<質問 15>
突然死した方に聞いてみたかったのですが、旦那さんは不健康な生活を送っていましたか?
健康に気遣っていたのに、突然死の場合もあるのでしょうか。
突然死についても誰かと語り合えたらと以前から思っていました。
ホントに突然過ぎだから。
死別はどの別れも辛い。
それぞれがそれぞれの辛さを抱えていると思います。
事故もある意味『突然死』だけども、これはまたこれで特殊ですよね。
相手がいたらなおさら…
闘病には闘病の辛さ、事故には事故の辛さ。
ですがあえて、今回は『突然死』に焦点を当ててみようと思います。
地獄です。
まじで地獄。
今思うと予兆はありました。(『まーくんが突然死んだ理由』)
そして不健康な生活をがっつりしていました。(『生きる知識を得るということ』)
果たしてそれが死因と結びついているかは分かりませんが
10年以上前から胸がたまに痛くなっては鎮痛剤でやり過ごす日々。
それでも健康診断はすこぶる良好で(メタボくらい。笑)
死ぬ一年前に受けた高額の人間ドッグも問題なしでした。
だから本当に寝耳に水。世界がひっくり返りました。
まーくんは早死には早死にでも余命が出て闘病して死ぬと思っていたので…
愛する人が、突然に世界から消えてしまった。
覚悟も見送りも出来なかった。
それこそ感謝も愛を伝えることもできなかった。
最後に交わした言葉はなんだっただろう。
最後に触れたのはいつだっただろう。
昨日話していた人が明日から話すことすら、見ることさえ出来なくなる。
大好きだった人が一瞬にしてただの抜け殻になってしまった。
どんなに声をかけようと、嫌だと嘆こうと
1分でも1秒でも過去に戻ることはできずに
ある瞬間を境に天と地ほど世界は変わりました。
これは夢だろうか。今までが夢だったのだろうか。
冷たくなった体を覚えています。
硬くなった体を覚えています。
記憶にあるのは温かい、柔らかい彼なのに。
突然に彼は動かないモノになりました。
突然死は辛い。
何の装備もなく突然暗闇の崖の底に落とされ
そこから手探りで進んで行かなくてはなりません。
こんなこと思いもしなかった。
明日から話せなくなるなんて、今この世界からいなくなるなんて考えもしなかった。
死に対峙した時は、それこそもう発狂せんばかりの
声にならない声をあげて身を引き裂かれる辛さでした。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
どれだけ思ったことでしょう。
本当に今あるものの儚さ。大切さが身にしみました。
突然死に対峙した方は、よりそう思うのではないでしょうか。
今あるものは、次の瞬間にはなくなるかもしれない。
来年でも来月でも明日でもない。『今』なくなるかもしれない。
カウントダウンなんてない。突然に消えてしまうかもしれない。
だから強く、今を大切にしようと思います。誰よりもきっと。
私は喧嘩中でまーくんが死んだ時はそばにはいませんでした。
(『死んだ時 最悪の2人の関係①』)
それはそれで辛いけど、命がなくなる瞬間に近くにいるのも辛いと思います。
突然死で大切な方をなくされた方。
吐き出しませんか?
めっちゃ辛い。
突然死めっちゃ辛い。
何も突然じゃなくたっていいのに!!!
分かっていたら、あそこにもここにも行って、あれもこれも食べて
沢山沢山思い出作ったのに。
後悔しない様に全部やりつくしたのに!!……もう、ばかやろう…
でも、だからこそ、私はまーくんに悪態がつけて
その悲しく悔しい気持ちをバネにブログを綴れていると思います。
闘病していたら、もうまーくんの頑張りが深すぎて、「バカー!ふざけんなー!」なんて言えなかったでしょう。
死んだ方は、まさにピンピンコロリ。
自分が死ぬという苦しみに落ちずに、死んだことさえ分からないで死んだのでしょうから。
逝く方は幸せかもしれませんね。
その分残された方地獄ですけどねーーー!
↓死んだ旦那のまーくんも、やりきれない突然死でした。
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コメント
コメント一覧 (97)
ほんと、健康診断て、意味あるのかな?(亡くなる3ヶ月前にやって、異常なし)。
うちは、ついでに定期検診て、ほんと意味あったのかな?という感じです(亡くなる5ヶ月前にやって、ほぼ異常なし)。
ほんとに、寿命ってあるのだろうな、と最近思います。
うちの夫は若いときからお酒が大好きで、一度目のくも膜下出血の後も結構飲んでました。
医師にはほどほどなら、と言われてたけど、度を超して私に叱られることもしばしば…私もお酒は好きなので、厳しく止めなかったことを後悔したこともあるけど、好きに飲めたこと、好きに生きられたこと、彼は正解♪ですね。
みいたんさん、夫の死の話ができる場を作ってくれてありがとう。
実生活では引かれちゃうものね。
せせらぎさん、取り上げてくれてありがとう。
せせらぎ
がしました
状況や時期は違うけど、みんな同じ気持ちなんだ、辛いのは自分だけじゃないんだと温かい気持ちになれました。
しかし健康診断って何なんですかね!全く問題なしと言われた何ヵ月後かに心停止とか、くも膜下とか。突然死は防ぎようがないって事になりますね。なら好き放題生きた方が良いのかな。
うちの旦那正解♪家族は大迷惑ですが。
またこちらをお借りして悲しいときは情報交換をさせて頂けたら嬉しいです。
この場を提供してくれたせせらぎさんどうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
せせらぎ
がしました
本当に本当に突然でした
さっきまでほんの何分?だったか
普通に話してたのに、なんで今は居ないの?
