(「無事績年」と呼んでいます)が紀年延長操作によって生じたものだと考えました。また、こういう操作はその前段階に整理された文書がなければなし得ないとも考えました。
そこから、720年に完成した『日本書紀』の前段階には、紀年延長操作の行われていない文書『原日本紀』が存在したのではないかと推論しました。そして、無事績年を削除した『原日本紀』を復元し、その紀年を年表にしたものが「原日本紀年表」なのです。
しかし、復元した『原日本紀』がすべて真実かというと、それには私も疑問を持っています。多くの部族・氏族から集められた多様な記録・伝承を整理・編集した『原日本紀』には、『日本書紀』編纂者およびそれを命じた権力者の意向が少なからず反映されているはずだからです。
そこで、『ヤマト王権のはじまり』では『原日本紀』のその先にみえる歴史の真実についていくつかの仮説を提示しました。
今回対象となる5世紀についてもです。5世紀には「倭の五王」という大きな謎があります。
倭の五王については、中国の史書に「讃」「珍」「済」「興」「武」という5人の王が遣使したことが記されています。呼び名は「さん・ちん・せい・こう・ぶ」だと思われますが、それがどの天皇(大王)だったかについては未だに明確な比定がなされていないのです。それは、『日本書紀』『古事記』の紀年研究で得られる年代と、中国史書が記す五王の遣使年とがうまく整合しないからです。
その原因としては、『日本書紀』編纂者が意図的にそれを隠した可能性も指摘されています。当時の中国・唐と対等の関係を結びたかった日本にとって、朝貢の事実を明記することは忌避すべきことだったと考えるのです。
ともあれ、『日本書紀』の編纂時には、倭の五王に言及した中国史書がすでに日本に入ってきていたはずです。編纂者はそれに合わせることもできたはずですが、そのようには書かなかったことは確かです。
原日本紀年表でも整合しませんでした。
しかし、復元した『原日本紀』を信じて記述を再確認してみるとひとつの筋書きがみえてきて、私なりの五王を比定し治世を推測することができました。
ここで考察の詳細は省略しますが、まず421年に遣使した讃は、応神天皇が早くから後継と決めていた太子の菟道稚郎子皇子(うじのわきのいらつこのみこ)であろうと考えました。播磨風土記には宇治天皇の名前もみえます。菟道稚郎子皇子は、応神天皇が崩御された翌年の419年には即位して、長ければ436年まで在位されたと考えています。
それを継ぐのが讃の弟の珍です。珍については自信を持っていえるほど私の中でも固まっていませんが、菟道稚郎子皇子の弟である隼別皇子(はやぶさわけのみこ)の可能性が高いと思っています。隼別皇子は菟道稚郎子皇子の後を継いで即位されますが、439年に仁徳天皇によって殺されてしまいます。
そして、五王の済である仁徳天皇は440年に即位して450年まで在位されます。私は応神天皇と仁徳天皇の兄弟説をとっていますので、済は珍の叔父(あるいは伯父)ということになります。
このように、図表1における応神天皇崩御の翌年である419年から仁徳天皇崩御年の450年の間に、3人の天皇がいらしたと私は考えています。
ちなみに、その後の興は允恭天皇、武は雄略天皇だと推察しています。
さて、以上を歴史の真実だと仮定すると、5世紀の天皇(大王)の崩御年は図表2のようになります。
■図表2 各天皇の治世と崩御年
図表2の年表をもとに、百舌鳥・古市古墳群の各古墳の被葬者を比定していきたいと思います。
しかし、取りかかってみると結構ややこしいことになってきていますので、結論を出すのはもう少し先になるかもしれません。(未完)
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