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2018年12月4日火曜日

(連載4)4-2「存在する無」の世界






「この宇宙には何も存在しなかった」





では宇宙の起源に存在する「無」とは、
一体どのようなものなのだろうか。


我々は全ての知識のために、
そしてあらゆる存在を理解する為にも、
まずはこの「無」を理解することから始めなければならない。



これより次元理論(大統一理論)は、
この「無」を理解するために
一気に知識の深淵へとおりていく。
読者の皆さま、
どうかしっかりと私について来て頂きたい。






『無を理解することは
全てを理解することである』







始まりに「存在する無」




「無」には大きさ、広さ、長さ、時間、
「あらゆるもの」は存在することはできない。
ゆえに「無」に変化は起こらない。


つまり「無」はそれ自体で
「永久に完結した現実」である。


この「無」に変化を期待することは愚かであるし、
そこから抜けだせる存在もあるはずはない。


したがって「この宇宙には何も存在しなかった」ということは、
今もなお「この宇宙は永久に無でありつづける」ということを意味する。


無は永遠に無であり、
すなわち無限大に全ての概念が無である。



しかしこの無に対する認識で
我々が理解しなければならない性質は、
「無が存在する」という事実である。



「無が存在する」とは、何もないということではなく、
その何もない状態が「ある」、
つまり「存在する」ということなのだ。



すなわち永久に完結した否定概念としての「存在する無」は、
「無が永久に存在しつづける」あるいは
「全ての概念に永遠に無が存在する」
という肯定世界をそこにつくり上げている。



無が果てしなく全ての概念に存在する状態、
これが「完全無という世界」である。



「全てがない」という状態が「存在する」世界。


この無の存在する世界が
次元理論で宇宙を認識するときの最初の宇宙、
「0次元世界」である。


0はあるのか、ないのか、
というのは我々の好きなレトリックである。
しかし「存在する無」は現実の世界なのだ。


我々の知る現実世界の大前提として
「この宇宙には何も存在しなかった」
という事実が先立つ。


この章ではのちほど、
現実に存在する「存在する無」と「実在する概念世界」を
直接皆様へと提示する。



この「実在するもの」とは、
現実世界の概念を支えるために必要となる
「異なる次元世界での現実」である。


「次元世界が生まれる」こと。

これこそが
「存在する無」の存在する証である。


何にとって何が無なのか、
同じひとつの「存在する無」が
どれほどの異なる概念と等しいのか、
その無の存在する姿に
科学は迫るものでなくてはならない。





「この宇宙には何も存在しなかった」


それは「無が存在する」ということであり、
「全く何もない」という状態の世界が「ある」、
すなわち「存在する」ということである。


つまり「存在する無」においては、
閉じた状態が「無の存在する状態がある」であれば
開いた状態では
「全ての概念が永久に無でありつづける完全無の世界が存在する」
ということである。



これは同じことではないのか、
皆さまの中にはそう思われた方もいるだろう。


そのとおり、全く同じことである。


閉じた開いたという言葉に惑わされる事なく、
世界の始まりに「無が存在する」という事は
「世界は完全無である」という認識と同じ意味である。


このように次元世界では
「無(個の概念)は完全無(世界・全の概念)と同一」である。


単独で唯一の概念「無が存在すること(個)」は、
あらゆる全ての状態が無として存在する
「全てが無の概念世界が存在する(全・完全無)」
ことと同じ意味である。


この無の概念は、
その後の全ての次元世界に共通する基本原理として
あらゆる宇宙を統括する。



これが「存在する無」という実体(個)が
「無の概念世界」(全)を生みだす原理、
次元世界の発現である。


この「完全無」の概念は、
現在も進行形で現実世界として「無」であり続け、
「無」は今もなお「完全無」として
「0次元世界」に存在する。


つまり全ての次元世界の土台となるのが0次元世界、
この「完全無」なのだ。


まとめ


「存在する無」には
その内側に含有される「永久に無が続く」状態と
その外側を統括する「全ての概念に永遠に無が連鎖する」状態の
2つの「無の連鎖する方向性」がある。


これが次元世界の最初の分岐である。




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