2年ぶりに訪れて、記事を投稿しました。

 

LINEトラベルjp 一度は拝んでおきたい!大分「龍岩寺」の三尊像

 

 

<過去ログ>

 

龍岩寺のことを知ったのは、もう随分前で、大分県や院内町の制作するパンフレットやガイドブックでなく、いとうせいこう&みうらじゅんの『見仏記』だった。

 

この日、本耶馬渓町で時間を持て余していた私は、地図を広げて大分市までの帰路を模索していた。カーナビとかスマホを持たないので、いつも地図頼み。

ちょうど目の前に通る国道500号線を東に山越えすれば、龍岩寺へと続く道があることに気づき、久しぶりに三仏を拝観することにした。

 

十数年ぶりに訪れた龍岩寺は、駐車場がきれいに整備されていて、龍岩寺茶屋なる店なども出来ていた。休みだったけど。

 

 

小雨で石段が滑りそうだったので出来るだけ小さな歩幅でゆっくりと登りながら、奥の院以外の記憶を呼び起こしてみたが、何も思い出せない。

御堂で拝観料を支払い、ふと左手を見ると、池がある。

池?

池などあっただろうか。ぼーっと眺めていると、目の前を猫が横切った。

猫?

猫は以前もいた。こやつではなかったが、確かにいた。

富貴寺の大きな猫と違い、こちらの主はやせ細って俊敏な動きである。

こんな風にどうでもいい事は案外覚えているんだな、と自分のことながら少し可笑しかった。

 

ここから更に200メートル登ると奥の院だ。

再び石段をゆっくりと踏みしめていく。

 

 

途中、岩を掘り抜いたトンネルが現れた。

これも記憶がない。

 

 

 

ああ、やっと見えてきたよ。

 

 

大友宗麟によって下の本堂などは焼き払われたが、奥の院に鎮座する薬師如来・阿弥陀如来・不動明王の三座像は、運良く生き残ったというわけだ。

はやる気持ちを抑えるようにして礼拝堂に入ろうとしたが、ご住職らしき方から「入ってはいかん。外で待ってなさい。」と追い出されてしまった。

しょうがないので岩の上に腰掛け、待つことにした。

中で何をしているか分からないが、時折「バシャッ」と聴こえてくる水音から、聖水のようなものをあちらこちらにかけてお清めをしてるようであった。

しばらくすると般若心経が始まる。

 

岩窟から遠くの山を眺めてみる。

辺りは霧で包まれ、小雨の静かな雨音は茂った杉林や草花に吸い込まれていくようにしんみりと静まり返っていた。

その景色は、初めてなのに、最近見た景色と酷似していた。

伊予ノ国四五番札所岩屋寺の仙人窟からの眺めだ。

ココは、本堂の横の岩壁にあり、梯子を使って登らねば辿りつけない。

私は高所恐怖症なので少しためらったが、ここまで来て見ないで帰るというのももったいない気がして思い切って登ってみると、幽玄な深山に霧が広がっていた。

空海はこの霧を海にたとえて「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」と謳い、山号を『海岸山』と称したという。

 

岩屋寺の仙人窟からの眺め

 

岩屋寺の風景を思い出していると、思わず自分は今、四国にいるような気がした。

しばらくして、読経も終わり中に入ることを許された。

 

礼拝堂に正座し、三体の仏像を無心で見つめる。

 

岩窟に座しているせいか、シンプルというかミニマルな表現の仏像は、石仏の雰囲気を醸し出している。彩色などもなく、素朴というか、敢えて例えるなら、さっき耶馬溪で食べた『もりそば』のような感じだ。

 

何も語らないが存在感のある『もりそば』

 

この日は、どういう訳か、仏像の写真を撮る気にならなかった。

もともと仏像そのものよりも仏のいる空間や自然に溶け込む景観が好きなので、といえば理解してもらえるだろうか。

 

ご住職と少し会話を交わして、本堂にも立ち寄らず散策を楽しんだ。

もりそばのような仏像を見てみたいという方は、是非、ご自身の目で確かめていただきたい。

 

 

 

 

でわ!