高島平が遠い……。
とか言いつつ、行き慣れた感が強すぎて、高島平駅に着いたら「私はここに帰ってきた……」みたいな厨二病的台詞を吐く勢い←黙れ
A small theater of odd
個室
バルスタジオ
4月11日(木)〜14日(日)
脚本・演出
萩原 成哉
出演
鵜飼 主水:自分・オレ・ボク
小栗 諒:自分・オレ・ボク
栗生 みな:自分・オレ・ボク
持田千妃来:自分・オレ・ボク
※敬称略・五十音順
ガチ泣きしすぎて、周りのお知り合いの皆様に介護されての4日間。
世間様の優しさに甘えに甘えて生きております。
その節はお世話になりました(土下座)
このお話ね、主人公になる『自分』にこれでもかと不幸が襲いかかるのですが、降りかかりすぎて、え、思いついた不幸詰め込んだの?という感じがしないでもないのですが、自分をあそこに追い詰めるためならそう来ますか……え?鬼なの?と、真顔で聞きたくなる約70分
5年ほど前に成さんが書かれた本らしくて、その分に若干の若さが感じられます。
特に自分の「不幸」の方向性、悲惨すぎてねぇ。
で、これ、本気の厨二病を経て、良い歳になった大人なので、下手したらしらっとなりそうなものなのですが、それをさせないのが演じるoddメンバー、結果「何言ってるか判らない」って終演後に成さんに笑われるまで号泣するっていうね……
「にゃりゅしゃんこんにゃのひろい……うわぁん」みたいな、ここまで泣いたの久しぶり。
ちなみに、感情起因による涙はストレス物質も流す作用があるらしくって、泣いてスッキリするっていうのは本当にあることなのですよ。
で、4日間、感情起因で泣きまくったのでぐったり疲れるのですが、ストレス物質は流れたのでしょう、きっと。
観劇中、嗚咽こらえるのに下唇の内側噛みすぎて若干口内炎とか内緒、アホすぎる
お衣装は白で統一、舞台が黒くて真ん中にぽつんと置かれた便座は白。
だいたいはブログの写真はパンフレットの表紙をUPしているのですが、この舞台においてはこの写真でないといけない気がした……。
T◯T◯のショールームかよとばかりにスポットを浴びた便器を写真に納めまくりました。
役は『自分』『オレ』『ボク』の3役のシャッフルキャスト、毎日、毎回配役が違う舞台。
『自分』が目覚めるとそこには便器が1つ、困惑していると現れたのは『オレ』と『ボク』
彼らは「紐」と「ナイフ」をそれぞれ『自分』の前に残してゆく。
『オレ』と『ボク』は2人で1人
『自分』に寄り添い、励まし、叱咤し、優しく見守る、そんな存在。
「ここにあるのは君に関係のあるものだよ」そう言われて『自分』が思い出したのは。
脚本を書いた成さんが本気出しすぎた作品。
客席側が終演後にSAN値死滅で放心する舞台であり、号泣する舞台。
『オレ』と『ボク』は本当に仲良しで、仲良しな感じを明確に演じられれば演じられるほど、『オレ』と『ボク』の最初の無邪気なやり取りにメンタルがやられる。
開始10分ぐらいで「あ、これダメなやつ」って悟る舞台。
『自分』が目覚めるとそこには便器があるだけ。
状況がわからず、とりあえず唯一座れる場所「便座」で悩む。
タイトル「個室」です、まんま「個室」です、ただ、こんなにも号泣できる「個室」はないし私の人生史上もっとも存在感のある「便器」の登場です。
この前に私はSECWを観た。
脚本家はこの舞台と同じ萩原成哉という人物で、私はSECWで「生きているだけで大勝利だ」という台詞に「そうだよね!」と涙したはずなのに、同じ人の脚本で2週間後に「自死」という選択肢を選んだ主人公の話を観てる。
脚本の書かれた順で言うと個室→SECW、私が観た順はSECW→個室、なのでこの間に成さん自身の見せ方とか伝え方も変わったんだと思うのですが、多分、伝えたいものは同じで見せ方が真逆だから2週間のブランクだけでこれを観ると、本当にしんどい。
先のSECWでの言葉は中学生時代に虐めにあっていた彼に対しての、言葉。
「よく生きてた!生きているだけで大勝利だ!」と言われて「ボクは恋をして良いのかな?」と自分という存在を肯定されたことに対して主人公の1人が呟く言葉。
この脚本の2週間後に自死を選んだ人間の物語が来て、一挙に情緒不安定です。
しかも、虐め→自死、と進むのではなくこの『自分』が生きたがっているコトが強く伝わるだけに遣る瀬無い
学校に居場所がなくてお手洗いの個室に逃げ込む『自分』はある日、もっと酷い虐めが行われている現場に遭遇。