家は事故死別です。
前日もけんかして仲直りのつもりで私が
出掛けやようって言ったから
主人は死んでしまった
自分を責める毎日です
さっきまで話してたのに、いきなり居なくなった、なんで、なんで
最後まで私もけんかの延長のままで無愛想な態度とってたし
主人の人生本当に幸せだったのかと考えると
辛い
最後の状況は鮮明に覚える、何度も何度も
起きてって言ってた
だけど一度も意識が戻る事はなかった
パートで働いているけど
普通にしてるけど、周りの会話や笑い声が
嫌で仕方ない。
せせらぎ
がしました
様々な場所で、同じ様な悲痛な思いを経験した方がいることに、本当心苦しく思います。
出先も嫌、隣も嫌、自宅で一人も嫌、…ていうかもう全部イヤー!最後の言葉くらい選ばせろやー!
コメント欄まで読まない方もいらっしゃるので、ちょいと詳細に書かれていたりする内容のものは、勝手に『目安箱』の『死別ケース』で取り上げていこうと思います。同じ状況を抱えた方に目に止まるかと…。
ですので、ぼちぼち死別ケースがアップされていきますが、「あ!私のだ!」というのもチラホラ出るかと思います。そういう載せ方は嫌!という方はおっしゃっていただければ載せませんので教えてくださいね。
なんか締めっぽいけど、締めたわけじゃないので、引き続きどうぞー吐き出して〜!
せせらぎ
がしました
せせらぎさん、ココを作ってくれて、本当にありがとう。
みんな、悲しかったね。辛かったね。苦しかったね。
大切な人が、ある日突然いなくなったんだものね。
ありがとうも、さようならも、伝えられなかったんだものね。
こんな悲しさ、彼(夫)には、とても耐えられなかったと思う。
いつか必ず訪れる別れ。
耐えられる方が残されたのだと思う。
だから、悲しくても生きていく。
みんな、今も悲しいね。辛いね。苦しいね。寂しいね。寂しくてたまらないね。
でも、生きている。前を向かなくてめいい。
下を向いてもいい。後ろ向きでもいい。
とにかく、生きている。
みんな、がんばろうね。
せせらぎ
がしました
家も本当にある日突然に・・・
39歳で天国に行っちゃいました。
子供3人残してね。
虚血性心疾患、人間ドックやスポーツ、健康には人一倍気を付けてたのに・・
しいって言えば仕事が忙しく休みナシ鬼残業で、今の時代で言えば完全に過労死レベルでした。
ほ~~んとに何で何で?って気持ちだったよ、亡くなったのが冬なんですが、私は春までの記憶がありません。
だからこの時期大嫌い!!
頑張れ!って言葉、私はあえて大切な人を亡くした方に送ります。
頑張っても頑張ってもゴールは見えないかもしれない、でもそれでも頑張る事によって好転する時もあるんだよ。
少しづつ少しづつでいいから一緒に生きて行こうって思う。
立ち止まったら終わり、頑張れなくなってしまう。
もう頑張れない!!って思ってもOK、また進める時が来るからね^^
それとせせらぎさん、今は一杯泣くこと!!!場所と時は考えないといけないけどね(笑
10年経つとね・・人前で泣けなくなるよ・・
優しさは増すけど、人間的にパワーアップしてある意味悟りを開いてしまってる♪
もっと泣いとけばよかったと今思います(笑
これから寒くなるよ~~
風邪に注意してね^^
せせらぎ
がしました
何度かコメントに書かせていただきましたが、今年3月末に夫はくも膜下出血で突然死しました。
亡くなる2日前に娘の卒園式に参加し、亡くなる前夜は「お母さん、ゆっくり寝なよ」と娘と2人で寝て(3人で寝たら良かったな…)、朝は大体寝てて見送れない娘もなぜか起き、「最近、娘ちゃんほっぺちゅっちゅ(ほっぺ同士をくっつけること)してくれない!」と娘に強要してほっぺちゅっちゅをしてもらって、ご満悦で出勤した夫。
その2時間後に倒れ、3時間半後に亡くなりました。
8年前に一度、くも膜下出血を発症して誤診→私のゴリ押しで再診した病院でわかって一命を取り止めた夫。
ほぼ遺伝(義祖母、義母ともくも膜下出血経験者)プラス、若いときの喫煙(1回目の発症1年前に完全禁煙)、お酒は大好き(夫婦とも)で医師からもほどほどならいいよ!と言われていたので楽しんでいました(たまに深酒して、私と娘に叱られる)。
でも、1年に1回の脳動脈瘤の検診でも異常はなく(最後は亡くなる半年前)、亡くなった病院(最初の発症のとき、手術した病院)にも少し前に診てもらったばかりなので解剖までしたけど、結局、動脈瘤のない脳の血管が裂け、同時に心不全を起こしたという説明でした(くも膜下出血は、発症即、死亡はほとんどないの、知ってるから納得できないけど)。
