2018年10月11日木曜日

同じ憲法改正反対でもーハンギョレとマハティールの格調の違い


 929日付の革新系の韓国紙ハンギョレは、安倍晋三首相の両隣に母方の祖父岸信介元首相、父方の祖父安倍寛氏の写真を並べたコラージュを1面に大きく掲載した。「安倍晋三の選択」と題した特集で、「平和主義者」だった安倍寛氏の路線を歩まず、岸氏の宿願だった憲法改正を実現し「戦争が可能な国家に日本を変えようとしている」と主張したようである。そして、「日本軍国主義の侵略と植民地支配を経験した韓国、中国などはこれを不安な目で見守らなければならない状況だ」とコメントしているようだ。

 一方、親日家として知られるマレーシアのマハティール首相は、28日に、米ニューヨークの国連本部で会見し、日本で憲法改正の動きが出ていることに「戦争に行くことを許すようにするなら後退だ」と述べている。そして、日本の現行憲法を評価し、日本の憲法を参考に自国マレーシアの憲法改正を検討しているという。

 ハンギョレには申し訳ないが、同じ憲法改正反対でも、マハティールの主張と比較すると、どうしてかくも格調が低くなってしまうのだろうか。日本人の中には、「戦争ができる国にしたい」と思っている人はほとんどいない。また、文明進歩という点から見れば、マハティールの「後退」という指摘は正鵠を射ている。したがって、ハンギョレの記事と比較すると、マハティールの主張には私たちも大きく同意することができるのだ。

 しかし現実には軍備の放棄は極めて困難である。1945年以降周囲を巻き込んだ大国同士の戦争が終わり、また、2000年以降戦争やジェノサイドは起きていない。この平和を確立する上で、リヴァイアサンとしての米軍の役割は評価できると思う。もちろんすべてが良かったというわけではないが、多国籍軍の中心としてのアメリカが信頼できる理由は、何といってもアメリカが民主主義の国であるからであって、軍隊が暴走しない「制度としての装置」を持っているからである。しかし、世界にはまだまだ軍隊の暴走を止めることができない国がある。もちろん止めることができる国とできない国にきれいに二部できるわけではなくて程度問題なのだが、その可能性が高い国にはリヴァイアサンの役割を担わせることはできないし、むしろリヴァイアサンによる掣肘が常に必要である。

 日本がアメリカの力を借りたり、軍備を放棄できなかったりする大きな理由の一つに中国の存在がある。その理由は、中国が健全な民主主義国家ではなく、軍隊が暴走したら止めることができるのかを常に疑われているからである。ハンギョレの記者はこの点が理解できているのだろうか。できていないのだとすれば、普段どんな論文を読み、諸外国のどんな記事を読んでいるのか非常に気になる。あるいは理解しておきながら、中国にすり寄らないと自国の経済的不利益を被る可能性があるのでこのような記事を書かないといけないのだろうか。よくわからないが、日本を叩いておけばとりあえず職は失わない、というのが正解だろう。

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