一旦は個室に逃げ込んだものの、再び虐められていた人物の元に行くと縛られていたロープを切って助けるのですが、その相手が笑う、笑って歩き出して、その後ろをただ着いて行くように歩いていた『自分』の目の前で屋上のフェンスを乗り越えて飛び降りる。
『自分』の中に、飛び降りる直前になぜ笑ったのか?生きていると笑えなかったのか?と言う疑問が生まれるのですが『自分』は割と自分と言う人間を客観的に見ることも出来る人物だったのではないかと思うのです、自問自答する相手は『自分』の内面の『オレ』と『ボク』
基本的には『オレ』も『ボク』も『自分』なので自分の意志の確認、と言う感じなのですが、この時、一旦は『オレ』も『ボク』も『自分』に「生きろ」と、そう言い『自分』も「生きる」コトを選択するのですが、その後で虐めなどよりさらに残酷な現実が『自分』の前に現れた時に「死」を選びます。
死んだら色々なものから解放されて、もう解放されるコトしか道は無いとそう思いながらも、生きたがっていると言う矛盾。
生きたい、でも死ねば楽、何より「笑える」から『自分』は「死」を決断。
私は、ガチでヲタク側の人間だったので異質なものに敏感なお年頃の中学、高校あたりはハブられた側の人間ですが『自分』のように死にたいと思ったコトはなく。
もちろん『自分』のような悲惨な環境に置かれたこともない、家に帰れば普通に両親がいて、祖母がいて、弟がいて、あとヲタク故にこの頃から私の世界は学校じゃなくて外に向いていたのが大きいかもしれない。
基本臆病なので、どんな死に方でも怖くて出来ないし、何より中学卒業して高校1年の夏に、立て続けに同級生のお葬式に出たからかなぁ。
高校入学時の健康診断で発見されて、10代の成長期なので進行が早くて、夏に亡くなったそうなのですが、数ヶ月前に卒業して別れた顔と全く知らない制服姿で同級生のお葬式で会うのは中々に不思議な感覚でした。
ただ、同じ幼稚園、小学校、中学校だっただけの男子ですが、居なくなったというのは衝撃的でした。
で、その同じ夏に、また男子が今度がバイク事故で亡くなって、やっぱり幼稚園から一緒だったのでお葬式に行って。
前の彼は病死だけど、今度は事故死で加害者の奥様がお通夜に来られて居たようで、彼のお母さんがめっちゃ泣きながら怒鳴っていたのがやっぱり衝撃的だった。
で、お通夜のお焼香待つ間ずーっと「うちの子を返せ!!お前が死ねっ!!」ってお母さんが怒鳴って、奥さんの方が土下座しているのを見て、聞いていたのですよ、こう……なんというか「そうか、親より先に居なくなるってこういうコトか」っていう感じが強くてねぇ……
その後、20歳の従兄弟をやっぱりバイク事故で亡くして、歳も離れていたし、性別も違ったのであんまり、遊んだりした記憶はないのですが、まだ赤ちゃんだった頃に抱っこしたり、おんぶしたりはしていたので「可愛い従兄弟」ではあったので、連絡もらって、口ついて出たのが「なにやってんの、あの子……」でした。
その後の叔父や叔母の憔悴っぷりも酷かったし、なんなら叔母は今だに情緒がちょっとおかしいなとマジで思う程度には壊れたままなんだと思う。
それからだいぶして同居していた祖母を亡くしたんですが、前と違って穏やかで「大往生」だよね良かった良かったって感じでお通夜もお葬式も終わったんですよ。
なにが言いたいかというと、よくわかんないけどだから私は少なくとも「若い」うちの死というものに関しては凄く怖くなったのですよ。
だから病気や事故はともかく「自殺」という選択肢は私の中では本当に無かった。
外で付き合いのある人が社会人だったりしたのもあって「こんな幼稚な奴らのせいで死ぬとかないわー、ありえないわー、こんなお子ちゃま相手にー」ぐらいの、まぁ、そこらへんが態度にも出てたから余計にいじめられる結果になったんだと今なら思うし、なんなら反省する(苦笑)
だから「自殺」する人を否定はしない、けど肯定もしない、ただ勇気があるなとは思う、ぐらいの人間なのです。
虐めで自殺のニュースは後を絶たないし、なんなら私の頃より陰湿さが増してるし、追い詰められたらこうなるよねと思いつつ、あと数年我慢したら、外の世界は広くて楽しいんだよ、狭い学校なんて世界を笑っちゃうぐらい外の世界は広いのにな……という、なんとも言えない残念な気持ちにもなる。
でもこの舞台で死ぬことを決めた、というか死んだ『自分』に対して何故自分達を殺したのかと、『オレ』に『ボク』を殺させたのかと『ボク』は『オレ』に殺されたと訴える2人と、それに対して、死にたくて死んだんじゃないと訴える『自分』のやり取りに、こういう幸福の得かたもあるのかと、妙に納得もした。
