東北シリーズその1(白河小峰城) | おおとり駆の城日記

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今年の夏休みは東北の城めぐりをしました。東北シリーズ第一弾は福島県白河市の白河小峰城です。



白河小峰城は日本100名城のひとつで、東北では珍しい総石垣造りの城です。東北本線JR白河駅のすぐ北側にあり、駅のホームからもよく見えます。


今から30年以上も昔の話ですが、学生時代に東北を一人で旅行した時に訪れたことがあり、個人的にも懐かしい城です。

この地は古代「白河の関」が置かれたことでもわかるように東北の玄関口にあたります。白河小峰城(以下小峰城と記します)は南北朝時代に白河結城氏によって築かれたのに始まります。戦国期を通して結城氏の一族でもあった小峰氏の居城となっていましたが、天正18(1590)年、豊臣秀吉のいわゆる奥州仕置によって改易となりました。小峰城は会津に入封した蒲生氏郷、上杉景勝など会津若松城の支城となり、約40年間城代が置かれることになります。
江戸期にはいると白河は会津藩から離れ、寛永4(1627)年に丹羽長重(織田信長の重臣丹羽長秀の子)が初代白河藩主になります。長重は小峰城を大改修し、現在に残る巨大な石垣を持つ城郭を完成させます。
 
その後、小峰城は、榊原、本多、松平(奥平)、松平(結城)、阿部の6家19代が城主となりましたが、歴代の城主の中で最も有名なのは、寛政の改革を行ったことで知られる松平定信でしょう。もっとも彼は老中として江戸に常駐していたことから、白河に在城していた期間はそれほど長くはなかったと言われています。


小峰城が歴史の表舞台に登場するのは幕末。慶応4年(1868)の戊辰戦争における白河口の戦いで奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の攻防戦が行われました。このときの旧幕府軍の死者は700名にも及びましたが、これは戊辰戦争の中でも最大の死者数であったと言われています。城内の建物の大部分も焼失し、大激戦であったことがうかがえます。


平成3年(1991)には御三階櫓、平成6年(1994)には前御門が木造復元されました。平成23年(2011)の東日本大震災では小峰城も大きな被害を受け、城内の石垣が10箇所にわたり崩落。現在も修復工事が続けられています。


二の丸広場から小峰城全景
駅の北側に高大な芝生広場がありますが、ここが小峰城の二の丸にあたります。
30年前、初めて白河を訪れたとき、自分の記憶では確かこの場所には野球場があったはずと思い、ボランティアガイドの方に聞いてみたところ、現在は別の場所に移転しているとのことでした。
また、お城の中には大規模なバラ園がありお城とバラのコラボがとても当時としては斬新な思い出でしたが、これも震災のため現在は休園中とのことでした。




二の丸から本丸にはいる土橋にはかつて清水門という櫓門がありました。この石垣も震災で崩壊していたのを修復されたものです。



清水門をはいって正面に見える本丸石垣。上部に円を描くように石垣が積まれているのが特徴的です。


本丸と三重櫓、前御門
幸い復元された櫓と門は震災でも大きな被害を受けなかったそうです。



本丸から見る二の丸広場と白河駅


本丸御殿跡

本丸はそれほど広いスペースではありませんが、御殿が建てられていました。


三重櫓
櫓とはいうものの、実質的には天守です。幕府に対する遠慮から天守と呼称しなかった例は他にもみられます
平成3年(1991)に「奥州白河城絵図」「白河城御櫓絵図」その他古文書等の調査研究を行い、史実に基づき忠実に木造で復元されたとあります。高さ13m、1階が12m四方、2階が8m四方、3階が4m四方と逓減率が高くなっています。実際中に入ってみると3階は6畳一間くらいのスペースしかありません。
これが日本で初めて木造で天守が復元された事例で、それまでは鉄筋コンクリートか、木造でも完全な模擬天守しかありませんでした。小峰城のあと掛川城(静岡県)、大洲城(愛媛県)、金沢城(石川県)、新発田城(新潟県)などの城で天守や櫓が木造復元されています。嬉しいことにこの三重櫓は入場無料です。


石落とし
最近の復元天守では石落としが内部から見学できるようになっています。ただ、その多くは本当に何かものを落とさないように透明なアクリル板がはめてあります。


戊辰戦争の銃弾
なぜ幕末に燃えた櫓の弾痕があるのか不思議(しかも床に)でしたが、激戦の行われた稲荷山の杉を復元用木材として利用した際、いくつかの鉄砲の鉛玉の跡が発見され、そのまま加工され、床材となっています。


おとめ桜

御三階櫓の前に植えられています。
本丸の石垣を積む際、人柱にされたといわれる白河藩士の娘「おとめ」の悲運を憐れんで植えられた桜と伝えられています。



前御門
平成6年(1994)に木造で復元されています。小峰城の建造物は御三階櫓とこの前御門のみですが、この櫓門の内部は公開されていません。



本丸北側の石垣は復元工事の真っ最中でした。

2011.3.11震災で大きな被害を受けた小峰城。8年を経てもまだ復興作業がすすんでいます。ガンバレ!!



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