AIによるダウンシフト型の脱資本主義社会

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2018年10月29日(月)

AI関連の記事なり書籍を読むと、どうも、AIを資本主義的な貨幣や資本の増殖を加速する道具としてのみ扱おうというスタンスがやたら多いように見受けられる。だが少しその観点を変えて、AIを資本の自己増殖運動や暴走、格差社会を制御するものとして、用いてみたらどうだろうか。賃金はそのままで、労働時間が少なくなってくれれば、人々はそれで空いた時間を余暇や学習、趣味、レジャー、文化的な活動、スポーツ、自己省察などにその時間を有効活用できる。このようになれば、育児や家事に男性が手を貸す余力や体力、リソースも増えるだろうし、それで女性の育児の負担も減って、家庭も円満となり、浮気や不倫、それを理由とした離婚も今よりは遥かに少なくなる可能性がありそうだ。

しかし、生産工程や現場でのAI導入は、そうした観点で導入されているようには映らず、資本家による賃金労働者からの搾取をより合理的に効率的に進めるためのものだと言われてもおかしくない状況にありそうだ。たとえば、今までは1時間で、ある生産物Xを1000個作っていたものを、AI導入で生産ラインや動線が合理化された効果で1500個作れるようになったというケースを考えてみたい。この時、その時間あたりの作業効率は1.5倍になったと言えるが、これだけだとAI導入で利得を得るのは資本家や株主ばかりであり、そこで働く従業員には何のメリットもない。AI導入で、賃金が1.5倍に増える、あるいは、休日や有給、ボーナスが1.5倍に増えるというのでもない限り、現場で働く人々は賢いAI導入で業務が楽になるどころか、より忙しく隙きなく働かされるような不自由な感覚を持たないであろうか。あるいは、AI導入で、製品の価格が格安になるのであれば、それは庶民や一般ユーザーにとってはメリットとなるだろうが。

だが、ビジネスシーンにおいて、やたらAI導入の必要性が謳われているものの、それは業務の効率化や合理化、最適化の話ばかりで、AIが組織に導入された暁には一体誰が快適になり、誰の得になり、誰が幸せになるのかが全く不明瞭になっている。そのためAIによって合理化や効率化がどれほど達成されても、それがその企業や組織の内部留保へとAI導入で得られた利潤や付加価値が蓄積されるだけならば、得するのは資本家と不労所得を得ようとする株主だけであり、従業員にも消費者にも何のメリットも価値もない無慈悲なAIやクラウド導入ということになる。

それを悪しきAIとでも呼んでおけばいいだろう。日本では過労や搾取、パワハラ、セクハラ、派遣の不安定雇用などで心の病になったり、鬱になったり、家庭が崩壊したり、癌になったり、自殺したりと、要するに長時間働きすぎで、自分や家族の身体や精神を破壊しやすい企業組織文化があるので、AI導入でそうした日本の宿痾とでも呼べる会社病を撲滅すること自体が、本来の正しいAIの導入の意義ではないかと考えられる。

電通で東大女子が自殺した事件も、あのような古い時代遅れの組織文化がある企業で、過労とパワハラで精神の調子をおかしくされたのだろう。たとえ頭脳明晰な者でも、そんな過酷な環境で働かされれば、出来の良い若い脳さえストレスで破壊されてしまうのだろう。日本の労働生産性が国際的に異常に低いことはよく報道されているが、要は、昔ながらの軍隊、体育会系の精神論、根性論、怪我人続出でもやめない組体操など、真の合理性を軽視して、だらだらと長時間労働を強要するような日本の企業文化自体が全く時代にそぐわないものになっているのだろう。

