春日部にプラスワン その1 変わりつつある街

先月8月に地域を舞台とするクレヨンしんちゃんが連載30周年を迎え、市役所の建て替えや駅の高架化工事も始まろうとしている春日部市

地域外の者からすると同作のイメージが強いことだろうが、地域の文化や風土など意外と知られていないことは多い。

連載形式で改めて同市の魅力を探っていく。

春日部市のプロフィール

まずは同市の簡単なプロフィールに触れる。

都心から35キロメートル圏、関東平野のほぼ中央、埼玉県の東部に位置する人口約23万人の同市。

市域のほぼ中央に大落古利根川や庄内古川(中川)が流れ、千葉県との県境となる東側には江戸川が流れる。

面積は66㎢でそのほとんどが低地に属し平坦だが、ところどころに台地が点在する。低地帯では古くより稲作が盛んで、郊外部では現在も稲作が行われている。

鉄道路線は南北に東武スカイツリーライン、東西に東武アーバンパークラインが走り、都心への所要時間はおよそ40分ほど。

道路も南北に国道4号と同道路バイパス、東西に国道16号が走り、豊野・豊春地域など沿道には工業地帯も多く見られる。

名前の秘密

春日部という名前は同市を起源とする鎌倉時代の武将・春日部氏に由来とされているが、1944年に前進の春日部町ができるまで粕壁と表記されていた。

つまり読みは違えど、以前より「かすかべ」という名前だったのだ。

戦国時代には「糟ヶ邊」「糟壁」と表記され、江戸時代に「粕壁」と書かれているが、後述するように江戸時代に日光街道の宿場町として栄えた際に酒屋の酒粕や店や蔵の荒壁から「粕壁」とあてられた可能性がある。

春日部に変わった後も、粕壁という地名は中心市街地となる春日部駅東口界隈、ちょうど同街道の宿場町だった地域に残っている。

地域の歴史

古くは旧石器時代に人が住んでいたことがわかっている同市域。北西の内牧地域では竪穴式住居の跡も見つかっている。

古代から中世までは下総国葛飾郡に属したが、江戸時代に五街道の一つである日光街道が地域を通ると粕壁宿が設けられ宿場町として発展した。

 

(昭和初期の街並み、同市郷土資料館HPより)

明治期に入ると1889年に粕壁宿に変わって粕壁町が設けられ、1893年には地域初の鉄道として千住までを結ぶ千住馬車鉄道が開通した。ほどなくして東武鉄道が地域を通るようになり、同鉄道の営業は短期間に終わっている。

後述の通り1944年に周辺町村の合併により春日部町へ、戦後の1954年には市制に移行。特に戦後は1960年代に武里団地が造成されるなど東京のベッドタウンとして発展した。

1990年に同市を舞台とするクレヨンしんちゃんの連載が始まりアニメ化などもされると、国内外でその名が知られるようになった同市。2004年には一家を特別住民登録している。

市制面でも2005年に東隣の庄和町と合併し、2008年には特例市に指定されている。

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地域の悲願成就へ 春日部駅

流れる発車メロディは

同市の玄関口たる春日部駅へ降り立った。

東武スカイツリーラインとアーバンパークラインが交差する同駅は、一日に約71000人が利用する県東部の交通の要衝。構内は終日乗り換え客が闊歩する。

駅名標など構内の至る所でクレヨンしんちゃんをあしらう。

ホームは5つあるが、いずれも発車メロディは同作の代表的な主題歌「オラはにんきもの」が流れ、降り立っただけでここが作品の舞台になっている場所だとわかる憎い演出だ。

動き始める高架化工事

同駅は地上駅だが、以前より地域が分断され周辺の踏切が開かずの踏切と化すなどの問題が起きていた。

3面5線の配置だが利用者規模を考慮すると手狭で駅機能の拡張も望まれていた。

このような状況下で同駅の高架化が、地域にとっては旧来からの悲願となっていた。

地域からの声を受けて、行政や鉄道会社もついに重い腰を上げた。

昨年12月に都市計画事業認可がおり、今年に入り同市と東武鉄道が施行協定を結びいよいよ高架化へ向けて動き出したのだった。

同駅含め周辺線路を合わせて高架化するこの工事は、約650億円規模で2031年度に完成予定。どう工事により9の踏切が撤廃され、同駅も現在の3面5線から4面8線に拡張され両路線の接続も考慮されるという。

完成まで先は長いが、その暁には街の様相も大きく変わることだろう。

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