幸せの瞬間

夕暮れの河原

 夏も終わろうとしているが、夏の夕暮れにヒグラシの声を耳にすると、毎年あるシーンを思い出す。
 
 あまりにも昔のことでちょっと気が引けるが、今からほぼ70年ほども前、わしが少年のころ(小学生高学年くらい)に現実に体験した光景である。

 飽食時代のいまの若い人には想像できないだろうが、当時の日本人の頭の中にあったのは、四六時中ひたすら “いかに食べるか” だった。つまり頭の中は食べることで、腹の中は飢えでいっぱいだった。

 子供も、遊ぶときさえ純粋に遊ぶということはなかった。
 原っぱで角力をとって転がされれば、目の前の雑草を見てこれは食えそうだと思い、かくれんぼで隠れた所に木の実があれば、この実は秋になると食べられるぞ、場所を覚えとこう・・・というようなことが常に頭の隅で働いていた。

 そういう子供の遊びのなかでも、ひとつ特別のものがあった。
 川へ行って魚を獲ることだ。水にもぐって手づかみしたり、モリで突いたり・・・。もちろん手作りの竿で釣りもした。
 遊びとしても面白いが、収穫があればその日の夕食の食卓で、家族からチヤホヤされた。
 
 といってもその “収穫” の実体は、文字どおりの雑魚(ザコ)ばかりだった。今や名前も思い出せない。ゴミ同然で見向きもされない類だからだ。
 
 しかしそうした川で獲れる魚のなかで、正真正銘、だれもが認める絶対王者的な魚があった。
 ウナギである。
 
 しかしこれはなかなか獲れなかった。わが田舎に流れていた川は、そもそもウナギの生息数が少ないと言われていた。

 獲れないからこそ、王者的存在として崇められたとも言える。それだけに獲れた日はナポレオンかアレキサンダー大王の凱旋気分だった。
 
 夏になると、先に述べたような理由で、大人も子供もウナギ獲りにけんめいだった。獲れるチャンスは少ないのに・・・。

 方法はいろいろあったが、主流は「もんどり」と呼ぶ竹製の筒篭を、川底に仕掛けるやり方だった。篭の中ににミミズなどの餌を入れて、日暮れどきに川底に沈め、ひと晩おいて翌朝回収するのだ。
 
 だがわしら子供には、このもんどりも自由にならなかった。別の仕掛けを考えたり、大人が使わない日に頼んでもんどりを借りた。
 
 もんどりを川底に沈めるときは、もちろんフンドシ一丁になって川に入る。筒篭を抱えて水中にもぐり、ウナギの通りそうな川床に沈めて、上に大きな石を載せる。流されないようにするためである。
 
 その日、運よく知り合いの大人からもんどりが借りられた。
 夕暮れどき、勇んでかねてから狙っていた穴場へ仕掛けに出かけた。

 仕掛けを終えて川から上がり、川原で体を拭いているときだった。
 四方八方からヒグラシの鳴き声が聞こえはじめた。

 辺りは夕闇が近づいていた。
 西空から中空にかけて夕焼けがひろがり、その反照で川原ぜんたいが舞台のように赤く染まった。
 その中で、カナカナカナカナカナカナカナカナカナ・・・という鳴き声は、まるで浜辺に寄せる波のように、くり返し高く低くひびいてきた。東の遠くで鳴く声のあとに、南の近くで鳴く声がつづく。そのすぐ後に西から追いかけてきた声が重なる。無数のヒグラシが輪唱をしているようだった。

 足元の川原の石は、日中に温められた熱がまだ冷めやらず、さながら太陽の残り香のように足の裏に温もりを伝えてきた。その気持ち良さはあすの収穫への期待をふくらませた。
 
 わしは人の来ない独自の場所を選んでいたので、辺りに人の影はなかった。川と川原と周辺の山々、そしてその山々の木々の中からか聞こえてくるヒグラシの声だけだった。
 
 これ以上平和で、心やすらぐ瞬間はなかった。
 
 面倒で辛いことが多い人生だけれど、ときにこういう瞬間もある。
 暗夜にぽつんとひとつ煌めく宵の明星のように。

(以前、ウナギに関わる大失敗話を書いているので、よかったらからこちらからどうぞ → 『2秒に勝負を賭けたうなぎ』
 

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