前回からのつづき・・・

カナダの路上試験でまさかの3秒爆死した私。試験官から「あんたはdangerous driverだ!」と責められたトラウマを抱え、自動車免許取得の夢は断念。「もう一生公共交通機関だけで生きてやるんだ!」と自暴自棄になった私だったのですが、ここ日本で1年間を過ごす事となり、心機一転、再び自動車免許取得の夢を追いかける事に決めたのでした。

その理由はズバリ・・「田舎の温泉に行きたいから」



もったいつけた理由がそれかぁ~!と思われた皆さん。そんなもんなんですよ私のささやかな夢なんて。電車で行けって?いやいや田舎をなめちゃいけませんよ。車なしで旅行しようと思ったら、すっごい時間的ロスが生じるんです。私の実家だって、年々バスの(もちろん電車や地下鉄なんてものはない)本数が削られて、かつては1時間に3本あったバスが2本になり1本になり、とうとう1日3本まで(それもミニバスに変更)減らされてしまいました。つまり私の家にバスで行こうと思ったら(温泉も何も出ないけど・・・)、当日中にギリギリ駅から1往復できるって事。もし私の実家が退屈で死にそうだと思っても、帰りのバスまでの数時間、延々と我慢して過ごさなければならないんです。いや~それってすっごい時間とエネルギーの無駄ですよね。あ、私の実家の悪口言ってる訳ではないですよ。あくまでも例えです、例え 笑。



それにもう一つ自動車免許を取りたい理由・・・それは「大人の気分を味わいたい」から。

なんじゃそりゃ!?40過ぎたおっさんが何をぬかしとるんじゃい!?

うん、確かに気持ち悪いかも(笑)・・・いやいや、そーじゃなくて、私の中では「車=自由」ってイメージがあるんですよ。車があれば、徒歩ではいけない所、バスや交通機関では簡単にアクセスできない所に、自分の都合に合わせてビュンと行けてしまう。それを自由と言わずなんと言おう!さらに、ソーシャルワーカーとして、特にお年寄りの患者さんと働く中で、車がいかに彼ら彼女らの自由と自立の象徴になっているのかを身をもって体験したことも影響しているのかもしれません。


病院でお年寄りの患者さんと働く中で必ず出会う問題、それは免許剥奪。認知症や、脳溢血による麻痺、視覚障害などにより患者さんによる自動車運転が危険と見なされたとき、カナダBC州で働く医療従事者はICBCと呼ばれる運転免許保険センターへそれを通報しなければいけません。一番ベストな状況は、患者さんが自らの病状を理解し、そして免許を返納すること。それを目指して医療ソーシャルワーカーは、このようなケースでは積極的に患者さんに自主返納を働きかけるのですが、多くの患者さんは免許返納を拒みます。それには様々な理由があるのですが、一番の理由は生活への支障。とくに公共交通が貧弱な郊外に住んでいる患者さんにとって車がなければ買い物にも満足に行けないし、病院にも通えなくなります。タクシーなんかを使った日には、病院まで片道8000円!なんて事にもなったりして、やはり経済的にも車に頼らなければなりません。そうなると医療ソーシャルワーカーはなんとか代替の手段を見つけ出して患者さんの説得に当たらなければならないのですが、これがま~本当むずかしい。公共交通機関を整備する!なんて魔法がソーシャルワーカーに使えれば完璧なんですけど、現実はご家族に頼むか、寄り合いバス会社に頼み込むか、なけなしのタクシー代をどっかから貰ってくるか・・・しかないんですよ(涙)。そうなると運転免許の自主返納は絶対できないと言う患者さんも出てきます。とくに男性の患者さんに多いのですが「運転免許=自立+男らしさ(力?)=プライド」という精神的な側面も持っているので、免許を失うことのダメージが一塩大きいように思えます。実際、免許を剥奪されてしまった男性の患者さんが急激に弱って寝たきりになってしまった・・・なんて事も結構あるんです。



