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2020年4月18日土曜日

エドガー・アラン・ポーの恐るべき先見性 -怪奇小説『赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)』は現実のものとなった!-

アメリカのホラー小説家
エドガー・アラン・ポー(1809~1849)を
ご存知であろうか。

名 探偵明智小五郎と少年探偵団の生みの親、
江戸川乱歩という筆名は、
この人の名前をパクっ たというか、もじったものとして有名だ。

作品は怪奇小説といいながら、単純な筋立てで話が進んでいくか ら、
英コナン・ドイルのシャーロック・ホームズと共に、
少年少女文学全集の常連だろう。

この人の代表作のひとつに『赤死病の仮面』がある。

ウィキぺディアに
うまくダイジェス トしたのがあるから引用すると、
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ある国で「赤死病」という疫病が広まり、長い間人々を苦しめていた。

ひとたびその病にかかると、眩 暈が起こり、体中が痛み始め、
発症から三十分も経たないうちに体中から血が溢れ出して死に至る。

しかし国王プロスペローは、臣下の大半がこの病にかかって死ぬと、
残った臣下や友人を引き連れて城 砦の奥に立てこもり、
疫病が入り込まないよう厳重に通路を封じてしまった。

城外で病が猛威を 振るうのをよそに、
王は友人たちとともに饗宴にふけり、やがて5、6ヶ月もたつと
そこで仮面舞踏会を開く ことを思い立った。

舞踏会の会場となる部屋は奇妙なつくりをしており、
7つの部屋が続きの間として不規 則につながり、
またそれぞれの部屋はあるものは青、
あるものは緑という風に壁一面が一色に塗られ、
窓にはめ込まれたステンドグラスも同じ色をしていた。

ただ最も奥にある黒い部屋だけは例外で、
ここだ けは壁の色と違いステンドグラスは赤く、
その不気味な部屋にまで足を踏み入れようとするものはいな かった。

舞踏会は深夜まで続き、
黒い部屋に据えられた黒檀の時計が12時を知らせると、
人々はある奇妙な仮 装をした人物が
舞踏会に紛れ込んでいることに気がついた。

その人物は全身に死装束をまとい、
仮面は 死後硬直を模した不気味なものであり、
しかもあろうことか赤死病の症状を模して、
 仮面にも衣装にも赤 い斑点がいくつも付けられていた。

この仮装に怒り狂った王はこの謎の人物を追いたて、
黒い部屋まで 追い詰めると短剣を衝き立てようとするが、
振り返ったその人物と対峙した途端、絨毯に倒れこみ死んで しまう。

そして参会者たちが勇気を振起し、
その人物の仮装を剥ぎ取ってみると、
その下には何ら実体が 存在していなかった。

この瞬間、赤死病が場内に入り込んでいることが判明し、
参会者たちは一 人、また一人と赤死病にかかって倒れていった。
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この小説が発表された1842年当時は、
赤死病 (Red Death)という病気はない。
いわば架 空の伝染病で、ペスト、別名黒死病(Black Death)を
もじって命名したものと思われる。

1970年代に初めて発見され、
その後散発的にアフリカで大流行している
エボラ出血熱の症 状とそっくりなのが何ともすごい。

エボラに感染すると、口鼻、
一説には体の上から下 まで穴という穴から
出血して死に至るというから、赤死病そのものだ。

ポー本人は、ホラー 小説的に、
讃岐流に言えば“むつごい”表現で書いたのであろうが、
現実がそれを後追いし ている。

ただ、エボラの場合、潜伏期間が極端に短いのと、
致死率が50%を大幅に上回る。

患者が周囲に病原菌を撒き散らし、伝染させる前に死んでしまうため、
世界的流行にま では至っていない。

問題は新コロだ。
「疫病が入り込まないよう厳重に通路を封じてしまった。」
というのは 、これはまさに、中国の武漢あたりスタートのやり方である。

だが、潜伏期間が余りに長いのと、
健 常者というよりも健丈者にも感染するが、
発病しない人もいるという特性のため、保菌者が 病原体を撒き散らす。

その結果、病が場内に入り込んでいることが判明したときは、
時すで に遅し、病原体はすでに撒き散らされ、
参会者たちは一人、また一人と病にかかって倒れて いった、となる訳だ。

いやはや、すさまじい先見性である。
いや、予言者と言ってもいいだ ろう。


ところで、この人の代表作のように言われているのが
「黒猫(The Black Cat)」だ。

この 作品を幼い頃に初めて読んだときから、
いい歳の大人になるまで抱いていた疑問。

殺した ヨメさんの死体を隠すために壁に塗り込めるのは分かるとして、
憎悪する黒猫をそのヨメさ んの死体の頭上に生きたまま塗り込めるというのは、
殺し方としてはどうも腑に落ちなかっ た。

殺してから埋め込むのならわかるのだが、
生きたまま埋め込むのが動物虐待的で、
動物 愛護精神にうるさい西欧式思考からすると衝撃が大きいからか。
ならもっと酷い殺し方もあ ろうに・・・で、30年が過ぎた。

その行動の裏に、
余り大きい声で言えない英国流の慣習が潜んでいることが判明した。

2000年平成12年夏から約1年間、
朝日新聞に連載された村田喜代子氏(この人本人に仕事 で会ったことがあり、そ
の縁で連載は一通り読んだ。)の小説『人が見たら蛙に化(な)れ』を 読んだ結果だ。

この小説の終盤で、
文化財の盗掘屋であったか贓物故買い屋の骨董商であっ たかが、
英国ロンドン塔を訪ねる場面があったのだが、
ここで、日本には無い、余り気味の 良くない慣習が語られた。

曰く、日本や中国なら人柱を立てるように、
あちらでは新築の家 の壁に生きた猫を塗りこめる。
それも黒猫がいい、という何とも不気味な慣習があるという のだ。

これで、積年の謎が解けた。

英国流を受継ぐアメリカの東岸ボストンに生まれ、ボ
ルチモ アで没したポーの周辺には、
こうした英国流慣習が、良いことも悪いことも渦巻いていたの だろう。

その悪い慣習の一端を小説に潜り込ませたのであろうが、
この慣習を知るか知らな いか、
で小説の不気味さというよりも有難味が半減してしまう。

翻訳者は注釈を付けてでも 、
この慣習を読者に教え込むべきなのだ。

それに依って、なぜ黒猫が生きたまま塗り込めら れたかがはっきりする。

小説の主人公は、新築家屋における英国流慣習を淡々と実現すると ともに、
妻を死に至らしめた、いさかいの原因たる黒猫を目の前から消し去った。
言 ってみれば一石二鳥である。

まこと、文化にまつわる慣習というのは奥深いものだ。
良くも 悪くも。
こういうことを明るみに出していくのも、地勢学の真骨頂だろう。

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