アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2019年06月09日

「エメラルドは人に褒められなくてもその価値を失わない。」マルクス・アウレリウスを想って、、、その(3)

エメラルド・目指せ年齢不詳のすっぴん素肌・スキンケア・エイジングケア・美肌・1.jpg

第16代古代ローマ皇帝「マルクス・アウレリウス」が書いた「自省録(じせいろく)」の名言集その(3)です。

「自省録(じせいろく)」とは、哲学オタクでもあった思慮深い指導者「マルクス・アウレリウス」様の個人的な反省文集です。


以前にも書いた通り「自省録」は、あくまでもアウレリウス様が自分のために書いたものであって、他人が読む事を想定した物ではありません。

アウレリウス様自身が日々を幸福に生きるため、自分へ言い聞かす様に、反省文の様に、自らの理想を確認するために書き続けた物です。

その(1)(2)の繰り返しになりますが、ギリシャ語において「善い」「悪い」という言葉には道徳的な意味がありません。

「善い」は「正しい」ではなく「ためになる」、「悪い」は「正しくない」ではなく「ためにならない」という意味。

「善い=ためになる=幸福になる」「悪い=ためにならない=幸福にならない」と判断するともっと分かり易いかもしれません。

それでは、前回に引き続き、私が個人的に心に刺さった「マルクス・アウレリウス」様の言葉を紹介します。

以下の「」内は、マルクス・アウレリウス様が書いた「自省録(じせいろく)」からの抜粋です。

今回のテーマは「人生の中で思いがけず訪れる困難への向き合い方」語録です。

「お前自身には成し遂げ難いことがあるとしても、
 それが人間に不可能なことだと考えてはならない。

 むしろ、人間にとって可能でふさわしいことであれば、
 お前にも成し遂げることができると考えよ。」

これは「先人が乗り越えてきたことならば、自分にも乗り越えられるはずだ」とアルレリウス様がご自分自身に言い聞かせていたということ、、、。

それには訳があって、ご自分の意志に反し、若干39歳で皇帝に指名されたアルレリウス様には、想像も出来ないほどの多難が待ち受けていたからです。

皇帝に就任したその年(西暦161年)、ローマは大雨による大飢饉とテヴェレ川の氾濫に見舞われます。そして更に、混乱に乗じた異民族が国境線から侵入して来たのです。

皇帝になったばかりの39歳のマルクス・アウレリウス様は、自ら戦いの最前線へと向かい、戦争に明け暮れる日々を送らざるを得なかったのです。

しかもそうしている間に、ローマ市内では疫病が蔓延し、多くの市民がバタバタと命を落とし続けていたのです。

元々思慮深く、戦争など大の苦手のアルレリウス様ですから「どうして自分だけに?」と思わずにはいられなかった事でしょう。

これは、そうした過酷な状況の中にあって、彼が自分自身に対して言い聞かせる様に書き綴っていた文章なのです。

「この上なく立派に生きること、
 この力はもしも善悪無記のものに無関心でいるならば、
 魂の中にある。

 我々の所にやって来ないでじっとしているのに、
 我々がそれについての判断を生み出し、
 いわば書かなくてもいいのに、
 また、気付かずに書いてもすぐに消せるのに、
 自分自身の中に書き付ける者であることを覚えておけば、
 無関心であるだろう。」