知り合って22年、結婚して15年、子どもになかなか恵まれずやっと娘が授かって6年、駆け抜けて逝ってしまった夫。
55歳、皆さんの旦那さんよりも、けして若すぎはしないけど、6歳の娘を残して逝くのは心残りだったと思います(先日、7歳になりました)。
好きなことをして、娘を思いきり可愛がって、「もうすぐ、じじぃ嫌い!って言われちゃうかな…」なんて言っちゃってたけど、もう、ずっと娘に愛されたままです。
「お父さんみたいな人と結婚する!」って、娘はいつも言っています。
せせらぎ
がしました
何度も何度もココに来ちゃいます
今年の3月に‥53歳でした
いつも通り晩酌して寝たのに起きて来ず、起こしに行ったら反応がなくて‥いつもの姿、寝顔でした
救急隊の方がAEDをしたけど機械からは不要?だと聞こえ必要ないなら大丈夫だ!と その時は思いましたが反対だったんですね‥
心臓マッサージをしながら病院へ行きましたが30分くらいで医師に心臓が動かないと言われました
CTでは どこにも異常がないため心臓だろうと‥
急性心臓死と書かれています
死因究明の話しもしてもらったかもしれないけど医師から何を言われたか全く覚えてません
何もせず家に帰れました
警察は家で息子や私の両親に事情聴取をした後に病院に来たみたいです
病院で質問に淡々と答えたのを覚えてます
CTを撮りに行ってる時に まだ何が起きたかわからず呆然としている私に義兄が持ってきた用紙には葬儀社の名前が並んでいました
どこにする?って聞かれても言葉が出てきませんでした
苦しまなくて良かった、息子がいて良かった、25年も一緒にいれて良かった等々‥この良かったって言葉を言われるのは今でもツラいです
主人が居なくなって良かったコトなんて無いんだと思ってしまうから
なかなか言えないこと書いてしまいました
しかも長文、そして こんな時間に!
すみません(ーー;)
せせらぎさん、みなさんに救われています
ありがたいです
せせらぎ
がしました
実は8年位前に、同じ大動脈解離で死にそうになって奇跡的に助かった事があります(結婚前でした)。
発見が早く、医師にも恵まれたと思います。
14時間の手術を受け、何度もヤバい状態になりましたが4ヶ月のICU、8ヶ月の入院を経て何とか退院しました。
退院するときは、また、解離する可能性が大きい事や、それが遺伝子の病気であることも聞きました。
そして、多分、あと1年は生きれないと言われていました。でもなぜか心機能が改善し、医師もびっくりしていました。
でも、今回は、外出先のトイレで倒れてしまい間に合いませんでした。
最初に倒れた時は、夫の両親にすごく責められました。それこそ「何でわからなかったの?」と。今思うと、両親は、受け入れられなくて誰かのせいにしたかったのかなと思います。でも、その時は、辛くていつも泣いてばかりでした。でも、夫は人工呼吸器をつけながらも、親の言うことは気にしなくていいと言ってくれました。
これから、そういうことが無いように頑張っていこうとお互いに話していたはずなのに…。やっぱり油断して、生活の端々にまずかったなーと思うことがたくさんあります。
そして、実際に死んでしまった時は、誰も何も言うことはありませんでした。
いつかはと覚悟していたのに、全然受け入れられなかった。覚悟なんてできてなかった。
夫は他人というけれど、私にとっては1番の理解者であり人生の戦友みたいなもんでした。
そんな夫を突然亡くし、子供を育てる辛さは、中々理解してもらえないものです。期待もしなくなりまいたが。頼れる人には助けを求めて、必要なら薬にも助けてもらって、段々、新たな人生を歩んで行くのでしょうかね…。
長文すみません。
せせらぎ
がしました
せせらぎ
がしました
健康診断でも何も異常はなかったし、高血圧でもなかったので脳の血管の奇形が原因かも・・・ということでしたが、今となってはわかりません。
救急車で運ばれて、翌日に亡くなりましたが、出血が多すぎて手術もできず、ただ亡くなるのを待つ時間は地獄のような時間でした。ずっといびきをかいて寝ているだけのような状態でした。
意識のない夫と一晩二人だけで過ごしてたくさん話しかけました。
お医者さんは意識がないから痛みも感じてないし、話も聞こえていないと言ってはいましたが、私は聞こえていたと今でも信じています。
