死への興味。

人は死んだら何処へ行くのだろう?
本当に一切の無の世界へ行けるのだろうか?
悲しみも苦しみも痛みも嫌なことも綺麗サッパリ消えてハイ終わり!

或いは、
肉体がない魂だからこその自由な世界が待ち受け、
行きたい場所、逢いたい人の元へ
光の速さを凌駕するレベルで行けたり、
生きている頃には分からなかったすべての真実を知れたりするのか?
映画ゴーストのように想いを何かの力でそっと伝えられたりするのか?

はたまた、生きていた時間の中で一番幸せだった頃の自分に戻ってしまえたりするのか?

死後の世界はどうですか?
って、死んだ人に訊けたらいいのに。

あの世へ行ってみよう。

そう思った。


あの世とこの世をつなぐ高野山奥の院(一の橋)

奥の院の正式な参拝は一の橋からスタートする。ここから行くと弘法大師空海が送迎してくれる。

一の橋の正面にある案内所で観光マップを手に入れて、諸大名の墓石をガイドに沿って巡る事もできる。

一の橋(現世の川)中の橋(来世の川)御廟橋(浄土の川)を渡り、弘法大師御廟へ至る。

わたしは気の向くまま赴くまま歩く。


お墓だらけ。。

ここの春は新緑の青々しさは望めない。
血色の無いささくれた煤竹色の肌を露出する高野杉がどこまでも続いている。

瑞々しさを失った死者たちのようだ、
と思った。

隠しきれない荒涼さを敢えて毅然と訪問者に見せつけているのか。

武田信玄に呼ばれた。

スピリチュアルな世界では、よく、
神社仏閣に行き“呼ばれた”とか、
“呼ばれなければ辿り着けない”だとか言う。
かつてわたしも、
自分は選ばれているんだ!特別かもしれない!
と思っていた事があった。傲慢だった。
今は思わない。
神さま仏さまは誰も呼んでなんかいない。
会ったこともない人間を召喚しない。
ただ、こちらが好意を持って参らせていただく。
神さま仏さまとの向き合い方を正すと、
気づかなかった存在を強く感じるようになり、
姿を捉えることが出来るようになった。
そんなわたしが今回は、
武田信玄に“呼ばれた”、と思った。

わたしの家系が武田信玄の書記官をしていたご縁がある。
子供の頃、親から古臭いボロボロの家系図を見せられた。

武田信玄の墓前でベンチに座りながら、
ボーッと昔を思い出していた。

家系図はわたしの実家の勉強机の奥に仕舞った。
子供心に、凄いものを預かった気持ちになった。
わたしは実家を離れ、疎遠になり、
実家も失くなって、
家系図の存在すら忘れていた。
だからもうそれを見ることも出来ないだろう。
書記官をしていた祖先の名前も思い出せないなぁ。
でも、何の取り柄もないわたしが唯一
書くことが好きだったり、
自分を表現する手段として書くことを選ぶのは、
なにか祖先の影響なのかもしれない。
そんなことを思った。

空海が休憩したとされるところ

昼間でも灯籠が点いていて趣深い

中の橋のすぐ近くの木

何かいた。。
この木が気になり、うっかり中の橋の撮影を忘れてしまった…
(何かお分かりになる方おられたらコメント下さいね)



斜めのバランスを保つお地蔵さん



一の橋から空海の御廟まで2kmもあり、
この日は人通りも少なかったので、
ひとりで歩いているとだんだん心細くなってくる。
ときおりすれ違うのは、バックパッカー仕様の外国人。
ツアー客の団体はバスで来て、道のりをショートカットして行くのだろう。
たとえば悪い奴がいて、もしここで何か起こっても、死人はゾンビになって墓から這い出てわたしを助けてはくれないなどと思う。
そして、死んだ人は話し相手にすらなってくれない。
ただ歩く。
幹が3つ合体してみえる高野杉

豊臣家墓所


わたしはここであまり秀吉公を感じられなかった。秀吉公というより、母公のパワーが強いと思う。

京都の豊国廟に行かれた方から画像を見せてもらった時の方が秀吉パワーに満ちていた。

御廟橋そばの水向地蔵
ずらっと柄杓が並んでいるので、
水掛不動明王のように
目の前の地蔵に水を掛けてお参りしそうになるが
ここは『水向』なのでご注意を!

