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密教の世界(その3)

2019-09-17 10:42:47 | 日記

久しぶりです。ブログ。

今回は、長々と相当に気を張り詰めて仕事してたので

いっぺんに二ツのことができない私の性格上、

ブログはあえて見ないようにしておりました。

昨日、ようやく仕事の一区切りがついて、ちょっとぼんやりしています。

ひたすら寝てやる、

今はそんな感じです。

 

今の仕事は、中々に緊張感があって、これはこれで悪くはない。

「日々新境地を味わう」

そんな感じで楽しんでおります。

(もしかするとこれが一生で最後の充実体験かもしれませんしね)

 

ところで、前回「密教の世界(その2)」で

「人類全体の精神世界の構造」

という言葉が出てましたが、

これは意味深です。

つまり我々は「個」として生きているわけではない

ということだと思います。

「人類全体の精神世界」

いい言葉だと思います。

 

今日は、この続きです。

池口恵観ワールドをお楽しみください。

 

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平成29年12月11日東京高野山東京別院にて  430名参加

池口恵観「第4回密教特別講演会 神秘の要諦を学ぶ」

 

池口師は、

密教とその奥義である修法は、師資相承で伝えられ、誰もが習得できない、

という伝統について、

「密教とは、秘密の教えであり、

秘密とは、神仏の大いなる力を神仏に代わり使わせていただく、

ことを意味する。

誰もが使用を許されないのは、

悪人や悪霊に秘密の力を利用されれば、

世の中だけでなく、眼に見えない世界も揺らぎだすからである」

とした。

また

「密教では、

秘密瑜伽の修法を以って宇宙と一体となれば、

自らが存在しているその場がすべての中心となり、

そこから宇宙全体を動かせる、

という奥義がある。

その要諦は、

自分と言う個体とそれが発する波動を、

自分が宇宙そのものである、

という意識に変換させれば、

自分とそのエネルギーは、

宇宙と宇宙が発するエネルギーに合致する。

そのとき、宇宙の波動は自分自身のものとなり、

その波動を自在に操ることができる。

これが三密瑜伽のイメージである。

 

宇宙は万物を生み出すだけではなく、

絶えず創造活動を続けている母体であり、

癒す力と創造的なエネルギーで満たされている。

眼に見えない宇宙のエネルギーは遍満し、

互いのエネルギーの相互作用によって影響を及ぼし合う。

 

私たちの周囲に未知の物質エネルギーが偏在する

と言うことは、

世界中の科学者が指摘しているが、

現代科学では解明されていない未知のパワーは、

昔から風水では「気」と言われ、

密教では加持祈祷という神秘の力として利用され続けてきた。

古代から人類は未知の力をうまく『取り入れる』ことで、

健康や幸運、方策をもたらし、

諸々の良い効果を生じさせることができる、として活用してきた」

 

と、神秘の力の根底にあるエネルギーの存在をわかりやすく解説した。

 

「私たちは、日ごろの生活の中で、

誰かの言葉や行動が受動的に記録され、

自分自身に限界があると信じ込んでしまう傾向にあるが、

そのこと自体に気づいていないため、

自分自身の夢や前人未到のものに立ち向かおうとしても、

潜在意識に自分の限界がプログラムされ、

可能性の障害になっている。

だが、

実体験に即した成功哲学を潜在意識に刷り込ませて上書きし、

固定観念化された考え方そのものをシフトすることで、

奇跡的な力は発揮できる。

やり抜こうとする強い信念、

心が物質をコントロールする、

ということが神秘の力を生む鍵になる」

 

と解説し、会場では数多くの聴講者が熱心にメモをとる姿が見られた。

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池口先生は、日々の行を始め、

大変ハードなスケジュールの中で長い間活動してこられた方です。

毎月、主として弘法大師空海の書き残した「三教指帰」といった

難解な密教をわかりやすい表現で紹介し続けた『最友』の発行をはじめ、

数冊の本を発行され、講演やいくつもの大学で教鞭をとってこられました。

一方で信者からの相談会を定期的に開くとともに

世界各地での戦没者慰霊活動、

8000枚護摩行などの大イベントを100回以上も行うなど、

超人的な活躍をしてきました。

しかも大変な読書家でもあります。

人が一生という時間的制約の中でできる量を超えています。

 

そんな行者の言葉だけに、大変重みがあるわけです。

上記の講演録は、

いうなれば池口恵観先生の生涯をかけた到達点

としての「悟り」の世界といえるでしょう。

思えば、恵観哲学は、

中村天風先生の説いた世界

(宗教でもない、修養法でもない、健康法でもない、何物にもとらわれない教え)

とかなりダブります。

というか、どこからスタートしても「到達点」は同じということなのでしょう。

 

私たちにできることは、

深い苦しみや悲しみの中から「到達点」を知った哲人達が

人々にもその世界を知らせるべく著した本や言葉に少しでも触れること。

その「到達点」の感覚をわずかでも感じられたらラッキーですね。

なんだかおいしい果実だけいただくようで

反則気味ではありますが、、


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