脳ヘルニアを起こすほど出血していたので、延命処置をしても意識は戻ることはないと言われ、夫は望んでいないだろうと延命はしませんでしたが、夫の両親はどう思っていただろう?どんな状態でも生きてて欲しかったのではないかといまだに考えてしまいます。
どんなに健康に気をつかっていても、明日死んでしまうかもしれない恐怖をいつも抱えるようになりました。
夜中に自分が死ぬ夢をみてとび起きることも。
子供達にこれ以上悲しい思いをさせることが一番怖いので今死ぬわけにはいかない・・・
せめて子供達が成人して自立できるようになるまでは生きていたいと願う毎日です。
せせらぎ
がしました
私も以前コメントに書かせてもらいました
主人はお酒の席で突然倒れ救急隊の方が来られたときは心停止
口の中に食物が詰まっている状態でした
詰まった物を取り出しながら心臓マッサージ
病院についてからも同じような処置と強心剤をつかって心臓は動きだしましたが
すでに50分経過してるので脳にダメージがある 誤嚥性肺炎が重篤ですと医師からの
説明をうけました 自発呼吸もなしです
最終的には誤嚥性肺炎が死亡原因となっています 61歳でした
なぜそうなったのか先生も心停止が先か窒息が先か誤嚥が先かは解剖してみないとわからないと
言われたました
私の推測 日頃の主人のお酒を飲んだあとの状態(すぐに寝る 椅子に座ったまま トイレに座ったまま
立ったまま寝ていた事もありその後転び打った箇所が痛いと次の日に言ってましたが本人記憶にないらしい)
からして頭はすでに寝ている状態で何らかの原因で嘔吐物が気管を塞ぎ窒息が先だったのではないかと
先生いわくそれも考えられますとおっしゃいました
結局はっきりとした事はわかっていませんが私の推測通りではないかと思います
何とも情けない死に方なんだろうと当初は主人に対し怒りでしか無かったです
人からは61歳まで働いて好きな事(登山)をやって好きなだけお酒も飲みやりたいようにやりきった人生だったんじゃないと言われます
そりゃあそうでしょう本人はやりたい放題だったし死ぬ時も苦しむ事もなく逝けて後の事全部こっちに丸投げですもの
残された者は地獄です 数年いや何十年と地獄の日々が続くのですから
最近去年よりはましになってきたかなと思っていましたがここの所の寒さと暗くなるのが早くなってきたのが影響してるのか少々落ち込み気味です
こちらのブログで皆さんのコメントを拝見しては慰められている日々です
おりがとうごさいます
せせらぎ
がしました
納得もできないし、何で?っていうか、せめて原因知りたかったなと思って..
せせらぎ
がしました
日曜日の朝でしたが、なかなか起きてこないので起こしにいったら、様子が変なのですぐに救急車を呼びました。いつもの寝ている格好そのままで、ひとつも苦しんだ様子はありませんでした。心臓マッサージをしながら病院に着き、その後も様々な蘇生法を試みてもらいましたが、心臓が動くことはありませんでした。死亡診断の後CTを撮り、急性大動脈解離と診断されました。医師から「心臓のすぐ上の大動脈が裂けていて、数分か数秒で心臓は止まったと思う。病院で倒れたとしても、手術もできなかったでしょう。」と言われ納得しました。
それなのに、家にお悔やみに来てくれた知り合いから、「前の晩、何か気がつかなかったの?同じ部屋で寝ていなかったの?」と言われ、とても苦しい思いをしました。哀しみの中にいる人に何故そのようなことが言えるのでしょう。それは、その人は本当の哀しみを知らないからです。本当に大切に思う人がいないからです。
大切な人と死別した私たちは、哀しみを知る人間として生きていきます。人の気持ちに寄り添える人になりたいと思います。
せせらぎ
がしました
旦那は47歳で、お酒もタバコもする人ではなく、会社の健診でも異常はなく、少しコレステロール値が高いかなぁ(年相応)くらいでした。
特に身体の異常を訴えることもなく、本当に普通の日。夜ご飯も食べて、お風呂も入って、楽器の練習をして、布団に入って、おやすみ。と言った後、朝の目覚ましが鳴っても止めないからうるさいなーと思って触ったら冷たい気がして..
布団が乱れることなく、本当に寝たままの姿で亡くなってました。
救急車をよんで、心臓マッサージもしたけど無意味なほどもう遅かったです。
でも、警察の検死に出しても原因不明、解剖もして何ヶ月かかけて細胞を調べるも不明。
結局病名もつけてもらえず、不詳になってます。
納得できないー
健康ってなんなんですかね、健康に気を付けても死ぬときは死ぬ。運命?
