さて、先日十勝は帯広へ小旅行に行ってきました。

 ちょうど、なつぞら、が最終回を迎える直前でしたが、陸別町の道駅で特別列車が停まっていて、さながら、なつぞら 広瀬すずさん号として観光に一役も二役も買って出ていた様子。

 これまで、家族がみているドラマをふふん・・・と観ているだけでしたが、すっかり虜になっていましたね。

 といいますのも、ドラマで天陽演じるモデルとなったのが、神田日勝という若くして病に没した画家で、ベニヤ板に書き込む力強い油彩画の「馬」が大変、有名なことで知られています。

 実は、以前からこの画に関心があり、見てみたいと思っていましたが、なんと、「なつぞら」とここにくるまで結びついていないという鈍感な有様。しかも、帰宅してからのことです。神田日勝記念美術館さえ、行こうという考えすらなく、後悔・・・。

 この方は、農民であり、画家ですが、農民画家といわれるのを嫌い、「農民である。画家である。」と語っていたそうです。(神田日勝記念美術間 出所)そして、どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をしたかで、決まってくる。と。

 感慨深いものがあります。

 むしろ、こういうことを知った後で記念館へ行き、じっと作品を見た方がよいのかもしれないと。これは、楽しみ。

  

                        

                    

 

                    

 

 十勝の開拓者精神や、歴史、自然、食などの地域資源を全国へ発信する機会になったことでしょう。地域の日銀資産での経済効果は約95億円といわれています。ドラマ後は、殆ど、効果という点で、熱が冷めてしまいます。持続的に地域おこしの政策を打っていかなければ、せっかくのパプリシティ効果が台無しです。

 

 他方、ドラマでは、大木の根っ子を馬で引き抜くシーンなどがありますが、そもそも、ここはアイヌの方々が数千年にもわたり生活してきた神の住む土地(コタン)であったという史実を抑えておくことが肝銘だと思っています。無論、開拓者とその精神は否定しませんし、現在の礎となっています。要は、当時の政府、開拓のやり方に問題があるということです。つまり、元々、ここには開拓以前の先住者がおられたという事実でがあります。

 我々の先人のしたことは、欧州のかつての列強諸国となんら変わりありませんし、生活の場の土地を取り上げ、鮏や猟を規制し、また、人権までも迫害し、日本語を強要し、アイデンティティを取り上げたという負の史実から目を背けるべきではないと考えます。

 かつての琉球にも一部、同じことが言えます。

 

 さて、白老町に来年アイヌ民族博物館がオープンします。民族共生象徴空間といわれる施設で、国立博物館になります。

 共生・・・という言葉が最近目につきますが、LGBTや男女共同参画・・・にしろ、このように政策的な区別自体、現存する差別がそこにはある、という裏返しということになるといえます。無論、なにもしないことよりはましなことでしょうが、こうでもしないと人間、差別や軽蔑のまなざしの対象として見るということは如何なものか。共通するのは共生という難しい語句で片付けるのではなく、シンプルに、平等、対等、同じ権利をもつことです。

 表向きの世界の裏にはこうした歴史や経過などが存在している、存在していたということもひっくるめて、やはり、記念館へ足をいずれ運びたいと思う次第です。

 

 旅行中は、晴天で十勝の広大な自然と温泉、美味しい料理に満足でした。途中、廃屋となった牧場やサイロ、小屋も点在していました。

 スピッツの「優しいあの子」のイメージ通り、ノスタルジックな雰囲気が道すがら感じられるところもありますね。そう、歌詞にも「コタン」という部分があります。

                        

 

もう秋です。

 メディア・スクーリングも始まりましたし、こつこつとまた「学生」していかないと、次への階段上がれません。

 とにかく、頑張ろう。