ご供養したい故人がいれば、
御供所で塔婆(経木)を求めて名前や法名を書いていただき、地蔵の前に納めて、塔婆に水を3回“手向け”ながらご冥福をお祈りする。

結局、水を掛けるのだが、
地蔵にではなく塔婆に掛けるということ。

いよいよ御廟橋を渡る。
素敵なご夫婦。お気に入りの1枚📸
正面に見えるのが灯籠堂

撮影は御廟橋の手前まで。

この先は撮影禁止区域なので、
以下画像はインターネット検索より拝借

灯籠堂
ここに入り左手にぐるりと周り正面に向かうと
弘法大師御廟だ。

真っ正面の画像
空海が今もなおそこに生き、入定(入滅)後、
1200年もの間、世界平和と人々の幸福を願い瞑想を続けているという。

わたしは腰を掛け、この真っ正面に向かい
空海の波動を感じた。

脳内の目眩!!(目は回っていない、脳内が回るという感じ)
意識が反時計回りに回る。

体調があまり良くない中訪れたからかもしれない、2kmも歩いて疲れたのかも?と思い、
確かめるために、いったん、灯籠堂の正面に出た。
すると、目眩のようなものが消える!

もう一度御廟の正面に向かうと、
やっぱり反時計回りに脳内が回る!

行ったり来たり繰り返してみたが同じだった。

空海は本当に今でも意識レベルでこの世に生きていて、人のために瞑想を続けているのだと思った。
空海が凄い人で空海という人の波動が強いと言うのではなく、
誰かのためを想い揺るぎない気持ちで祈り続けそれを届けたい!というエネルギー(念)がとてつもなく強いのである。
人ではなく想いの強さ。
このようなエネルギーを浴びると、
(前に経験したことがあるが)わたしの場合、
反時計回りに脳内が回るのだと知った。

御廟へ行って、
弘法大師空海のパワーを得ようなどと思ってはいけない。何かをもらえるとか、
ここはそのような類のパワースポットではない。
真剣な場所。
参る側も真剣な想いでもって空海に会いにいかなければならないと思った。

わたしは去年亡くなった母のお骨を持って
空海に紹介をして、弘法大師御廟をあとにした。



刈萱堂

刈萱堂には親族の書家が書を納めていると聞いていた。
昔は堂内にたくさん飾られていたそうで、
中でも『水の教訓』という水の流れに人生を例えた戒めの書は教科書にも載ったという。
わたしはそれをひと目見てみたくて、
数年前にここを訪れた。
見つからないのでお坊さんに尋ねると、
当時の住職が酒に酔っ払って暖をとるために
堂内の紙という紙を燃やしたというから
きっとその時に消失してしまったのでしょう。
とのこと…。。。オイオイ。。
しかし高野山の冬は相当寒い!
夏でも涼しいのだから。仕方ない。。

だから何も残っていないと思い込んでいたら、
現存する書を見つけた!!

前回もこの書を見た。確かにこれを見た。
でもまったくピンと来なかったのだ。
それなのに今回は、あっ!!と目を醒ますかのように気づいたのだから不思議だ。


実は高野山に来るまで
(厳密には高千穂の天狗を見るまで)
ブログを辞めようかと考えていた。
読者第1号さんにも相談したし、
メッセージを下さるフォロワーさんたちにも
辞めようと思っている旨お伝えしていました。
自分には本当に何も無い
面白い記事を書ける人は世の中にたくさんいる
何のために発信するのか
わたしの代わりはいくらでもいる
そんな気持ちでイッパイになってしまった。

しかし高野山で武田信玄の墓を見つけ、
刈萱堂で(何も現存していないと思っていた)親族の書を発見したりして、どれも偶然で、
書くことを続けなさい!と後押しされたような気がしている。

わたしが高野山であの世へ行き、
出会ったのは、
死んだ人たちではない。
“わたし”だった。


7/17、今日は天河大弁財天の大祭!!
行きたいなぁ。。でも体調がすごく悪いです😢
次の記事では天河大弁財天の神様画像をアップしますから、見逃さないでくださいね!
まりかく


《7/28  追記》
ブログ内で何度も書いてますが、
神社仏閣やパワースポットを訪れる時に
わたしは予習をして行きません。
先入観があると自分の感覚が鈍ってしまうからです。
また、自分の経験ですら
それに頼ってしまうと感覚を失ってしまう事がありました。
感覚というアンテナを常に働かせるということは、実は“観る事”“知る事”に直通します。
つまり、「だろうな」とか「かもしれないな」
といった“感覚を超える”のです。
(この話はまた別の機会に触れます)

今回、高野山を訪れて、
あぁもう高野山へは行かないなぁ。
って思いました。
(行くとしたら宿坊体験をした事がないので
親友の嫁いだ金剛三昧院に泊まろうかな〜
てなくらいで。)

高野山で受け取るべきメッセージは頂いたなと思ったのと、
真剣な空海さんの祈りの場を私如きが邪魔してはいけないという気持ちがあります。

なんとなく自分の中で、
高野山は完了!

だから、高野山について書かれた本を読んでみようと、やっと購入しました(*^^*)


桜井識子さん!
わたし大好きなんですけど、
先入観の元になりたくないので読めない…笑

識子さんのブログも、いつも、
ここには行かない(行けない)だろうな〜
って場所の記事しか読めず。。
行った場所の記事を(あれば)後から読むって感じなんですね。

それで今回、高野山についての著書を読ませて頂いたのですが、けっこう驚きました!