イタリアの「五つ星運動」という比較的最近できた新しい政党は、反資本主義やダウンシフト(スローライフ)、環境保全を党の綱領として掲げているようだ。反資本主義は、環境破壊をやめるための反グローバリゼーションという観点なのだろうか。空洞化した地域コミュニティーを再建したい、ということもあるようだ。そのような「五つ星運動」から輩出された美人で知られるローマのラッジ市長は、24年の五輪の招致断念を表明した。イタリアは未だ財政難なので、ローマでの五輪招致は無理だと判断したようだ。ラッジ市長のインタビューによると、1960年に開催されたオリンピックの借金が現在でもまだ残っているらしい。
日本も少子高齢化や財政難ゆえに消費増税10%が来秋に控えているというのに、カジノやオリンピックと相変わらず無駄な大型出費をすることに余念がないようである。そういう自民党政権を国民の半数が支持しているという、ある意味、異常な国家になっている。

普通であれば、政治家や公務員の高すぎる給料や手当、無駄な投薬、過剰医療など、財政支出をカットできそうな項目は、きちんと精査すればいくらでもありそうなのに、それを全くせず、薬物ジャンキーのように、安易な増税のオンパレードを続けるのである。そして、なんと、日本人の半数が消費増税10%を支持しているらしい。新聞社の世論調査も本当かどうかデータ改ざんの多い昨今の日本社会だとなんとも言えないが、とにかく、官邸による消費増税しないと今後の社会保障の財源が確保できない、という脅しや洗脳は国民の半数には浸透しているようである。

そもそも日本人は、お上をやたら信用しすぎるきらいがあるのではないだろうか。だから、神風特攻などという無謀な軍事作戦にまで国民が大挙して突入してしまうのであって、普段からもっと、お上や政治家、社会に対して健全な懐疑の目なり、批評的な精神を有しているならば、そんな風にはならないように思われる。だいたい読売新聞などは、明らかにただの現政権応援団で社会の木鐸としてのジャーナリズムの機能を全く果たしてないし、宗教法人をバックにした政党なども政教分離のコードに明らかに違反しているのではないだろうか。なんでも権威やお上の言うことを盲信するのでなく、斜めからモノを見たり、自分自身の頭でよく考えてみるという健全な批評精神を日本人は取り戻すべきなのではないだろうか。

AIやロボティクス導入で、無能な政治家の人数が減り、お役所仕事の無能な公務員の数が減り、医療や介護での無駄な投薬や検査、受診、ドクターショッピング、重労働が減り、賃金がアップしたり、有給や休暇、賃金が減ることなく就労時間が減れば、それは良きAIを社会の中に導入したことになる。人々は、そういうAIこそが必要であるという共同意識を持った方がいいと思われる。でないと、AIは単なるより合理的な資本家や株主の利益のための生産手段や搾取の道具となって、身分の不安定な賃金労働者はそのAIの存在に脅かされるという不幸な事態に陥ってしまうからだ。それは雇用不安もあるだろうし、逆に、より酷使される、働かされる、どこでもAIとセンサーに監視されてストレスを感じるというケースもあるだろうから。

そこでAIによって先導すべき新しい社会モデルは、ダウンシフト型の脱資本主義社会ではないか、という仮説を立ててみたい。創造性の発揮という観点でも長時間労働は良くないはずだ。日本人は物真似やブラッシュアップばかりで創造性がないと言われるのも、それを生み出す余白なり余裕がないからではないだろうか。脳科学的な観点では、創造性を発揮するには、脳が「デフォルト・モード・ネットワーク」という安静状態になっていることが必要なようだ。それは、ぼーっとしていたり、ぼんやり何もしない、何も考えない状態のことを指している。

アップルのスティーヴ・ジョブズは日本の禅にはまっていて、日本人の禅の師匠もいたらしいが、彼の傑出した創造性もそういう空の状態から湧き出てきたもの、と考えてみても良さそうだ。邪念や雑念、心配や不安のない心や脳の状態。心を亡くすと書いて、「忙しい」と書くけれど、心を亡くすのでなく、心を空にしてリフレッシュする時間や空間がもっと日本社会には必要なのではないだろうか。たえずSNSやLINE、スマホをチェックしている状態では、脳が常に過剰に作動しているオーバーヒート状態なので、脳疲労を起こし、かえって真のクリエイティビティを発揮することを阻害するようにも思われる。

 

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