「%が分からない大学生 日本の数学教育の致命的欠陥 芳沢光雄 著」は、言い得て妙かもだが。責任を学生だけに押し付けるのは、具の骨董と言える。これこそが学生ではなく数学教育者の致命傷なのだ。
そういう私もこういった"算術"は大の苦手で、ゆとり教育やマークシートで甘やかされた世代の致命傷とも言える。ここでは敢えて、”算術”という言い方をする。
ではどの様に深刻か、以下の2つの超簡単な問題を考えてみる。
日本の学生を悩ます?2つ問題
問1 2億円は50億円の何%か?
問2 販売個数や売上高などが2000年に対し2001年は10%成長し、2001年に対し2002年は20%成長したとする。この時、2000年に対して2002年は何%成長した事になるか?
一見簡単に思えるこの2つの問題だが、問1は殆どの人が正解であろうか。
当然正解は、2÷50×100=4%である。しかし、日本の大学生の2割はこれが解けないとされる。つまり、50÷2=25%と答えた学生が、5人に1人はいるのだ。
お先真っ暗とはこの事を言うのか。でも私の田舎で、これが解けるバカがどの位いるだろうか?多分、2人に1人は解けなさそうな気配がする。ホント田舎の人間は真性バカが多いのだ。
という事でこれが解けなかった人は安楽死を選択しましょうか?と言ったら言い過ぎか。
次に問2ですが。これは少し難しいですかね。正直に告白すると、私も少し考え込んだ程でした(悲)。”リーマンの謎”ブログで偉そうな事書いてる私がですよ。ガッハッハ。
正解は、110%×120%=132%。言われてみれば、何だそんな単純な事かですが。
実は、この問2は大学生の半数近くが解けないとされる。ダントツに多い誤答は、10%+20%=30%ですと。
でも、アホな学生の味方をすれば、”近似”を取ればほぼ同じじゃないかと。ま、近似という言葉を今の学生が知ってればの話だが、多分知らんでしょうな。
そういう私も最初は、10%×20%としたんですね(悲)。すると2%になる。これは明らかにアカンなと思い、小学校の時の算数を思い出し、1.1×1.2=1.32と、めでたい結果が出たんです。パチパチパチですかな。
”算数”という名の難問と
でも今の学生を庇う訳ではないんですが。こういった”算術”って、本来は非常に難しい領域なんです。だって捻くれた考えをすれば、2000年の販売台数が0だったら、ずっと0のままですもんね。
そういう私も代数は大の苦手で、未だに計算ドリルの類はアレルギー反応というかショック症状を示します。数学に背を向ける様になったのも、この”算術”のせいなんです。
リーマンブログの”2の9”でも述べるつもりですが、数の概念って非常に難しく複雑です。%の概念も掛け算と割り算がベースになってて、特に割り算は0を無視できないんですね。この”ゼロ”の概念が自明な形で定義されるのに、2000年近く掛かった訳です。
つまり私達が平気で”ゼロ”を扱える様になったのは、ここ400年程の事とされてます。
事実、「数学原理」の著者であるホワイトヘッドとラッセルの2人は、1を定義するのに345頁を費やした。
ここで、12÷2×3の超簡単な計算です。勿論、18が正解ですが。12÷(2×3)とすると答えは2になる。アレレのレですね。
掛け算と割り算が重なった時は、左から順に計算するか、割り算を優先して計算する。これは、実数が”可換体”であるが故のルールなんです。
つまり、上の÷2は2の逆元で、1/2で表される。2で割るというより、2の逆元である1/2を掛ける。つまり、÷を/で統一する事で誤解を省けます。12/2×3=18とすれば簡単ですね。しかし今の学生の様に、分母に3を掛けたらアカンですよ。
少し突っ込むと、”体”の公理から引き算と割り算が定義できます。つまり、加法にて単位元0と逆元(−a)が存在し、引き算が定義される。次に、乗法にて単位元1と逆元(1/a)が存在し、割り算が定義される。
加法よりも乗算を優先するのは、”和と積に対し分配法則”から定義でき、()を優先するのは”和と積に対し結合法則”が成立するからです。体は和と積で可換群になるから明らかですが。以上、”環”ではなく”体”でした、訂正です。
この様に、小学生でも解ける超簡単な計算でも、これだけの難解な?論理が詰まってるんです。だから算術は難しい、いや難しすぎる。
故に、%が解らない学生をバカ呼ばわりするのは、リーマン予想を楽勝呼ばわりする様なもんですね。
大天才ガウスをも悩ませた算術とは?
私が敢えて”リーマンの謎”ブログを書いてるのは、数学の美味しい部分を、数学の苦手な人でも理解して欲しいからだ。
しかし我々は小さい頃に算術から学ぶ。お陰で、計算バカになる頃には脳は腐りきり、高校の多項方程式で決まった様に挫折する。
ガウスやディリクレやリーマンが偉大なのは、このややこしい算術を解析と融合させる事で、非常にわかりやすい現代数学に仕立て上げた事である。
正直に言うと、算術を含む代数学はAIにやらせたい位だ。生身の人類が携わる学問にしては、算術は単純にややこしすぎる。
しかし、今の数学の教育者は算術を軽視する。大学の高度な数学をマスターすれば、初等的算術は楽勝だと思ってる。算術は数学の基本中の基本だと勘違いしてる。ホントバカな連中だ。
それと、日本には教育者を育てる大學が殆どで、研究を専門とするアカデミーがない。今や泣く子も黙るゲッティンゲンだが、リーマンがいた頃は、教育系大学のレベルに過ぎなかった。そこで彼は、アカデミー系のベルリン大で学んだお陰で、数学者として歩み出すんです。
教育系レベルの大学で学んだ人が数学者となり、数学教育者となる。故に数学の本質を教えれる人は、極僅かしかいない。
彼らが執筆した書物を見るがいい、その殆どが単なる数式の羅列であり、数学の本質からは遠くかけ離れてる。音楽を奏でる様に、絵を描くように、小説を語る様に書いた数学の専門書が何処にある?あったとしても絵本みたいなもんだろう。
これもリーマンブログの”2の9”で述べるつもりだが。算術には特異な性質があり、言い表すのは簡単だが、証明するのが難しい。「フェルマーの最終定理」なんてその典型だろう。かのガウスだって、フェルマーの難題には背を向けた程だ。
問題の本質は何処に?