生きたいからと生きたら手に入らない幸福を死にたくないけど死ぬと手に入れられるのか。
ものすごい矛盾なのに、ロジックとしては完璧だよな、という気分になるというかそもそも、これを決めた人間を論破なんて出来ないなと、思い知らされる脚本。
死にたくて死んだんじゃなくて、死なないと手に入れられない「何か」の為に死を選んだんだろうなという、矛盾してるのに崩せる気がしないロジックが完成されていて、成さんの脚本本当に凄いな、と思います。
『ボク』が死を望んだ訳ではなく、『オレ』が望んだ訳でもなく『自分』が決断した「死」
成さんが描きたかったのは「死」じゃなく、もちろん自殺への美化や賛歌でもなく明確に「生」だと思うのはこのやり取りの間、『自分』の答えを『オレ』も『ボク』も否定するんですよね。
出口が見えたというのに出口を探すのを諦めただけと言い、答えは近くにあったというのには今まで見なかった答えだから近くに感じただけと言い、決定権は『自分』でもそこに到るまでの葛藤として『オレ』も『ボク』も『自分』の言葉を否定するの。
そうして、それでももう『自分』の目の前には答えと出口があって、それは望んだものではないとわかっていても『オレ』も『ボク』も最後は『自分』に「死ね」と、そう言います。
そして「死ぬよ」と答える『自分』
この「死ね」を声を限りに言い続けるんですよ『オレ』と『ボク』が
「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!!!!!」
狭い劇場内に響き渡る「死ね!」とそんな『オレ』や『ボク』に言い返す『自分』の
「死ぬよ!死ぬよ!死ぬよ!死ぬよ!死ぬよ!死ぬよ!死ぬよ!!死んでやるゼェ!!!!」
が、聞いていて心に痛すぎてしんどくて無理。
そして、この前に自分も死ぬときには笑えるだろうか?と、疑問を口にした『自分』に対し「死ぬな!生きろ!」そう言う『オレ』
「生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!生きろ!」
『オレ』や『ボク』にそう力の限り叫ばれて
「生きる!生きる!生きる!生きる!生きる!生きる!生きる!生きる!生きる!生きるよ!」と、叫ぶ『自分』がいる、のに……
でも、この時の「生きるよ!」はちょっと戸惑っている感じがするのです。
戸惑って、それでも「生きる」ことを自分は選んだ、はずなのに……。
メンタルおかしなるわこんなもん……
そうして、舞台中暗い表情のままだった『自分』は自殺の仕方を『オレ』や『ボク』と会議。
ここで、めちゃくちゃ楽しそうなんですよ、最初のシーンでの『オレ』と『ボク』のやり取りと一緒で、え〜それはないなぁ、他には?みたいな無声でのシーン。
そして、締め上げられる方を選んで紐を首にかけると『オレ』に手渡して、唯一、自分に暖かかった場所、個室での死を迎えます。
『ボク』に手を取られて『オレ』に抱きしめられて、ラストは3人共が眠っておしまい。
視覚的には『ボク』と『オレ』に寄り添われての最期ですが、独り何だよなぁ……。
『自分』は独り、個室の中で息を引き取ったんだよなぁ……死んだんだよなぁ……(号泣)
そして、この明るいライトの下での無声のシーンが、冒頭の暗転の中で聞こえていた『自分』の独り言の正体かとなって、2回目の観劇から冒頭の暗転中から泣けてくる、メンタル惨殺案件
メンタルおかしなるわこんなもん……(2回目)
『自分』は幸せなのか、そうか……救われたのか、良かったね、って気持ちになるから、成さんの書く脚本は本当に本当に……天才かよ、ってなる。
めちゃくちゃ辛いのにやっぱり「まぁるくって、ちっちゃくて、さんかく」なんですよ。
この『自分』と『オレ』と『ボク』を誰が演じるかで舞台の雰囲気が変わる舞台でした。
自分の感想を思ったままに勝手気ままに書くブログなのであくまで私の主観です(重要)
鵜飼『自分』は繊細で優しい
小栗『自分』は繊細で気弱
栗生『自分』は繊細で脆い
持田『自分』は繊細で強い
と言う私のイメージで『自分』は基本的に「繊細」でもその後が違う感じ。
鵜飼『オレ』は強気で気弱
小栗『オレ』は強気で繊細
栗生『オレ』は強気で優しい
持田『オレ』は強気で明るい
『オレ』は『自分』がおかしい、だめだと思うコトに対してでは行動しろと背中を押す感じ。
自分自身なので実際に押すわけではなくて『自分』が行動するための決断を担うのかな〜?
