2020年04月30日
ラストシーンに想像が巡る
『あの夏、いちばん静かな海。』
お読みの際はご注意下さい
北野武監督三作目(本名名義)のこの映画は、いわゆる北野武のバイオレンスものからは全くかけ離れたもの
「ゴミ取集の仕事に就いている青年(茂)が、ある日、先の折れたサーフボードを拾い自分で修復する。直したサーフボードを持って海へ行き、そこから波乗りに夢中になる。一緒についていく彼女は、浜辺で座りながら波に悪戦苦闘する初心者茂を笑いながら見て過ごす。間もなく自己流で直したボードはあっけなく大破。大決意をして彼女と共に新しいサーフボードを地元のサーフショップに買いに行くのだが…。
同じ海でサーフィンをする人達の仲間に入れてもらったり、サーフィンの大会に出るまでになったりと色々あるが、最後には観ている者の想像を掻き立てる結末が…
主人公の茂と彼女の貴子は同じ障害を持つ。映画の中で二人の声を聴くことはできない
そんな二人はどこに行くのも一緒で、いつも茂の側で寄り添い歩く貴子は健気のひと言
一方『俺について来い』風にしている茂だが、貴子にちょっと距離を取られると途端におろおろしてしまい、惚れ度は圧倒的に茂の方が高い
結局どちらもお互いをとても必要としていることが「聲」を聴かずともよく伝わってくる
この映画の最後のシーン、これをどう解釈するかがその人なりの『あの夏、いちばん静かな海。』を完成させる
ネットでも「あーではないか?」「こうではないか?」と、このラストシーンに対して様々な想像を巡らせている人たちが数多くいる
このラストシーンについて、映画を観た黒澤明監督が北野武監督に対し
「よくわからないラストシーンはいらなかった」
と指摘
それに対して北野武監督は
「観客に対するサービスだった」
と、ある対談の中で答えたとのこと
(黒澤明監督はこの映画に高評価をしています)
ここで、この映画のキャッチコピーを改めて振り返ってみると
浜辺に捨てられた折れたサーフボード。もう誰も振り向かなかったけど二人にとっては大切な宝物だった
一生に一度、こんな夏が来る。
というものでした
これに加えて冒頭の画像の中にある文章も合わせて読んでみると、なかなか想像をかきたてるものがあります
各言う自分の解釈は
です
みなさんはどうでしたか?
この映画をすでに観た人も、これから観る人も、また改めて観るという人も、それぞれの想像を巡らせてこの夏の静かな海の物語を完成させてみてはいかがでしょうか
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