楽山のゴシップ趣味 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

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キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。

 
  楽山のゴシップ趣味
 
 『釈迦とイエス』ひろさちや著
 2020年10月22日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26710383.html
 
 
楽山が、宗教について、いかに、いい加減な気持ちで、本を読んでいるかが分かります。そして、前に、好き勝手に嘘と詭弁の2つの記事で嫌がらせをしておいて、こちらの返した批判に対しては、いっさい無視していることも、明らかになっています。
 

著者は本書の冒頭において、信仰上の仏陀とキリストではなく、人としての釈迦とイエスについて書くとしており、どんな話が読めるのかと期待したのではあるが、釈迦の出家の動機は、さとりのためというより、天女を抱くためであったしている箇所には意表を突かれた。

 
今度は、仏教を揶揄しています。人間らしいところには、楽山は、自らの欠陥のために目がいかず、代わりに、揶揄の材料になることだけを面白がるのです。楽山は真実追求の妨害者そして敵です。
 

著者によれば、当時のインドでは、この世において功徳を積めば、天界に生まれ変わり、美しい天女と戯れ、種々の快楽を味わうことができると信じられており、ヤショーダラーはそれがために釈迦は出家したと推測したという話が伝わっているのだそうな。

 
このような、ゴシップのようなネタを面白がっています。万事、これだけなのです。
 

また釈迦は、美しい婚約者のことが忘れられず、修行に身が入らぬナンダに対して、真面目に修行すれば天界に生まれることができ、そこでは美しい婚約者よりも、もっとずっと美しい天女を妻にできるのだぞと教え諭したという話もあるという。

 
「話もある」というレベルのことを吹聴して、仏教の神髄には一歩も近づけないでいる楽山の趣味と遊びの言が、明らかになっています。
 
それだけを書いて、満悦し、結びには「感動できる」などと、平気で書いてくる怠け者です。楽山に近づくことの災いの予兆が、かなり、はっきり表れています。
 

こうしてみると、著者の話には全く根拠がないわけではないらしい。でもそれでもやっぱり自分は、この手の話にはどうにも抵抗を感じないではいられない。信仰上の仏陀でなく、史実に基づいて人としての釈迦の実像を探るということには意義はあるだろうけれども、釈迦は俗人とさほど変わらぬ下心ありの男であったという見方にはどうにも承服し難いものがある。

 
だったら、書かなければよいのです。楽山が言論者として不適だという根拠は、約1年半にわたって批判記事に書いてきました。人を無視する楽山の特徴が表れています。
 
読者が勝手に面白がっているだろうと思うゆえの、作為の「承服しがたい」だと思います。ここでは、自分だけ、かっこつけようとしているのでしょう。自分だけ、冷静な良い子アピールの楽山です。
 

とはいえ、本書ではキリスト教については、興味深いことが書いてあった。著者によれば、「キリスト教においては、信ずることによって救われるのではない。その逆であって、救われた者のみが信ずることができるのだ」(pp160-161)とのことである。

 
楽山の刷り込みです。"救われた者のみが信ずることができる" という言い方で、救われたという限定で信じればよくて、救われた体験のない人は信じなくていいと言いたいのでしょう。救われていない楽山が、救われない自分を正当化するためのこじつけです。
 
前にも言ったように、救いと信じることとは、因果関係で考えることは出来ません。この2つは、分離できません。信仰は、神と人の心の関係です。信じなければ知らないわけですから、救いとは無縁でしょうし、かつ、揶揄までする者が、嘘の信仰で救われることはありません。
 
前に批判しているのに、反論も弁明も出来ないまま、批判を無視して、自分の言い分だけを繰り返す楽山の自己中の特徴が表れています。
 

この考え方については、キリスト教の神学的な是非判断はともかくとして、この前に書いた記事のテーマと同じものなので、おぉっと驚き、感動できる言葉であった。本を読んでいると、こんな風に自分の考えている事柄に対する答え、ヒントと出会えることがあるので楽しい。

 
本を読んでも、都合の良い言葉だけを漁って、楽山の、不都合を総て他者のせいにして、無視してゆく、病質者の特徴が表れています。
 
楽山は、感動したことはないと思います。これまでの楽山の文章では、真摯な態度が見られず、ことごとく興味本位で、まるで娯楽のように、真実についてのテーマが扱われてきました。だから、「感動できる」などと言葉だけ書いて、感動そのものを表現できないのです。
 
楽山は、本を読んでも、自己中心に、ゲームやホラー映画のように興味本位でしか感想を書けないのです。何ごとにつけ、真剣味が皆無なのが特徴です。
 
一つの辻褄に、自分と同じと思えば、感動という言葉を気安く書いて、好人物を印象付けようとするので、注意が必要です。涙、反省、トホホ、なども書いてきますが、その前後に、実感のある様子が何も見えてこないのが、楽山の特徴です。
 
どうか、楽山には、文章のうわべだけで、決して、やさしい人などと思わないでください。中身は、そのように思われることだけを求めているところの、隠し事だらけの自己愛性パーソナリティ障害の病質者だと思います。どうか、関わらないでください。どうか、近づかないでください。
 
 
      
                                 遊び半分
 
 
(2020年10月23日、同日一部修正)
 
 
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