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本当に戦争に負けたのは米国だったのかもしれない

2019-04-14 14:45:24 | 日記

今、上島嘉郎氏のメールマガジンを読んでいて、とても感動しましたので、

転載します。

 

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〈十五日正午、おそれ多くも、玉音を拝し、御詔勅を賜わり、涙のとどまるを知らず、言い表わすべき適当な言葉を持ち合わせませぬ。 万事は御詔勅に尽きている。陛下は限りなき御仁慈を垂れたまいて、悪魔の毒手から赤子を救わせたもうたのである。(中略)戦争は消えたのであって、勝負は決していない。〉

 

〈原子爆弾は聞けば聞くほど恐ろしい破壊力である。毒ガスなどと比較すべき程度のものではない。広島のような使い方を続けられたら、無辜の日本人は大半、滅するであろう。(略) この兇暴なる悪魔の大虐殺が、日本民族絶滅のために連続使用されるとなれば、かりに戦局が日本に有利に進展しつつある場合たりとも、やはり戦争はやむのである。原子爆弾によって戦争は消えたのであって、勝負は事実の上において決していない。ただ日本が敗戦の形式を強要されたに過ぎないのである。(略)
戦争の旗印は正義人道である。米国は殊にこの点を強調してきた。正義人道の旗印を目標として争っておるところが戦場である。この旗印が撤去抹殺されたところは、もはや戦場ではなく、戦争は消えたのである。(略)
ダムダム弾や毒ガス程度のものさえ、戦争には禁ぜられている。国際条約により禁ぜられておる以上のものを、武器として研究することは既に条約違反であり、正義の放擲であり、人道の無視である。さらにこれを製造し、戦場に使用するは罪悪である。さらにさらに、これを無辜の市民に無警告に用うるにいたっては、人類の仇敵として一日も許すべきでない。米国がその肇国の国是たる正義人道をみずから放擲したのは、みずから敗けたりというべきである。〉(同)

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これは、出光興産の創業者出光佐三の言葉で、終戦2日後に社員に向かった述べたものです。

その上で、社員全員にこう述べています。

 

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〈私はこの際、店員諸君に、三つのことを申し上げます。

  一、愚痴をやめよ。

  二、世界無比の三千年の歴史を見直せ。

  三、そして今から建設にかかれ。

  愚痴は泣き声である。亡国の声である。婦女子の言であり、断じて男子のとらざるところである。ただ昨日までの敵の長所を研究し、とり入れ、己れの短所を猛省し、すべてをしっかりと肝の中にたたみこんで、大国民の態度を失うな。  三千年の歴史を見直して、その偉大なる積極的国民性と、広大無限の包容力と、恐るべき咀嚼力とを強く信じ、安心して悠容迫らず、堂々として再建設に進まねばならぬ。〉 (『出光五十年史』、木本正次『出光佐三語録』ほか)

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米国は、沖縄戦で甚大な被害を受け、軍内には厭戦気分が広がり、日本との戦争に疑問を呈するものが増えていました。

実際、ニミッツ提督をはじめとする軍や米国内に日本との講和を模索する動きが始まっていました。

余談ですが、激戦地ペリリュウにニミッツ提督の石碑があり、

そこには

 「諸国から訪れる旅人達よ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心を持って戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」

とあるそうです。自国兵でさえ消耗品と考えるマッカーサーとは、大違いの本物の軍人です。

ニミッツ提督が太平洋方面軍ではっきりとしたトップだったらよかったのにと思います。

 

ところが、それをマッカーサー(米国内でも未だに悪評高い)が、戦争続行を強行したわけです。

硫黄島の無駄な総攻撃、フィリッピンマニラへの住民の命を無視した猛爆撃。あげく沖縄戦での敵味方の被害を顧みない消耗戦。

ただただ、開戦当初、フィリピンから日本軍に追い出されたという個人的恨みだけで戦争を継続し、

部下たちでさえ、その指揮には付いていけないと、嘆かせた男。

 

そんな男に対日戦の一翼を任せたルーズベルト大統領

(後に、フーバー元大統領から「彼は気が狂っていた」と言われた)

共産主義の防波堤となって、ソ連の南進を押さえ、

米国に協力し、かつ国際ルールを守って行動する日本を

敵と見誤り、

というより故意に敵と定め、

共産主義のシンパ達が集まった政権幹部とルーズベルトが、

日本への経済封鎖(それ自体が戦闘行為)やさまざまな嫌がらせの限りを尽くし

なぜ、米国がここまで日本を敵対視するのか、

まるで理解できないままに

「日米決戦やむなし」を東条首相に決断させることになったわけです。

 