そんなケースを見て来たので「やっぱり運転免許っていざって時の為に取っておいた方がいいのかも・・・」と最近私は思うようになりました。と言うのも、もし地方に住む両親(父親しか運転免許を持っていない)が運転出来ない状態になったら、一家で車を運転できる人がいなくなってしまいます。そうなると実家の車はただの鉄の塊(アルミか?)、無用の長物と化してしまい、家の敷地を占有して大変邪魔です!って事ではなく、かわいそうな私の両親は、買い物にも病院通いも旅行にも満足に行けなくなって、たちまち生活が困難になってしまうでしょう。郊外の病院で働く私は常々、お年寄りの交通問題を見るにつけ、「年寄りこそ都心の、街中の交通の便の良い所に住むべし!」と必死に啓蒙しているのですが(だれに?)、もちろん、そんな事が簡単にできるお年寄りは少なく(経済的にも)、むしろ大多数のお年寄りは免許剥奪の恐怖に怯えながらも日々、慣れ親しんだ土地で暮らしているのです。うちの両親だって、本人達はまだまだ元気だと思っているかもしれないけど、いずれ同じ運命を辿ることになるでしょう。そう思うと、将来の親孝行のためにもやはりここは私が免許を取っておかなければ!という使命に燃える素晴らしい孝行息子がここにいるのでした。だから免許を取って「大人の気分を味わいたい」(=孝行息子になる 笑)って事なんですよ!(かな?)。


と言うわけで、私は東京に引っ越してすぐに都内の自動車教習所に通い始める事にしたのでした。自宅から電車で1時間ほどの場所にある教習所に(ここもまだ都内なの?)。


安くはないだろうと、覚悟をしていた自動車教習所の教習費は・・・やっぱり安くない。おまけに私を悩ますのがコースの多さ。A:一発合格コース(ベーシック)、B:何回試験に落ちても追加料金なしコース、C:いつでも実技予約できるVIPコース、てな感じで値段もどんどん上がっていきます。私は「一発合格コース」で行くつもりだったのですが、しかし、悩みます。もしかしたら何回も落ちちゃうかもしれないから、結局Bの方がお得かも・・・なんて気弱になって。さらに、割引クーポンなるものもあったのですが、そこには「40歳以下の方には、今なら3万円割引!」とか「30歳以下の方にはAコースの料金でBコースに変更キャンペーン」とか、「大学生限定5万円キャッシュバック」とか、ま~見事なまでの年齢差別・・・いやいや、それほど「年寄り」には路上テストで合格するのは至難の技ってコトなのか!?なんて思うと、まだまだ若いと思ってた私も自動車教習所では立派な高齢者(!!!)なんだと気づかされ、「これはダメかもね」と弱気ループの渦に飲み込まれそうになるのでした(涙)。しかしそんな時こそ「おじさん」(と認めたくはないが・・・)パワーを使って図太く生き抜かなければなりません。私は「そんな弱気になってどうするんだ!そんなんじゃ受かるものも受からないぞシンペー!」と自分自身を奮い立たせると、「一発合格」を目指す決意と共にAコースを申し込んだのでした(って言うより、ただケチなだけだった 笑)。



ところで日本に戻って来てすぐの自動車教習所通い。これ大正解だったんです。なにが大正解かって?それは私の日本語会話能力を上げる事に関して。

え!?シンペー日本語喋れなくなっちゃったの?

「はい、そうなんですよ。英語ばっかり喋ってるからもうワタシのニホンゴとってもヘンネ」

・・・なんてなるの私一番嫌なんですよ!長らく外国生活をしている方達の中には、明らかにアクセントが変わってきたり、外来語がゴッチャに混じったり、R音が強くなったり(特にアメリカ帰りの人!)と、ま~様々に日本語が変化してしまう事が少なくないのですが、そういうのを見るにつけ、私はこんな風にならないでいつまでも清く正しく美しい日本語を使える人でいよう!なんてつまらないプライドを持っていたのです。とは言っても、私も日本語は僅かな友達としかカナダでは使っていないので、結構不安です。もちろん私の日本語にはアクセントはありませんし(田舎訛りしか)、ちゃんと語彙も正しく使っていて(敬語は使えないけど)、もちろんR音なんかHi Ri ません。じゃー何が不安かって?それは知らない人との日本語での会話の仕方・・・(根本的に終わってる!?)。日本人の患者さんとはもちろん日本語で対応してるんですけど、それはあくまでお客さんとしてだし・・・本当、仲の良い友達ぐらいしかカナダで日本人の人とは話す機会がないので、とにかく初めて会う(日本の)人と自然な会話ができるかどうかとっても不安に感じていたんです。え?英語では出来るのかって?失礼な!英語ではちゃんと知らない人とでも自然な会話ができますよ。カナダでは誰とでも「天気」の話から始めれば良いんです、特にバンクーバーでは「今日も雨で嫌ですね~」。はい、これで会話が円滑に進みます、嘘じゃないよ(笑)

