「国体」という言葉と歴史という財産(竹田恒泰著、日本人の原点がわかる「国体」の授業)

テレビでもお見受けすることの多い
明治天皇のお孫さんでもある
竹田恒泰さんの著書本を
縁あって初めて手に取りました
結論から申しますと
「読んで良かった」し
「もっと(他の著作を)読みたい」ですし
「多くの人に読んでもらいたい」
です
あとがきも含め188ページの本書は
文字も大きめで
1時間もあれば読了してしまうような
ボリュームですが
次に繋がる学び多き読書となりました






「国体」
聞きなれない言葉だったり
中には軍国主義的イメージを持つ方もいるかもしれませんが
先の大東亜戦争でアメリカをはじめとする欧米列国を正当化し
日本を弱体化することを目的としたGHQが使用を禁じた言葉であり
「国のアイデンティティの根本をなし
それを変えてしまうとその国ではなくなってしまう」
ものです
つまり
アメリカであれば「自由」
フランスであれば「平等」
支那であれば「中共一党独裁」
であり
日本であれば「天皇」
更に読み進めて行くと
「君主主権」でも「国民主権」でもない「君民共治」であることが解ります



天皇とは人類史上類まれなる存在です
通常の権力者は国民をも所有し国家を運営します
だからこそ君主と国民は対立するものであり
その対立の結果権力が他者に移ることになります

一方で天皇の場合は
国民一人一人の幸福を祈る存在と言われます
天皇は国民一人一人を子のように思い
国民は天皇を敬う
だからこそ前述の対立は起こりえませんし
国民と君主どっちに主権が?
といった欧米的な考え方が当てはまりません

先の敗戦で
天皇はご自身の命を賭して国民を守ると仰いました
東京裁判で裁かれた受難者をはじめとする国民は
天皇に責任はないといわれのない罪を自ら被りました
そこには
近江商人の経営哲学である「三方よし」をはじめ
「自分のことを後回しにする」
「他者のために汗する」
「正しく生きる(お天道様が見ている)」などからも見て取れる
「和」の精神がそれを可能にしています
そんな天皇と国民の強い結びつきがあったからこそ
マッカーサーも天皇の処刑を本国に思い直させたのでしょう



国民の価値観を形作る3要素といわれる
「自然観」「死生観」「歴史観」のうち
「歴史観」が他者によって書き換えられ70年以上が経ちます
既にGHQによる教科書検閲はとうの昔になくなりましたが
それを律儀に守っているあたりは
日本人の気真面目さが悪く働いているのかもしれませんね
(はたまた続ける事で利益を得る人が存在するのか??)

私は日本人として大切なものが
失われつつあるのではないかと思います
外交などを見ていても
本来「自己の主体性を保ちながら(譲れない一線を理解した上で)
他者と協調すべき「和」ではなく
無分別で協調だけを追い求める「同」に感じられるのも
その理由のひとつです
無分別の協調は相手の悪意を助長し隷属に繋がるだけで
真の関係は成立しないのではないかと…



今年は皇紀1680年(西暦+660年)
現在国連加盟193か国中
千年以上存続しているのは我が国日本とデンマークの2か国
2千年以上ともなると日本のみです

著者が記していますが
鮭は1世代程度の知識や経験で
これまで受け継がれてきた安全な産卵場所を変えないそうです
何世代も蓄積されてきた知識や経験が
その場所を産卵場所と決めているのです

武漢肺炎(新型コロナ)対策も含めて
先行き不透明な時代と叫ばれる昨今
最も長く培われてきた歴史を活用しない手はありません

私たちにとって当たり前であった「もったいない」
が世界中でフォーカスされたことからも
まだ白人以外は動物同等と認識されていた時代に
「人類平等」を国際社会で提案したことからも
日本の和の精神は
将来的には日本人のみならず人類全体の財産になり得るのではないか!?
とすら個人的には思えてくるのです

そのためにもまずは
日本人自身が己の歴史を取り戻し
日本(人)として誇り譲れないものを理解せねばと思うのです
次は歴史から省かれてしまった神話を古事記を紐解き学びたいと考えています

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