もう好きなことすればいいやん。頭で思ってもそう簡単にはできないけど、ほんまそう思いました。
自分で気づかないくらい、このショックはでかいみたいですね。
せせらぎ
がしました
息子は生後6ヶ月で今年の9月に亡くなりました。三姉弟の末っ子長男で、一番大きく生まれ、たくさん母乳もミルクも飲む元気な子でした。いつものように授乳して寝かしつけて、自分はテレビを見にリビングへ。そろそろ寝ようと三時間後に寝室に戻ると冷たくなっていました。
冷たい体に必死で人口呼吸と心臓マッサージ、AEDはもう心臓が動いてないからか使えませんでした。救急車で運ばれて30分も経たず死亡宣告。警察から、死因を調べないと家には帰せないと言われ、半ば強制で解剖されました。
息子が帰ってくるまでの1日半は自分を責めたり、警察署で1人ぼっちの息子を思い泣き叫んでいました。家に帰ってきてからは出来る限り抱っこして過ごしました。
死亡診断書には死因不詳と書かれていて、何のために、この小さい体を死んでなお傷付けたのかと怒りに震えました。
焼かれる時は身を裂かれるような思いでした。
育児休暇は子が死んだ日で終わりという規則に、鬼か⁉️と呆れました。
亡くなってもうすぐ3ヶ月、仕事も生活も通常運転です。そうしてる自分が心底イヤですが、夫と上の子たちのため生きていかねばと思います。救急車のサイレンを聞くとフラッシュバックし、抱っこ紐に入った赤ちゃんをみると羨ましくてたまりません。何でうちの息子だったのか…私がママじゃなきゃもっと長く生きれたんじゃないか…たくさん考えてしまいます。
せせらぎ
がしました
うちはくも膜下出血でした。倒れてすぐに脳死判定。脳死から行きを引き取るまで11日間。この期間は本当に地獄でした。
喫煙飲酒はあるものの(これも原因か)他は至って健康でした。しかし家族の為に頑張る人で一馬力で必死で仕事をしていて働かせすぎたのかなとか。それに今思えば記憶力の低下だったり膝が痺れると言っていたとかもしかしてあれも?と思うことはあります…なぜ小さな異変にでも気にして病院に連れて行かなかったのか。わたしが1番からの変化に気付かなければ、わたしが見逃したから…そんな気持ちしか出てこなくなる、それは突然死で残された人の1番の気持ちですよね。現実を受け入れられない。
死別して5ヶ月。まだまだ現実は見れません。
せせらぎ
がしました
せせらぎ
がしました
今よりメタボの認識がない時代だった20年前。
典型的な昭和のお父さんだったので、
飲酒喫煙量は多く、
血圧も高めで薬は飲んでいましたが、
亡くなる前の健康診断では「異常なし」だったそうです。
睡眠時無呼吸や、背中の凝りはあったので
後になって思うと予兆だったのだと思います。
休前日に呑んで、翌朝、背中が痛いから少し休む、
と布団に入ってお昼になっても起きてこないので
母が呼びに行った時には亡くなっていました。
救急搬送、救命措置をしても既に手遅れでした。
診断名は急性心筋梗塞でしたが、
心臓が止まったからそうつけた、という感じでした。
本当にある日突然いなくなってしまい、
家族の喪失感、虚無感、無常感はとても大きなものでした。
歳月のおかげでやっと受け入れてきたという感じです。
弔問に来てくださった方の中に、「実に、羨ましい!(死に方が)と言った人がいて、とても腹立たしかったです。当時50代、同世代の正直な気持ちだったとは思いますが…
仕事のこと、家のこと、突然いなくなったので片付けも大変で、それが終わるとまたいっそうの喪失感。今でも夢の中で生きている父に会いますが、ずっと受け入れられていないのかなと思ったりします。みなさんの投稿を読んで当時の気持ちを思い出しました。
せせらぎ
がしました
酒飲まない、タバコ吸わない、食事は気をつける、ジムに行って適度な運動する。
年に一回人間ドック。
健康そのものでした。
亡くなる1週間前に人間ドック受けたとこ。もちろん結果は異常なし。
なのに突然死。解剖されたけど、原因不明でした。
なんで?なんで?ばかり思っています。
仕事は、病気の人を助ける仕事。救急救命士として、地域のみんなを助けてきました。
なのになんで。。
原因不明の突然死。
納得できません。
こわいです。。
せせらぎ
がしました
うちも昨年7月クモ膜下出血でした。
ちょうど父の日、昼間はショッピングモール行って、子供達とボルタリングできるところで遊んで、夕飯食べて、普通に楽しい日曜日だったのに、夜寝る頃に突然倒れて、意識不明のまま2週間後に。。
お酒は好きでしたが、タバコは吸ってないです。
健康診断ではちょっと高血圧ぎみでしたが、薬が出るほどではなかった。
私よりもよっぽど健康的でマラソンや自転車、ボルタリングやったり、食事もヘルシーなものが好きだし、スリムでした。。
仕事はちょっと忙しく課長になったばかりで、プレッシャーとかストレスはあったと思います
愛する人をなくすということは、この世の何よりも辛い事だと毎日実感しています。。
立ち直れるわけもない…救いようのない地獄ですね。。
せせらぎ
がしました
以前ミミすけさんの記事に書き込みをさせていだだきました。
我が家も今年の2月にスーパーマンタイプの主人が突然死しました。
息子2人と4人で何も変わらない日でした。寝る前に「パパの小さい頃の話をして」とせがむ息子に主人は面白おかしくエピソードを話してました。その後「おやすみー」と一緒に寝て、起きたら主人は冷たく固くなってました。不整脈との診断でした。同じ部屋にいたのに、全く気付きませんでした。
死んでしまう前の月に受けた健康診断も異常なく、タバコも一切せず、お酒は好きでしたが許容範囲だと思います。
あれから私は自分の心の底を誰かに見せることはしなくなりました。軽く同情されたり、励まされたり、分かるよーとか言われて疲れてしまいます。だんだん心が狭くなっている気がします。
せせらぎ
