急逝された映画音楽の巨匠を偲ぶ。またこのような音楽に出会える日まで…

トップの写真は、先達ての日曜日に撮ったもの。
月昇の時刻から約25分後の午後7時40分に、ニコン P900でズームを用いて撮影。この夜は満月であった。ちなみに夕陽ではないんだぞ…w

これ以降は徐々に雲が厚くなり、木星と土星を脇に従えている筈の十五夜月は、すっかりと姿を隠してしまったのだった。夕方ちょっと晴れて来たので期待していたのだけれども、やはり無理なことのようであった。残念であった…。


さて、7月6日の夜のことだけれども、ある訃報がネットニュースを駆け巡った。イタリアの作曲家、エンニオ・モリコーネ氏の死去である。全くもって、突然のことであったと思う。


(出典:Gigazine

91歳であった。突然だと感じる一方で、そうか遂に亡くなられてしまったのか…という感慨もある。生涯現役を地で行った大巨匠だった。
YouTubeで、御歳80をゆうに超えても自作品の演奏会で元気に指揮をされている姿をよく観ていたものだった。いや、今でもたくさん視聴することが出来る。

モリコーネ氏の音楽は何れも、音楽史に燦然と輝いて残るだろう。心にいつまでも残る叙情的なメロディに、ノスタルジックでスケールの大きな和声。これが僕の抱くモリコーネ氏の作品のイメージだ。
僕は、世代的にマカロニウエスタンの頃はあまり知らない。『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督作品以降の音楽が主な印象の源泉である。名作曲家は例え死してもその音楽を残す。羨むべき、素晴らしい職業だと思う。

僕の記憶する限りでは、モリコーネ氏の音楽を初めて意識して聴いたのは、彼此30年くらい前、坂本龍一キョージュのピアノを通してであった。
あるライヴCDの中で、キョージュが「1900」という曲を弾いておられた。これは、ベルトルッチ監督の『1900年』のテーマ曲であることは後で知った。これもまた、ノスタルジックでスケールの大きな旋律や和声を持った音楽だ。

『1900年』は、なんと5時間以上に渡る長大な映画である。僕はその後、テレビ朝日で3夜かけて放送されたときにはビデオに録って見入ったものだった。実に物凄い映画だった…。

それから暫く経って、TVで深夜放送を観ていたときのことである。通称「エビ天(えびぞり巨匠天国)」という、アマチュアの映像作品を紹介する番組で、一本の秀逸な短編映画が紹介されたことがあった。1991年のことだっただろうと思う、
これがなんとまあ、今でもYouTubeで視聴することが出来る。ビデオを保存しておいて下さった方、どうも有難う。僕もVHSテープに録画しておいたものが家のどこかにあるとは思うのだけれども、屋根裏から探し出すのが大変なもので…w

ご覧の通り、高校生と思しきふたりの郷愁あふれるストーリーで、モリコーネ氏の「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽が実に効果的に使われている。僕は当時、トルナトーレ監督のこの映画を未見であったけれども、早速作品名を突き止めてビデオを観たものだった。
そこで知ったのは、この音楽が、キョージュの演奏したあの「1900」と同じ作曲者の手によるものであったという事実だった。それ以来、僕はモリコーネ氏のファンとなったのである…。

これまでに、モリコーネ氏が音楽を手掛けた映画をたくさん観てきた。なかでも取り分け僕が好きな曲は、映画『ミッション』の中の「ガブリエルのオーボエ」だ。この曲の美しさは筆舌に尽くしがたい程である。まさしく、天上の音楽と言っても良いだろう。
ニュージーランド出身の歌手、ヘイリーはこの曲に自作の詞を付して、モリコーネ氏が指揮する演奏のもとに歌った。僕は歌詞を対訳してこのブログに載せたことがあるけれども、とても有り難いことに「いいね」をたくさん貰ったエントリとなっている。

改めて、エンニオ・モリコーネ氏を偲びつつ、ヘイリーの歌う「ガブリエルのオーボエ」をここに貼っておこうと思う…。

生涯にわたって天上の音楽を作り続けてきた人が、とうとう天上へと帰ってしまった。僕には、そのように感じられてならない。
キリスト教(特にカトリック)では、人の死を「帰天」と言うけれども、モリコーネ氏は天の御国へ凱旋された後、今はどのような音楽を作っておられるのであろうか。いつか聴いてみたいものである…。

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