武田信玄に“呼ばれた”と、
わたしは書きました。
どうやら、すぐ横の勝頼さんに呼ばれたのだな。

勝頼さんは、勝頼さんをとても慕っていた家臣を冤罪によって処刑してしまって非常に後悔しているとのこと。

わたしのご先祖さまは武田家の家臣(書記官)でしたから、
まさか冤罪で殺された家臣がわたしのご先祖さまではなかろうと思いますが、
勝頼さんの懺悔の想いを、何とかして伝えたい。
お前(の先祖)が家臣だったのなら、
この気持ちを仲間に伝えてくれ。
って感じだったのでしょうね。
“呼ばれた”っていう感覚は正しい表現だったと思います。

つぎに、
幹が3つ合体してみえる高野杉
の画像を載せました。
知らなかったんですが、
ご神木でパワースポットだそうです。

わたしがなんで撮影したかというと、
特別な感覚があったからなんです。
ガイドブックも読みませんから、
自分の感覚が赴くところだけにいつも向かいます。

高野杉って、けっこう幹が合体しているんです。
それが高野杉の特徴だとかで。
でもこの高野杉はやっぱり特別で、
人を立ち止まらせる何かがありました。

さらにそこから
道を隔てて(御廟に向いて)左側の墓地、
階段を登るんですが、
そこは、なんというか、異世界でした。
道を隔てて右と左では世界が違います。
時空が違うというのかなぁ。
わたしはその階段を少し登った中ほどで高野杉を撮影したのですが、
さっさと撮影して道に戻らなければ、
ここから出られなくなっちゃう!
って感覚に陥りました。
怖いというのではないのです。
不思議の国に迷い込んだアリスになっちゃうって感じです。
奥に行くほど強いです。
この感覚は初めてでした。
体験されてみたい方は是非行かれてみて下さい。

つぎ、豊臣家墓所。
わたしは秀吉公を感じられず、母公の波動が強いと書きました。
識子さんの著書の中でも、秀吉さんはここにはいないこと、そして弟公と(のちに知ったが)母公が感謝されていたということを書かれていました。
やっぱりそうなんだ!!!
あそこは女性的な気品ある慈悲深い波動を感じられます。力強さよりも、たおやかさ。

そして、今回は訪れなかった(わたしの感覚アンテナにひっかからなかった)のですが、
前回、高野山に来た時に親友の旦那さん(金剛三昧院の住職)に織田信長のお墓を案内してもらったことがありました。
秀吉さんのお墓から近かったと思います。
識子さんの著書には書かれてませんでしたが、
わたしの感覚ですが、追記しておきます。

信長さんはそこにいらっしゃいます。
お墓自体はめちゃくちゃ質素で、
え!これがあの織田信長のお墓なの??
って疑ってしまうほどです。
わたしがそこで感じたのは、
信長さんの人柄というか生き様でした。
“人は生きてこそ!”みたいな。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
って例えは信長さんの気性の荒さ、
短気を表していますが、
鳴いてこそホトトギス!
生きてるんだったら精一杯鳴けよ!
鳴かないんだったら死んでるのと同じ!
っていう信長さんの性格をも例えているように思います。
死んだら終わり!だから生きてるうちに天下統一!っていう、ある意味生き急いでいたからこそのシャープさやギラギラ感。
だから信長さんは死んでしまった今、
本当は墓も要らないし、
ワシは凄かったんだぞ!って過去の栄光を振りかざしたり、偉人として丁重にもてなされたいとか
そういうのが一切無い人です。
人は生きてこそ。死ねば皆同じ。
悔いのない我が人生。精一杯生きた!(燃え尽きた、って感じです)
たとえると、めちゃくちゃ売れっ子だったスターが引退して、引退後どんな誘いがあっても
業界に復帰しないし、そっとしておいてほしい。
あの頃は凄かったですね!って周りに言われようが、引退した今はまるで他人事のようにその話を聞いている人。って感じです。
織田信長のお墓が分かりづらくて行きそびれてしまった!
という人が多いと思います。
ガイド表札も出ているにも関わらず、です。
それは信長さんが、死後の隠居生活をひっそりとされていて、今は一般(の死んだ)人と同じだからそっとしておいてほしいと思っているからでしょう。
以前撮った画像が見つかればまた貼りますね。


そういえば、この記事を書いている途中で
面白いメールが兄から来ました。


家系図!!
もう二度と見ることは出来ないだろうって思っていましたから、このブログでもそう書いていたんですが。
理由あって、近いうちに見れそうです。

引き寄せ運は強い方です!(*^^*)



いろんなハッシュタグでランキングに入っているようで、ありがとうございます!
特に#高野山で1位は嬉しいですね。

これからも応援よろしくお願いします!
まりかく



✴️金剛三昧院の住職がつづる高野山ガイドブック!とても読みやすくてオススメです!



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