2020年3月26日

オリンピック延期で思った3つのこと


3月24日、東京オリンピックの延期が決まった。

1年後、新型コロナの感染が終息していなければどうする?・・・という発想には目をつむったまま。1年以内になんとかなっているだろう的な楽観にもとづいた決定。

「今後人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催するために、IOC、バッハ会長と緊密に連携をしていくことで一致をしたところであります」とは首相の談話。

達成感を感じているように見えましたが、「完全な形で」とか調子のよい言葉をまたしても使っていて、その軽々しさで地面から浮いてしまいそう。

最悪の事態を想定してプランを練るのがトップの仕事だろうに(水面下では中止のシミュレーションも行われているのだろうけど)。



延期決定に、JOCの山下泰裕会長は、「人生にはいろんなことが起こる。思う通りにいかないこともある」と語っていた。

現役時代、柔道の日本代表に選ばれながら、1980年のモスクワ五輪を日本がボイコットしたことで、出場出来なかった経験を持つ人の言葉だと思った。

私は選手でも何でもないけれど、政治的な理由でアスリートの夢が台無しにされたあのときの方が、よっぽど地団駄踏みたい気持ちになった。

脊椎損傷を克服して聖火ランナーに選ばれていたある男性が、聖火リレーが延期になったことについて、「いろいろあるけど、悪いことばかりじゃないから」と話していたことも、とても印象的だった。

これも、思いがけない大きな経験をした人の言葉だと思った。

たいていの人は、今まで行われていたものを当たり前のことと思って、執着が強くなりすぎていると思う。



勝負の瞬間に向けてピークを持って行くのはアスリートにとって大事なこと。

とりわけオリンピックのような1回勝負の場では、ことさらそのことに神経が行くわけで、延期による心身の調整の難しさを語るアスリートも少なくない。

その点、調子が悪いなら悪いなりになんとか折り合いをつけていくのが、プロの選手。

シーズンのうちに何試合もあるからできることですが。

そうは言っても、何試合あっても、何度もチャンスを与えられるとは限りませんが。岡田明丈が心配です(唐突)。

甲子園にしても、オリンピックにしても、アマの世界が大きな存在になっていると過度に思われすぎているような、そんなことに気づかされた年になってしまった。

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