アフィリエイト広告を利用しています

2019年10月07日

入り江のなごり 江戸城日比谷濠

<日比谷濠>
shirononagori371 (7).jpg
いわゆる皇居のお濠です。今回は旧江戸城の濠の一部は、かつて海の入江だったという話です。

まずはこちらの絵図から

<道灌時代の江戸城>
shirononagori365 (4).JPG
東京国際フォーラムの太田道灌像付近で撮影したものです。道灌は江戸城の築城者として知られていますね。その当時の江戸城の姿です。立派な城ですが、のちの江戸城と比べればコンパクトですよね。城の左側に水辺が描かれていますが、これは江戸湾(=東京湾)が陸地に入り込んだ部分。つまりの入り江です。そして城の手前にはこの入り江に繋がる天然堀。どこまでが入り江で、どこからがそこへ注ぐ川なのか分かりませんが、道灌はこういった地の利を活かして江戸城を築城したことが伝わってきます。

当時あった『日比谷入江』は、現在の新橋付近から北へ向かって大手町付近まで達っていました。江戸城は徳川家康により大規模な拡張工事がなされますが、改修後の日比谷濠馬場先濠和田倉濠はこの日比谷入江のなごりとされています。つまり、道灌時代の天然堀の代わりということですね。

<日比谷濠>
shirononagori371 (1).JPG
こちらは南側(日比谷公園側)から撮影した日比谷濠。江戸湾の一部だったなごりです。

<日比谷濠>
shirononagori371 (2).JPG
今度は北側(馬場先口から)撮影。掘り起こして築いたのではなく、埋め残しで築かれた濠ということですね。

もうちょっと北へ目を向けると

<馬場先濠>
shirononagori371 (3).JPG
ここも入り江だったのでしょう

shirononagori371 (4).JPG
いい眺めです

更に北は

<和田倉濠と和田倉門>
shirononagori371 (5).JPG
どうもこの付近までは入り江だったようです。

<和田倉門跡>
shirononagori371 (6).JPG
江戸城三十六見附のひとつに数えられる和田倉門跡です。

和田倉のワダは、海を意味していたと考えられています。和田倉とは、ワダ(=海)に面したところに倉があったことに由来するようです。この名前自体が、海が入り込んでいたなごりということですね。

ということで
日比谷濠はかつての入り江のなごりというお話でした。同じく馬場先濠、和田倉濠も。ちなみに、昔の神田川の河口はこの入江だったようです。同じ景色でも、知れば見る目がかわりますね。

<夜のお濠>
shirononagori371 (8).jpg

■訪問:日比谷濠
[千代田区日比谷]



お城巡りランキング
posted by Isuke at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9280555
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)