著者の芳沢氏も言っておられる様に、国語の問題もある。数学の日本語の表現に対する理解力が落ちていると。それと同時に、マークシート式問題に見られる様に、単に”やり方”を覚え、答えを当てるだけの平坦で薄っぺらな教育や学習が蔓延している事も、原因の一つとして挙げている。
数学は暗記とは違い、一歩ずつ理解して積み上げていく教科。しかし、学年別指導を基本とする現在の日本の教育では、理解の遅い生徒は”やり方”を優先する、暗記だけの誤魔化した教育に特化する。
つまり時間は掛かるが、一歩ずつ理解させる教育に移行しない限り、問題の本質は改善されないと。
故に、”ゆとり教育”を見直し、”論理的に考え、書く力”を鍛える事が重要であると、芳沢氏は締めくくる。
今の困難な時代を生き延びていくには、数学的思考が必要な事は、私もブログの中で何度も言ってきた。日本が経済大国になり得たのも、当時の日本人が数学を必死で勉強したからだ。殆どの人が勘違いしてる様に、サラリーマンがスーツを着て、夜遅くまで満員電車に揺られ、一所懸命働いた結果ではない。
しかし、マークシート方式の受験が日本の若者の知能を衰洛させ、ゆとり教育が学生の学力を衰退させた。
今すぐにこの2つを廃止し、論理的に考える事と書く事を子供たちに教えないと、日本は終わってしまう。モノを作るんではなく、論理的に考える脳を作る時代。
暗記重視の時代は終わった?
それにいくら受験が記述式になり、学習のカリキュラムが質量ともに徹底しても、長く続く日本伝統の暗記重視の受験では、日本は世界には太刀打ちできない。
学習はけん玉やビー玉とは違う。暗記するではなく、理解を論理的に組み立てる事が必要なのだ。
歴史は近現代史から古い時代に向かって、数理小説を読む様に解きほぐす事で、効率よく理解できるとされる。数学も同じで、美味しい部分、つまり解析学から学ぶといい。子供の頃に微分や積分、それに極限の概念や領域を学ばせるのだ。
こうやって小さい頃から論理的に考える癖を付けておけば、方程式や群や体のややこしい代数系もついていける。受験バカや計算バカや数学落ちこぼれを防ぐ為には、一番効率いい方法だと思う。
暗記系エリートでは国家の戦力になり得ない事は、第二次世界大戦の敗北が証明してる。年号を暗記しても、数式や関数を丸覚えしても、今や何の訳にも絶たない。そんなのは半導体に暗記させときゃいい。
必要なのは多種多様に幅広く、論理的に考える思考のあり方だ。
これから先、地球を支配するのは、核でもお金でも軍事力や経済力でもGDPでもない。数学的思考力だと私は思う。
日本の子供たちが数学的な論理で武装した時、日本はアジアの小さな島国ではなくなる。”ジャパン•イズ•ナンバー1”になる日は遠くない様な気もする。イヤそうでもないか。
「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0_(%E6%95%B0%E5%AD%A6)#環の初等的性質」での、
単位的環において 1=0 ならば、その環にはたった一つの元しか含まれない。
の意味が解りません。
売上高が”結果的”に0とすると、ですかね。
二番目の質問ですが。加法単位元0が存在するなら、1+0=0+1=1が成立します。しかし、0と1と、元が1つのみに違反しますね。故に、1+0=0+1=0となる訳です。
これも背理法の典型ですが、今ではこういった論法は余り使いませんね。数学バカになるだけです(笑)。
でも、1+1=0は正しくないという”ひねくれ”よりもずっとマシかもです。
それに1+1=0というより、1+1=2は正しくないという方が、よりひねくれてそうですが。
「1=0」の左辺は「環(要素)」で、右辺は「値(数値)」、そして「=」は「境(仏教用語で言う知覚対象)」です。
六境
眼=色、耳=音、鼻=香、舌=味、身=触、意=法。
眼+色=有
眼+音=無
と言ったところでしょうか?
コメントどうもです。
確かに、ウィキはオカシイですね。数学以外は模範解答なのに、かなり危険な表現使いますね。1=0と書けば、誰が見てもオカシイと思いますもん。
素人目からすれば、元が1つだけというのはそれだけでは演算が成り立たないので、逆元も単位元も、結合法則も分配法則もないと思うんですが。何か他に意図があるんですかね。
それに最小の体を、ガロアは有限体と定義したたんですから。ウィキは余計な事は書かん方がとも思うんですが。
リーマンの解析接続でも、結構危険な事書いてますもんね。学生だけでなく、私達大人も数学に対する基本的な理解を、きちんとしたやり方で深めたいですね。
それに元々、背理法ってのはケチ付け型の論法に近く、ガロアですら算術には距離をおいた程です。実は私もこのブログを書いてて途中で頭が重くなりましたもの。
paulさんの回答はとてもわかり易かったです。これからもご教授お願いです。