インドネシアにいることで、日本のマスメディアの洗礼に合うことなく、

比較的客観的な視点で物が見える。

 

最近、心配なのは、

ここ1~2年のレンジで、それぞれが、それぞれにヘイトを盛りあげようと、

マスコミ、政府(アメリカ大統領とか?)、庶民のブログも増えてきて、

第2次世界大戦の数年前のような風潮に。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49684740R10C19A9I10000/

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49858670W9A910C1000000/

愚かな大統領候補者しかいなかったという現実と、優秀な人は「金儲けに没頭してしまい政治なんか誰がやろうと同じだ」と思い、

財閥は寧ろ戦争で武器や兵器、爆弾、ミサイルを金に糸目をつけずに買ってもらえることでさらに力を伸ばせるから、「どんどんやれ~」みたいなモードになっていく。

 

今や、誰が何処を攻撃しているのかさえわからないのに、どんどん被害者気分を掻き立て、

最終形である「殺らなければ殺られる」というモードにまで各国で盛り上げかねない勢いだ。

が、これが進んでいくと、人類総意のもとの戦争が成立してしまう。

なぜに、昨今、大韓民国、アメリカ、中国、日本は国民に至るまで、あたかも国家の代表のように、場合によって代表たる大統領達や庶民同士が、ヘイトを増大させていくのか愚かしいことでしかない。

それなりの立場の人たちは、早急に覚醒してほしいものである。

 

日本は、アジアから孤立しがちであることを、悪のように喧伝しているが、別にそれは悪いことではないと思う。

江戸時代の鎖国260年間で、強烈な"孤立"をしていたわけで(それでも外国との交流はあった)、しかしその間、築かれた

精神や文化を鑑みると、孤高になって、理念を保ち、毅然と、惑わされることなく生きてきた。これは満更悪いこととも言えない。

孤立の結果、民族は気高く磨きがかかっていた部分もあったのだろう。

 

黒船来襲であわてたことになっているし、日本が遅れていると大騒ぎになったとされている。

でも、本当はその”遅れていた日本”が、実際には諸外国と対等に渡り合い、オランダの属国になることもイギリスの領地になることもなかった。それほど、当時の人物達は、誇りと知恵と思考能力をもっていたからで、そうでなければ、奴隷としてプランテーションやらアヘン中毒者にあふれた町と化していたとしても不思議はなかった。

しかし、いつも、幸運なことに、どういうわけか、この国にはそういう人達が登場し活躍していた。

 

日本という国が神代の時代からあったかのように信じ込まされているが、日本ができたのは

私に言わせれば、つい最近で、その少し前は、大日本帝国、その前は江戸幕府(という体制下の無名の国)と考えても矛盾が無い。

もちろん諸説あって、政府は日本という呼称は、西暦700年代誕生と"教育"している。

しかし、江戸時代に行って、「日本」と言ったって、何人の人がわかるかどうか。

おそらくは、一つの国であるという概念さえなく、多くの人々は自分の住んでいる地域が「くに(はん)」の一つらしいというイメージしかもっていない。それはまだいいほうで、大半はそんなことさえ気にしていない。

近江の国とか、信濃の国とかそんな感じで、移動も大変だから庶民は禁止されるまでもなく、わざわざ遠くまで行こうなどとは思わない。あえて挙げれば、五街道近辺が賑やかだったかもしれない。腹が減って、動くのも大変だったりもする。動けず死んでいたりもする(餓死は普通にあった)。そんな状態では国などどうでもいいというのが実態。

将軍様がどっかにいるらしく、なんかまとめているらしいという程度で、庶民にとっては存在は無いに等しい。なんか地主さんとか偉そうな役人がコメやら年貢を勝手に力づくで持っていく・・・この程度の世界でしかない。

 

更に天皇というものは、ず~っと以前に、神事や奇跡により国を守り司っていた存在とは別のものになっていて、XX朝廷からXX幕府とかになったあたりから、政治的な利用をされていただけのもので、それでさえもごく一部のエリア、階層限定。

再度強く利用されるのが、そののちの軍国主義の時代。

狂気の時代に、いつも表舞台に引きずり出されるので気の毒ではある。

全体がヒステリックに感情的に戦わされるときには、誰の都合か常に考えるべきだと思うが、現在のように、妙に自分たちで勝手にヘイトを増長させていくときは要注意である。

この性向は何千年たっても変わらない。

 

「日の出る国の天子」(「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」)にしても、相手の国からみた自分のいる方角をいって、”あっちのほうに住んでます”程度の話である。先方中心に最大の敬意を払ったものではないかと思う。

過去において”日本の祖先”のリーダーたちは、そのように思慮深く、平和的かつ慎重な外交を繰り返してきたのだと思う。

もっとも、どの国に行くにも遠すぎて、到達するまでに「怒り」などどっかに消えてしまい冷静になったのかもしれない。

インターネットがあふれ、地球が小さくなってしまった現在、怒りのまま、ヘイトを拡散できてしまう。

頭冷やせと言っても、無駄なことかもしれないが、それでも地球全体に低次元なヘイトが蔓延しすぎではないか?

我々は、あまり乗せられすぎないよう、巻き込まれないように。

要らない紛争は起こらないように。

Pahid, Pahid!