がしました
タバコは吸わず、お酒も会社の懇親会では飲むけれど、晩酌の習慣もありませんでした。
健康診断ではメタボ予備軍でしたが、野菜中心で会社帰りに歩いて帰宅してみたり、健康に気を使っていたと思います。
仕事は忙しくてひどく疲れてきていたので、心配をしていましたが、41歳働き盛りで、やりたい仕事を頑張っていました。
あまりの頭痛に、「救急車呼んでー!」と叫んでいましたが、意識もあって、救急車の隊員の方と痛い場所を話していたので、入院して帰れると思っていました。
もっと年をとった人が助かったのに、なぜ夫は助からなかったのか。
待合室で喜ぶ他の家族が羨ましかったです。
子供が一人立ちするまでは生きなくてはと思いますが、死ぬ時は夫に会えるのだと思うと怖くないと思うようになりました。
せせらぎ
がしました
仕事から帰ってきてご飯を食べて横になって眠ったまま亡くなってしまいました。私は隣でうたた寝していたほど、兆候なく。夫自身、亡くなったことに気がつかなかったのではないかと思います。
タバコは吸っていませんでしたが、食生活の乱れはとても心配していました。野菜も食べず、好き嫌いが多く、ご飯の作りがいのない人でした。自分で料理するときもそんなに油使う?ってくらいドバドバ使っていました。
突然か、突然ではないか。どちらも辛いと思います。夫が亡くなって心の迷っている私に歩むべき道、伝えてほしかったと思います。あの日のこと。トラウマです😿
せせらぎ
がしました
本当になんで、、、、、という感じでしたが、いま思い返すと予兆がありました。本当にいま思うとですが、、、、今年に入り、背中が痛い。首が痛い。寝違えた。ということが良くありました。ずっと肩に湿布を貼ってました。本人も私も、四十肩と思っていました。あまりに寝違えるので、次寝違えたらさすがに整形外科行ってね!と言っている矢先の出来事でした。本当にいま思えばで、その時は全くわかりませんでした。。
私も先日、寝違えて首が回らなくなりました。その時に主人のことがフラッシュバックしてしまい、自分も死ぬんじゃないかという恐怖から動悸や息切れが激しくなりパニック障害?みたいになってしまいました。主人があまりにも突然亡くなったので自分も死んじゃないかという恐怖からいまだに抜け出せません。。
最後は喧嘩中だったな。。とても、くだらないことで。せせらぎさんのブログを見て自分以外にも同じような方がいることに慰められました。本当にありがとうごさいます。
せせらぎ
がしました
人間ドックでは何もひっかかったことはないし、タバコも吸わないしとても健康的な生活を送っていました。子供の寝かしつけのまま寝るので睡眠も充分。食事も薄味&野菜好き。お酒はほぼ毎日飲んでいましたが許容内だと思います。正直、周りのどのパパより健康的な生活をしていたと思います。
せせらぎ
がしました
私も以前少し書かせて頂きましたが、主人は夕方ジョギングに行き、帰って来て自宅マンションの前(入口近くのマンションの駐車場)で倒れました。同じマンションの方が見つけて下さり、ピンポンを押して下さって、私は夕飯の準備中でしたが、小3小4の娘二人を留守番させて、すぐにマンションの1階に降りて一緒に救急車に乗りました。
全く意識は無く、多分その時はもう亡くなっていたのだと思います。
でもその時は、亡くなるなんて全然思わず、絶対大丈夫だと思ってたのです。
本当に、ただ寝てるようでした。
健康診断は毎年受け、少し高血圧で薬を飲んでましたが、少し風邪をひいてもすぐ病院に行くような人で、タバコは全く吸わずお酒も、程々でした。
余りにあっけなくて、直後は涙も出ませんでしたが、やはりそれからの毎日は悲しくて寂しくて毎日泣き、体重も1週間で5キロ減りました。今は、2年10ヶ月たち気持ちも落ち着いて来ましたが…
でもこの突然襲ってくる寂しさや不安は一生抱えて行くものだと思ってます。
「考えようで、長い闘病じゃなくてよかったよ」と言う人が何人か居ますが、そう言われるたびに、腹立たしくて、突然死は経験した人じゃないと絶対絶対!解らないと思います。
せせらぎ
がしました
うちも突然心臓が止まってしまい、丸3年経ちました。
亡くなる数年前に狭心症の疑いとか動悸がするとか兆候はあったのですが検査しても投薬するほどでもなく、人間ドックでもコレステロール値が高めくらいでした。
背が高くて太ってなくてスポーツマンで、娘が生まれてからはタバコもやめており、お酒は好きでしたが暴飲するほどでもなく。
何が悲しいって、単身先のマンションで1人で亡くなっていたんです。私と娘に心底愛され人望も厚い彼が誰にも看取られずに。
警察の取り調べ室の様子や警察からの質問、今もぼんやり思い出します。
「ご主人は奥さんと娘に負担も苦労もかけなかったのよ」みたいなことをまわりからよく言われました。
でもこんなに突然死んでしまって、精神的な深い深い悲しみを残してくれました。
だって全然受け入れられず、あれから、大声で泣いたことがありません。
だけど、遺品の中から家族を思うものやメモ書き等が出てくると少しだけ涙が出ます。
まだずっと単身先に行ったまんまみたいです。
亡くなったあと、単身先から持ってきた、まだ彼のにおいの残る毛布やスーツを娘といつまでもかぎながら「あんまりかぐとにおいがなくなっちゃうねー!」とふざけながらしんみり。
それの繰り返しです。
娘には経済的な不安を与えず何不自由なく生活させることが今の私のつとめになっています。
とりあえず少なくとも子供が大学を出て就職をするまでは私は死ねないので、あと10年近くは自分の健康管理に留意せねば!です。
体のどこかに何かしら違和感があるとすぐ病院を受診するクセがつきました。
「あと◯年は絶対死ねない」って結構プレッシャーです(>_<)
ここで同じ境遇のみなさんと語らえて少しずつ心が軽くなります。
せせらぎさん、ありがとう!