鵜飼『ボク』は弱くて臆病
小栗『ボク』は弱くて優しい
栗生『ボク』は弱くて繊細
※『ボク』の持田のちー様のみ拝見出来なかったので割愛、拝見したかった……。
『ボク』は『自分』がおかしい、だめだと思うコトに対して一旦噛み砕いて思考して、じゃぁ、こうしようね?と言う『自分』の繊細な部分の大元では無いかと思うのですよ。
『自分』が考えて『ボク』が導いて『オレ』が行動を促す、そんなイメージです。
そして『ボク』は逃げを許して『オレ』は許さない、『ボク』は見たくないものを見ないで、『オレ』はそれをちゃんと見る。
自分というものに対しての肯定が『オレ』で拒絶が『ボク』という感じ。
イメージとかと違うと思われそうですが『ボク』は弱いから拒絶する、助けてもくれないような、口先だけの言葉だけなら届かない、そういうところがあるのが『ボク』
でも『自分』を促すこともちゃんと知っているのが『ボク』かな、イメージ的に一番存在が捉えにくい気がするのが『ボク』です。
ただ、『オレ』と『ボク』は『自分』と言う1人の人物の思考なので、基本『自分』には逆らえないし、逆らわない、受け入れ見守る位置にいるコトは確かです。
ボクとオレは2人で1人「双子みたいな?」と『自分』に聞かれてまぁ、それでも良いか、と受け入れるのですが、ちー様『オレ』と鵜飼『ボク』は言った『自分』も疑問形だし、言われた本人たちも首を傾げると言う、初めての若干否定が入った回(笑)
この『オレ』と『ボク』の2人だけのシーンで『オレ』は『ボク』を殺します。
『ボク』は『オレ』に殺される方法を模索、最初にロープで吊るし上げられるか締め上げられるの2種類、からの「ナイフ」はどうだろう?と、ボクがナイフを取ってくる間に、『オレ』はナイフを使って『ボク』を殺すイメージトレーニング。
『オレ』がはっちゃけ過ぎてて『ボク』が引くって言う。
個人的に鵜飼『ボク』がナイフ持って振り返ったら、満面の笑顔で「あはははははは!!」と高らかに笑いながら無邪気にナイフを振り下ろし続けるちー様『オレ』が好きです(笑)
鵜飼『オレ』が好きなのは引き裂く系……だいたい、バリバリバリって引き裂いてた。
小栗『オレ』の誰かのマネなナイフ捌きも好き、鵜飼『ボク』に「え?そんなに華麗に切ってもらえるの?」みたいに聞かれて「そうでもないんじゃない?」て笑顔で返したの好き(笑)
あと、刃の部分をベロォっと舐めて猟奇殺人、サイコパス風味な小栗『オレ』も嫌いじゃない
あと、栗生『オレ』が本気出し過ぎて、手を負傷。
みなちゃんの本気が本気な上に全力で、殺されるはずの鵜飼『ボク』が心底心配する事態。
この舞台で大笑いできる場面なんて、ここぐらいなのですが、ここ笑うけど舞台で進んでいるストーリーは『オレ』と『ボク』による自殺の仕方だからね?