これはちょっと難解ですね、、、。「善悪無記」というのは「あらゆる物事はそれ自体では善でも悪でもない」という事だそうです。

そして「善悪無記」の物事、つまり「善」でも「悪」でもない物事に捕らわれないようにすれば「幸福に生きられる」とおっしゃっているんだそうです。

ここで、この「善悪無記の物事」についてもう少し解説すると、例えば「財産」や「技能」や「容姿」等がそれに当たるそうです。

「財産」「技能」「容姿」等の様な、一般的には「優位」と考えられがちな物事は、それ自体は「善」でも「悪」でもありません。

多くの「財産」、優れた「技能」、美しい「容姿」等を持つ事自体は「善」でも「悪」でもない「善悪無記の物事」なのです。

確かに、多くの「財産」を持っているという事実のみからは、その人が「善人」か「悪人」かを判断する事は出来ません。

また、優れた「技能」を持っているという事実のみからも、その人が「善人」か「悪人」かを判断する事は出来ません。

ですが、それらの「善悪無記の物事」は「アレテー=徳」が伴わなければ「悪」となり、むしろ不幸になってしまう場合があります。

ところが、そうした「善悪無記の物事」に「アレテー=徳」が伴なえば「善」となって、幸福に結び付ける事が出来るのです。

確かに、世の中にはせっかく多くの財産や優れた能力等を持っていても、なぜか残念な事になってしまう方もいらっしゃいます。

そう言えば、先月「白い巨塔」の令和バージョンが放送されていましたが、主人公の財前五郎は「財産・技能・容姿」全て持っていました。

ですが彼の場合次第に傲慢さが増し、あまりにも「人の心を理解する能力」が欠落していたため、とても残念で悲しい最期となってしまいました。

主人公である財前五郎がそれまで重ね続けた努力や、彼が多くの患者を助けた事実、そして彼の母親(原作では第一審後に死去)を思うと涙がこぼれました。

「白い巨塔」はフィクションですが、人間模様がリアルで(役者さん達の演技も素晴らしかったし)、久々に感情移入してしまいました(脱線してすみません)。

人間が「幸福」に生きるためには、本当の「幸福」になれるような「ロゴス=理性」が正しく働かなければならないと、アウレリウス様はご自分に言い聞かせているのです。

「ロゴス=理性」が正しく働いている状態を、ギリシャ語で「アレテー=徳・優れていること」と言うのだそうです。

つまり、あらゆる物事はそれ自体では「善」でも「悪」でもなく、「アレテー=徳」によって「幸福」に結び付く「善」へと導く事が出来ると言う事です。

ですから、そうした「善」でも「悪」でもない「善悪無記の物事」に無関心であれば、魂は平安で幸福であるという事でしょうか、、、?

「起こること全てを、難儀なことに思えても、
 喜んで受け入れよ。

 起こることは、全て正しく起こる。
 自然に即して悪いものは何一つない。

 お前が今いる状況ほど哲学するために適した生活はない、
 ということが、どれだけ明らかに納得されることか。」

アウレリウス様は、本当は「哲学者」に成りたかったので、どんな状況下でも自分の好きな事、つまり「哲学の研究」が出来るとご自分に言い聞かせています。
 
ご自分の運命を積極的に受け入れて、政治の世界でも哲学の教えを実践し、市民を幸福へと導く事を、ご自身の使命とお考えになっていたのですね、、、。

「自分に起こり、織り込まれた物(運命)を愛し、
 歓迎すること。」

お辛かったんですね、、、。いろいろあったんですね、、、。アウレリウス様が乗り越えられた困難を思えば、大抵の事は「大した事ない」と思えて来ます。

私も「何で自分だけがこんな目に、、、」と思った事があります。でもそれは、ひょっとして「自分だけ」と思ったからこそ辛かったような気がします。

「自分だけじゃない、皆大変なんだ、、、」と思えば乗り越えられます。「あそこでニコニコ笑っている人達だって、皆大変な事もあるんだ、、、」

「皆さん大変な事もあるけれど、今のこの瞬間を精一杯楽しんで、ここに居られる事を喜んでいるんだ、私もそうしよう、、、」と思えば辛くなくなります。

いや、むしろ「先人達の苦難を想えば、自分の辛さや大変さなんて、全て取るに足りない事だ、、、」とさえ思えて来るものです。

「人生楽ありゃ苦もあるさ〜」と水戸黄門の歌にもあります(かなり古くてごめんなさい)。大変な事を乗り越えた先にこそ幸せが訪れる、、、と受け取る事も出来ます。


最後まで読んでくれてありがとうございます!また読んで下さいね
ポチっと押して頂けると励みになります。よろしくお願いします

人気ブログランキング
にほんブログ村 美容ブログ エイジングケアへ
にほんブログ村
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8852959
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
まゆみんさんの画像
まゆみん
とうとう60代に突入した主婦です。自分の体験や日々思う事を綴っています。
プロフィール
最新コメント
最新記事
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。