先日はダンドリさんの誕生日だった。

(ダンドリさんはこちら☆


 

私の母()と姉()は、

「誕生日おめでとうラブラブ

の言葉とともに手作りケーキやプレゼントを

ダンドリさんに。

 


 

 

 

しまったガーン


 

パパごめんpart3あせる

part1part2


 

私はすっかり忘れていた。汗



 

大昔、ダンドリさんのBDに、

“貴方が生まれたこの記念日を

 誰よりも尊く想う”

というメッセージを贈った私は

いずこへ…。


 

いやいや、

愛しいダーリンの誕生日を

忘れるハズがないビックリマーク


 

きっとこれはケモブレイン()!!


 

ということにしておくれお願い


 


 


 

この世に生まれたことを祝う、誕生日祝い。


 

誕生したことを心から全力で祝えない、

母として有るまじき不幸な時代が

私は息子に対してあった。


 

以前の投稿(こちら☆)で書いたが、

重い障害があり息子は幸せだろうか、

と訝しんでいた。


 

よく障害児者に対して、

“存在自体が愛しいし尊い”と

見聞きするが、

当時の私はキレイゴトのように聞こえ、

具体的にほめるところがないから

そう言っているのではないか、と、

パニック中の息子をそばに

思ったこともある。


 


 

息子Jは、発語が未だにない。

(諦めてませんがべーっだ!


 

Jが自分の意思をわかりやすく伝える

ことができるようになるために、

TEACCHやマカトンやABA、

タッチパネルなど、様々訓練してきた。


 

自分の気持ちが伝えられないことが

どんなに辛く絶望することなのか、

私自身が心因性失声症になった時、

ほんの少しJの常を体感した。


 

私は一時的だったが、Jは毎日毎時。


 

そんな中でも、

Jは懸命にひたむきに生きている。


 

 

なんて人だ。Jは凄い。


 

 

私はJを心から尊敬するようになった。


 


 


 

そして、Jの幸せとは何なのか、

Jが生きる目的は何だろう、

と改めて考えるように。


 

“障害者は生きる意味がない”

という言葉を見聞きするたびに

胸が押しつぶされる。

 


だが、

その生きる意味のヒントを、

今年3月卒業式の、K校長先生の

贈る言葉の中で見つけた。


 

ある住職さんの言葉を交え、ご自分の

気持ちをのせてのK校長先生の言葉は、


 

“生きるということは、

  偉くなることではなく、

  人を一人でも幸せにすることが、

  生きることの目的

  皆さんの個性や才能をたくさん発揮して

  人から感謝され、

  多くの人たちを幸せにしてほしい”


 

そんな言葉だった。


 


人を一人でも幸せにしている人は、

生きている目的を果たしている。と。
 

 

 

感涙した。


 

 

そうか、

Jは生きる意味を既に果たしている。

と。


 

なぜなら、“人を一人でも幸せにする”

というミッションをJはコンプリート

しているから。


 

その人、とは私。


 

Jがいなかったら、

なんて人だ、と私が感激した方々と

出会えなかった。

(なんて人だの投稿は こちら3つ  


 

Jがいなかったら、

通所先のスタッフさん、支援員さん、

学校の恩師や校長先生など、

幸せな気持ちをくださる方々と

出会えなかった。


 

そして、

Jがいなかったら、

今も、これからも、大事で大切な

息子の同級生のお母さん方とも

出会えなかった。


 

全てJがいてくれたから出会えたコト。


 

「存在自体が尊い」という言葉は

こういうことかキラキラと、

キレイゴトでも偽善でもない、と

今なら想う。


 


 


 

さて、

パパの誕生日をやり直そう。


 

ダンドリさんが帰ってきたら、

Jと一緒にhappy birthdayを歌おう。


 

声にはできないJだけど、

その顔が、その指先が、その身体全てで

歌を奏でてくれるはず。

「パパ、お誕生日おめでとう」と。

 

 

 

 

 

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