という感じで、私は立派な「外国かぶれ」な人になっていたのです。



さて、じゃーなぜ自動車教習所通いが日本語会話能力向上に良かったかって?それはほぼ毎回違う教官と密室内の車中で会話をしなければいけないからです。これは最高の会話トレーニングですよ!ま~別に無言で運転してても良いんだけど、でもそれってちょっと気まずいですよね、狭い車内で知らない人と無言でのドライブ。そんな訳で、教官とは大体こんな風に会話が始まります。

「初めましてシンペーと申します。本日はご指導のほど、どうぞよろしくお願い致しまする」(清く正しく美しい日本語byシンペー)

「はい、教官のOOです。よろしく」

「OOさん、今日は良いお天気でドライブ日和ですね」(なんだ、やっぱり天気使うのか~!笑)

「そうですね、それじゃーシンペーさん頑張って運転してみましょうか」


そして次に必ず教官から出てくる質問、それは・・・


「ところでシンペーさん、今まで免許取った事ないんですか?どうして今になって免許取ろうと思ったんです?」

うん、うん、車内の会話を弾ませるには良い質問だ!と教官の会話能力に感心する私。

「あの私ずっとカナダに住んでたんですけど、最近日本に戻って来たんです。カナダでは仮免を持ってた事はあったんですけど、更新しなかったから失効してしまって。それで改めて日本で免許を取ろうと思ったんです」(もちろん路上試験を3秒で落ちた事は言わない)

「ヘ~カナダに住んでたんですか。凄いですね~。何されてたんですか?」

って感じで会話が進み、車内の雰囲気も和んでいく・・・というパターン。



ふむふむ、こうやって知らない人とも会話を弾ませていけばいいんだね~と、運転技術よりも日本語会話技術の上達に力を傾ける私。しかし、ふと思ったのです。それにしても、毎回毎回なんで「今まで免許取った事ないんですか?」の質問から始まるんだろう?そういう社内教育でも受けているのかな?

そんなある日、また新たな教官との実技教習。例の如く「今まで免許取った事ないんですか?」と聞かれたのですが、今回はさらに「免停とか免許停止処分受けた事あります?」の質問付き。あ・・・そういう事だったのか・・・。

きっと私が40過ぎのおじさんだから、前科があるに違いないと思われたのです。

そう!「今まで免許を取った事はないんですか?」の質問は、車内の会話を円滑にさせるための教官の配慮ではなく、「40過ぎで免許取るって、過去に事故でも起こしたのか?こいつは要注意だ」っていう教官本人の自己防衛のためだったのです!!!(っと私は勝手に被害妄想した)。

でもま~そりゃそうだよね、だってここは自動車教習所、運転技術学ぶとこだもんね。教官だって知らない人との運転は怖いから、ちゃんと素性は知っておきたいはず。

・・・と当たり前の事に気が付いた私は、それからは会話能力より自動車運転技術の向上に意識を傾ける事に決めたのでした。



そう決めたら、黙々と運転に集中しようと思うのに、運転中に結構教官が無駄口叩いてくるんですよ。あ~うるさいな~運転に集中できない!(さっきまで会話能力の向上になるって言ってたのにね 笑)。とくにL字&S字クランクの時なんかに「カナダで美味しい食べ物ってなんですか~」みたいなどうでもいい事聞かれると、「え?えっと?多分メープルシロップじゃないですか」と適当に答えつつ、あ~狭いカーブ曲がろうと集中してるのに今それ聞く?ってイラッとし、そして案の定路肩に乗り上げてしまうのでした。すると、

「ほら、会話に集中しちゃうから乗り上げちゃったでしょ?運転にもっと集中しなきゃ運転に!」と教官にダメ押しされムッとする私。それなら無駄口叩くんじゃねーよ(怒)

しかし、そんな私の表情を読み取ったのか(もしかしてカナダ生活長すぎて顔に感情が出ちゃってる?)

「私たちもわざと会話をしてるんですよ。だって運転するときは誰かを乗せて走ることもあるでしょ?そう言う時は話しながら運転できなきゃダメでしょ?」と教官は言いました。

あ~そうだったのか~。私は目から鱗が落ちました。無駄な会話も全て運転能力向上のためのトレーニングの一環だったのね。すごい日本の教習所!



と言う感じで、私は会話技術と運転技術の両方を教官達に指導してもらえる事になったのです。特に私の(日本語)会話能力の向上には目を見張るものがあり、最後の方には教官の月給や待遇、そして直属上司の悪口まで聞き出せるほどになったのでした。お陰で、自動車教習所内のドロドロした人間関係まで把握する事ができたのです。凄いでしょ!

え?で、肝心の運転能力の方はどうなったんだって?


それは・・・つづく