米国との国力の差は国、軍ともに圧倒的との分析が出ており、

はじめれば100%負ける、

とわかっていました。

それでも戦争をするしか、手段が残されていなかった。

後にあの大ばか者マッカーサーでさえ、

「私が日本の立場だったら、戦争と言う手段しかなかっただろう」

と言っている。

いかに米国に日本が追い詰められていたかが、わかるだろう。

石油の8割を輸入していたほど、米国を信じていたのだから。

 

 

それでも小国(経済的に見ても今の日本の比ではない)日本は、踏ん張りました。

なぜ、米国と戦わねばならないのだ、と思いながらも、、

大国アメリカに勝てるとは思っていないから、

最初から防御戦です。

ともかく米国の太平洋艦隊の主力基地ハワイをたたき、

日本周辺の防御を固め、

全面戦争にならないよう、気をつけました。

ですから、十分に米国本土を攻めることも可能だったのに

それはしませんでした。

とにかく強い打撃を与え、日本と戦うことに益がないことを気づかせ、

すばやく講和すること。

この無意味な戦争を終わらせ、

かつ日本が敗戦せずに済む方法

「早期の講和」、これしかなかったわけです。

ところが日本はミッドウェーで思わぬ大敗北を喫してしまい、構想が壊れます。

 

これをきっかけとして、態勢を立て直した米国の大攻勢が始まりました。

ところが、意外に日本軍は強く、思うように進軍できません。

パラオの人たち(だったと思うが)

「身体も小さいのに、本当に日本軍は強かった。」

と今でも語り伝えているそうです。

米国は、各地で日本軍の粘り強い抵抗や反撃に合い、

被害が拡大していきました。

戦争を早く終わらせようとあせる米国は、

焼夷弾を使った日本本土への無差別爆撃を行います。

焦土作戦です。女子供といえども誰彼かまわず焼き殺そうというのです。

 

それでもなかなか負けない日本。

さらには、住民を巻き込んだ沖縄戦における3ヶ月あまりの激戦。

そのあまりに粘り強い抵抗に、気が狂ってしまう兵士が続出し、

これ以上対日戦を続行することに不安を覚え、停戦を考え始めた米国

 

ところが、ソ連共産党に後ろから操られている米国は

ついに人類禁断の兵器「原子爆弾」を2度も使用したのでした。

たとえ、敗戦国になろうとも使ってはいけない兵器です。

米国は、人類そのものを敵に回すかのような行為を行ったのです。

 

 

出光佐三が言っています。

再度、掲載します。

〈 ダムダム弾や毒ガス程度のものさえ、戦争には禁ぜられている。国際条約により禁ぜられておる以上のものを、武器として研究することは既に条約違反であり、正義の放擲であり、人道の無視である。さらにこれを製造し、戦場に使用するは罪悪である。さらにさらに、これを無辜の市民に無警告に用うるにいたっては、人類の仇敵として一日も許すべきでない。米国がその肇国の国是たる正義人道をみずから放擲したのは、みずから敗けたりというべきである。〉

 

 

結局、冷静に振り返ってみれば、

あの戦争で本当に負けたのは、米国だったのです。

今は、米国はこの点から眼を背けようとしていますが、

いつまでもできることではありません。

原爆を使用したことは、

後々、歴史を経るごとに

米国の汚点として、

米国民の心に広がっていくでしょう。

 

その歴史の見直しの動きのひとつが

オバマ元大統領の広島での献花だと言えます。

どう眼をそらそうとしたところで

米国のやったことは、「人類の仇敵」行動として

人類史上に残り続けるのです。

 

 

最後に、もう一つ

マッカーサーとGHQによって解釈を捻じ曲げられた

「八紘一宇」

という言葉があります。

この言葉も見直しておく必要があります。

本来の意味は

「万民の幸福を求め、他国からの支配を開放し、日本は開放下においた国々の人々と兄妹のように睦み合い、共存共栄を目指す。 それが『八紘一宇』、日本の理想である。」

 

皆さんも身に覚えがあるでしょう。

世界平和を願う気持ち

世界中で内戦などで苦しんでいる人たち、

貧しくて、教育をまともに受けられない子供たち

の存在を知ったときに感じる

「なんとか助けられないものだろうか。皆が共に幸せになれないものだろうか」

という感覚。

それが、本来の「八紘一宇」なのだと思います。

これは日本人独特の文化なのです。

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