神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

流転 親友

2019年03月24日 06時48分33秒 | 知人・友人

自分の人生がどう動いていくかなんてわからない

「こう生きていきたい」という希望はあるが

そうそう思いどおりに動いてくれない

だけど因果関係 行き着く道が定まっていれば紆余曲折しながらも

そこそこ目的地には近づいていく

 

自分一人の力で、そこにたどり着こうたって、そうは問屋が卸さない

やはり人間関係 思いがけない出会い 思いもしなかった人と

歳をとってからの親友はできづらいという、

私は若いときからの親友というのもできづらいと思っている

青春時代、親友だと思っていた人たちも、結局は友だち以上では無かった

親友なんて本当に存在するだろうか

親友の定義の一つに「自分の全てを投げ出しても、その友を救うことができる人」というのがある

そんな友が居るだろうか? 妻子も家庭もある人間が友のために全て投げ出せる・・・ありえない

ところが私の父はそれをやった・・・・だがしてもらった友は「逃げた」

卑怯にもかなりの犠牲を払った父に、自分の失敗の原因の一つを言い訳に利用した

父は、それまで苦労を重ねて一代を築いたその男を、尊敬し親友と位置づけていた

だが醜い裏切りが待っていた・・・・その男は死んだ  まだ生前の父にそれを伝えた

たった一言「そうか」とだけ言って、あとは何も言わなかった

 

話を戻そう

親友は夢だ・・・よほどのことがなければできない

だが戦友はできる 歳をとってからでも出来る

一つの夢に向かって助け合い、力を合わせる戦友はできる

これから私は多くの戦友を持ちたい

私の流転人生は今も動き続けている

 

 

 

 


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3 コメント

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Unknown (Mona)
2019-03-24 10:56:19
「親友」の定義が、お父様とそのご友人の関係に大きな影響を受けてしまったのですね。
私は「親友」は良い時も悪い時も自分の人生と平行した道筋を歩いていく友達と思っています。
其々の境遇が変わってくると、当然、価値観も変わる。話をしても噛み合わなくなる。
でも、その友達、そして自分の道程をみれば納得できる。そして、今、その友達にしてあげられる事があるならばしてあげたいと思うでしょう。
お父様の気持ちはそうだったのではないかと想像します。
人間の運、不運は、その人自身に責任があるように見えますが、どうにも逃れられないものもあるのですよね。
友達になったも偶然ではなく縁なのだと思います。
「戦友」をたくさんつくって下さい。
まさに (yottin)
2019-03-24 19:11:39
MONA様

人との出会いは縁だと思います
磁石のように必然的に寄り合っていく、それは自分が選んだ道だからです
見ず知らずであっても、遠く離れていてもいつか出会う人、それが縁
人生は一本道ですが数え切れないほど三叉路、五叉路にぶつかる
そして選んだ道を行くとそこに出会いが待っている、その出会いが新しい人生を開く
人生を逆引きして行くと面白い、なぜこうなったのか、それはあそこであれがあったから・・・
父の人生を振り返ると人生を変える出会いが小説ネタになるほど多い
私には人生を変える程の出会いというのは父だけです、だから平凡な人生でした
どちらが幸せなのか?比べること自体がナンセンス、意味の無いことです
死線を幾度も超えてきた父には親友がいたかも知れません、それらしい人も知っています
昔の人は自分を疑うことなく、真剣で本気で人生と向き合っていましたね
だからこそ男と男の固い友情も生まれたのでしょう

失礼しました (yottin)
2019-03-24 19:16:17
Monaさまでしたね、ごめんなさい

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