真顔で成さん、頭おかしい(おい)ってなる……、なんでこの場面の『オレ』も『ボク』も、仲良しなんだよ、なんで躊躇いなく紐の端を『オレ』に渡せて、なんであんなに優しく殺す相手である『ボク』に「いくよ?」って聞けるんだよ……。
和気藹々、無邪気にどうする?これはどう?と話し合い、方法を決めたら『ボク』は『オレ』に首を締め上げられて殺されます。
もうね「あああああああ!!萩原成哉ぁぁぁぁぁ!!ちくしょー!!!!」ってゴロンゴロン転げ回って訴えたいシーン。
『オレ』と『ボク』が仲良いんですよ。
いや、回を重ねるごとに『オレ』と『ボク』のやり取りが双方の和解が絶対に必要なやつ、になってくるんですが(笑)
3日目ぐらいから『オレ』と『ボク』の息切れが凄かったです(苦笑)
それはともかく、このやり取りに心と脳がバグ起こします。
成さんの脚本は心情と理解がバグを起こしやすい。
そのバグもあって、前回のMNOP『紡がれし詩』ではシェフとウィエイターが怖かったんだと思うのですが、今回もやってるコトは殺害、というか自殺幇助?かな?なのに互いが穏やかで、楽しそう過ぎて涙腺崩壊するし、バグる。
やがて『自分』は少しずつ記憶を取り戻して行きます、虐められて逃げ込んだ個室。
狭い空間の中にある便座の暖かさにホッとして、壁やドアに守られているように感じて、安らぐ『自分』
学校の友人に暖かさを感じられず、人工的に作られた暖かさのはずの便座に温もりを感じて、ホッとする『自分』の切なさにはがゆくなります。
そうして4日間(全日程高島平に通ったけど、全通ではない)終わったら、自分の家や駅ビルなんかのお手洗いで「あったかい……」ってなるようになったの、本当にもうちょっと誰か責任者に出てきてほしい……(自業自得)
男子’sはともかく、女子’sは必ず個室では座っちゃうんだからね!!
4日間メンタルズタボロで、会場に行く前に「はぁ……行く、か……でも、もうちょっと」って、会場に向かうための気力振り絞らないとダメな舞台は初めてでした。
朝起きて「今日も舞台だ〜⤴︎」じゃなくて「今日も個室だ〜⤵︎」だから、気力がそこからいるし、終演後には物理的にお肉食べて、エネルギーチャージしないと無理ってなった舞台でした。
私はあんなに苛烈で残酷な「生きろ」を知らない……。
私はあんなに優しく哀しい「死ね」を知らない……。
と、ここまで真面目(?)に書いてきてあれですが、最後によろしいでしょうか?
この公演、3役で出演者が4人、シャッフルで毎回違う役、違う組み合わせになるのですが、1公演だけ同じ配役で組み合わせの回があったのですよ。
ええ、初日初回と千穐楽ラスト回……両方の回を観たよね……
4日間の公演の1回目と10回目、組み合わせは違えど3人ともに『自分』『オレ』『ボク』を数回演じた上での初回と同じメンバー……。
寄り添う3人の距離感が初回よりも密になっていてだな……『自分』を殺す『オレ』と寄り添う『ボク』の距離感とか3人(?)の親密さとかさ……ねぇ、もう……
今、書きながら思い出して号泣しそうだし、ガチで胃が痛い……
先に書いた「生きろ!」の後のシーン、舞台上にスポットライトが当たる中を『自分』が、よろよろと歩いて行くんです。
生きるコトを決めた日から日にちが過ぎたコトへの演出なんですが、千穐楽、鵜飼『自分』がよろよろと歩き続けるのですが、ふらりと揺れて壁に倒れ込んで、BGMが大きくかかる合間に『自分』の泣き声が聞こえるんですよ、声をあげてるの、慟哭するの。
もうメンタル殺されるしかない。
主水さんの舞台を観始めてまだ2年と少しぐらいですが、この舞台ほど涙を流して号泣する、肩を振るわせて泣く彼を観たコトがなかったです。
そうして、舞台を疲れ果てたように歩いて、便器の横に膝を抱いて座り込む。
そこで父親と姉がどうなったのかが語られてからの「死ね!」「死んでやるぜ!」なのですよ
え?SAN値削られまくるしかないですやん
そうして、ラスト輪を作ったロープを自分で首にかけて『オレ』にその端を渡します。
主水さんの『自分』は最後まで微笑んでいるのですよ笑っているのですよ、千穐楽、首の縄を持つ『オレ』に、にっこり笑うんですよ……
私のメンタル持つわけねぇだろぉぉぉぉ!!!
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
それを最前列で観た私のメンタルが安らかに昇天しました。
そりゃもう、ルーベンスの『キリストの降架』を見たネロのように!!!
※たまに間違えられるけど、パトラッシュは犬だから……
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
無理ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!
以上、ご静聴ありがとうございました←
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こんなのあるんだ……