せせらぎ
がしました
亡くなる1週間前の週末、「最近仕事楽しそう
ね」と言われ、「仕事も順調、娘も高校生になって家事も楽々、今が一番幸せ」と答えたんです。
大学生の息子のところに行くたびに、「しっかりしたね、安心だね」と話していました。
台風がきたおかげで、いつもはそんなことしないのに、赴任先に戻る夫を、娘と一緒に車で新幹線の駅まで1時間かけて送りました。亡くなる運命は変えられなかったけれど、夫が段取りしてくれたようでした。赴任先に着くまで、子どもたちには本当のことが言えませんでした。とてもたどり着けないと思って。駅に着いて、3人抱き合って、他の集中治療室のモニターは動いているのに、夫の部屋のモニターは真っ暗で。眠っているようでした。手続きもほとんど終わった今、街はクリスマスでキラキラしていて、家族で過ごすはずだった冬休みを考えてしまいます。救急車の音を聞くと、動けなくなります。仕事に打ち込んで、なんとか1日を終えて手を合わせています。
こんなにたくさんの方が、突然死に苦しまれているんですね。死を怖がっていた娘は、ずっと先だけど、パパみたいに一瞬で死ねたらいいねと言うようになりました。介護も老後も訪れませんでしたが、遠いところで寝込んだら私が困る、と倒れた瞬間に思ってくれたと信じたいです。最後に何を思ったのか、教えてほしい。
長くなってすみません
せせらぎ
がしました
4カ月前の土曜日、外出していた私は長らく連絡をとっていなかったママ友から、以前同じ社宅に住んでいた人が連絡してほしいといっている、と連絡を受けました。不思議に思いながら電話すると、夫とゴルフ仲間だった同僚の人が、単身赴任先が私と連絡を取りたがっていると。待っていると警察から電話。教えられた病院に電話すると、「走っていて倒れ、すぐに搬送されて手を尽くしたけど…」駅のホームで聞いて、モニタリングなの?と思いました。45歳でした。
会社でもそれなりのポジションにつき、家では吸っていなかったタバコも昼食後には吸ったりしていたようだし外食も多かったけど、自炊もするし、ジョギングやゴルフが好きで、年をとってお酒の量も減ってきたと思っていたのに。
続く
せせらぎ
がしました
私も以前コメントに書いたりした事はありましたが、1年5ヶ月前に夫を突然亡くしました。
2週間前に受けた人間ドックも多少コレステロールが高かったものの、毎年の事で投薬もなく
生活習慣の改善や定期的な検査で済んでいて、
たばこは2年くらいやめていて、酒は飲むけど休肝日を作ったり、私よりも健康に気を使っていたと思います。こども達とまだまだ一緒にいたし、仕事も頑張らなきゃって、気になる事あればすぐ受診するような人でした。
ただ…やはり気がかりなのは肩や背中がすごく凝るんだって、亡くなる前よく言ってました。
その日は下の娘の100日のお宮参り、家族みんなで食事をし、家に着いて5分もしないうちに倒れて、尋常じゃない状況に慌てるどころか、やけに冷静になってしまいました。最後に話した会話は救急呼ぶ?でした。病院に着いて40分、心肺蘇生をみんなで代わる代わるしてくれましたが、奇跡でも起きない限り難しいと言われ、
そのまま心臓が動き出す事はなくあという間でした。、不思議な1日でした…それから赤ちゃんのお世話もあり、何とか1日1日を過ごしてきたけど、やっぱり記憶がとんでます。悲し過ぎて悲しすぎておかしくなりそうでした。今はこどもたちのお世話をするというミッションで、規則正しく生活出来てます。
旦那であり親友でもあり、大切な人でした。みなさんもこの思いをされてるかと思うと、、、すごく切ない。
せせらぎ
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その日は仕事を終えた後に、趣味で時々しているバンドのドラムを叩きに行ってました。
もうすぐライブがあるからと、仕事終わりに2時間きっちりみっちり練習していたようです。
その後家に帰ってきたのを見届けて、おやすみと最後の会話をし、私は子供たちが寝ている二階へ行き寝ました。夜中にふと目が覚めて下へ行くと、ソファーで倒れるように寝ている夫がいて、起こしても反応せずに、急いで救急車を呼びましたがそのまま意識は戻りませんでした。お風呂に入り、ご飯を食べてちゃんと片付けまでしてありました。ちょうど、サッカーW杯の時期だったので、子供のために決勝戦を予約録画していたようで、後でその事実を知り、最後まで子供のことを思った行動がパパらしくて号泣しました。なぜあの時に先に二階に行って寝てしまったのか、ずっと後悔が残ります。ミミスケさんの旦那様のように今考えると肩凝りや、腕が痛い?と言っていて、ちょっと病院に行かなきゃねって話している時でした。亡くなる前一週間くらい前はいつも以上に優しく感じていて、私幸せだなって思っていたのに、ちゃんと伝えることができないまま突然のお別れです…こんなことってあるんですね。タバコ、お酒はほぼ毎日でしたが、仕事も上にたつようになり、休日は子供といっぱい遊んでくれて、忙しくとも充実した毎日を送っていたと思います。
せせらぎ
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帰って来なかったから探しに行ったら、もう亡くなっていました。
その日の夕食は、パパの好きな牛丼だったんだけどね。食べて貰えなかったなぁ。
娘達はまだ小学生で、私、健康で長生きできるかなぁって不安です。毎日泣いて、夫への愛情が溢れています。寂しい。まだ、3ヶ月しか経ってないから。
夫は自分の父親と脳卒中かなにかで、幼稚園の頃に死別しています。祖母も、早くに亡くなっています。3代続く早死です。もう、笑うしかないですかね。
夫は、子どもの頃貧乏だったので、どこにも行けず、高卒で就職をせざるを得ない人でした。国立大へいける学力ではなかったと言っていました。だから、子どもの教育と旅行にはお金をかけてやりたいからと、正社員での共働きを希望しました。そのおかげで、今、何とか生活ができています。
亡くなった時の事は、まだ、伝えきる事ができません。でも、誰かに聞いて欲しくて、投稿しました。
せせらぎ
がしました
私は、少し特殊かもしれません。
夫は、飛行機に乗る仕事をしていました。
飛行機に乗る為に風邪1つひいたことの無い心身共に健康な夫でした。
2年8ヶ月前の出張の日。
朝見送った背中が最後でした。
「旦那さんの乗った飛行機と連絡が取れない」
…そのあとの事は、あまりのショックに記憶に無い部分もあります。
墜落した。
身体は、本人かどうかDNA鑑定しないと判別出来ませんでした。
神隠しにあったようです。
棺を見ても(形は無いため中は見られず)、遺骨を見ても、頭も心も理解なんて出来ませんでした。
苦しくて、苦しくて、哀しさで、頭がおかしくなっている自分と、子供達にミルクを与える自分が共存してました。
冷たくなった姿を見てないから、触れてないから、私は、未だに分かってないのかもしれません。
それでも、今は、姿が見えなくとも、声が聴こえなくとも、触れられなくとも、愛する夫は「傍に居てくれている」と感じるのです。
せせらぎ
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旦那は46歳だったのですが、20歳の頃からタバコも吸ってたしお酒も毎日。特にタバコは私も散々言っていましたが、やめられませんでした。
突然死は引っ越しの1週間前で、たまたま私と娘が実家に泊まってた翌朝に布団で寝たまま冷たくなっていました。その日引っ越しの準備で私だけ自宅に戻り旦那を発見。
「嘘…嘘でしょ…起きて!!起きてよ!!!」と言ったこと、救急車が来るまで、電話越しに言われるがままに冷たくなった旦那に心臓マッサージをしたこと、鮮明に覚えています。
霊柩車の運転手さんが、旦那と同じ年頃に心筋梗塞で倒れたけど、その場に奥さんがいてすぐに救急車で運ばれて助かったそうです。その方は、以前から左の肩や腕がたまに痛くて、それが予兆だったと病院の先生に言われたそうです。分散痛と言って直接心臓に出る訳ではなく、肩や首など別のところに症状が出るらしい…
旦那も数ヵ月前から、左の肩がやたら凝ると言っていて。年齢的に肩凝りはよくあるし、五十肩かな?(笑)なんて言ってたんですけど、予兆があったのに…何で調べなかったんだろう、どうして気付けなかったんだろう、と今更遅いけどとても後悔しています。
引っ越しの1週間前、2人目出産の2ヵ月前だったので、何でこのタイミングなの?という思いはずっと消えないと思います。
最初の3ヵ月はもう地獄の苦しみでした。毎日泣き叫んでいました。下の子が新生児の頃の記憶はほとんどありません…
最後に直接交わした言葉は「いってらっしゃい、いってきます」最後にきたLINEは「おやすみ」でした。当たり前に毎日交わしてたのに、最後になるなんて。
せせらぎ
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仕事でずーっと忙しくて、無理してるなあ大丈夫なのかなあと心配してましたが、まさかまさか…いつも通り朝食食べて出かけてそれが最後になりました。
慌ただしい日常の中で感謝の気持ちなんて全く伝えられて無かった。これからいくらでも言えると思ってたのに。それが一番辛い。一言だけでも伝えられたらなあ。
せせらぎ
がしました
以前コメント欄でコメント頂いた方もありがとうございます。
世の中色んな死に方があるって言うのに何で突然死なのよって感じです。
死ぬほど辛いとか良く言うけど、コロッと死んじゃうなんてありえない!!!
うちの旦那は風邪を引いて辛くても、風邪薬を飲んで趣味を楽しむ様な人でした。
寝ないし、栄養ドリンクは毎日飲むし、人間離れした生活をしていたので、色々注意しても全く聞き入れてもらえませんでした。
健康の為にと毎日ジムに泳ぎに行っていて、その最中に心停止しました。毎日泳ぐのもありえないし。
病院で心拍が再開しましたが、その8日後に亡くなりました。
今でも鮮明に思い出してしまう、光景ですよね。ちなみに今年の2月の話です。
皆様のお話も聞かせて下さい。そして一緒に旦那様を思い出しましょう。
せせらぎ
がしました