三浦瑠麗

国際政治学者として様々なメディアに登場している三浦瑠麗さん。才女でありながらカワイイと評判ですが、どこの高校や大学を卒業しているのでしょうか?

昔の画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!

三浦瑠麗の学歴・経歴一覧

まずは三浦瑠麗さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがな みうらるり/はまむら 三浦瑠麗
氏名

本名
三浦瑠麗/※旧姓:濱村
生年月日 198010日生 43
出身 神奈川県茅ヶ崎市
身長 非公表  血液型 A
最終学歴 大学院卒 東京大学大学院・法学政治学研究科・総合法政専攻博士課程
年齢 学歴・経歴
1980 神奈川県茅ヶ崎市生まれ
父親は心理学者の濱村良久&母親は主婦
1987 茅ヶ崎市の小学校入学
1988 平塚市の小学校へ転校
1993 12 小学校卒業
平塚市立金旭中学校入学
1995 14 集団暴行事件に巻き込まれる
1996 15 平塚市立金旭中学校卒業
神奈川県立湘南高等学校・全日制・普通科入学
1999 18 神奈川県立湘南高等学校・全日制・普通科卒業
東京大学・理科一類入学
2003 22 三浦清志と結婚
2004 23 第1回『国際政治・外交論文コンテスト』で総裁賞を受賞
東京大学・農学部・生物環境科学課程地域環境工学専修卒業
    東京大学大学院・公共政策学教育部・専門修士課程入学
2005 24 防衛省・自衛隊主催『安全保障に関する懸賞論文』優秀賞
2006 25 東京大学大学院・公共政策学教育部・専門修士課程卒業
東京大学大学院・法学政治学研究科・総合法政専攻博士課程入学
2007 26 日本学術振興会特別研究員
2010 29 東京大学大学院・法学政治学研究科・総合法政専攻博士課程卒業
    第一子女児死産
2011 31 東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット特任研究員(2013まで)
    第二子女児出産
2015 35 独立系シンクタンク『山猫総合研究所』設立
2016 36 東京大学政策ビジョン研究センター講師(2019まで)
「BLOGOS AWARD 2016」銅賞受賞
2019 39 山猫総合研究所の代表取締役に復帰
2020 40 学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校・S高等学校政治部の特別講師に就任

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

神奈川県平塚市出身の三浦瑠麗さん。父親は東京大学出身の心理学者の濱村良久さんで、防衛大学校の教授をしています。

三浦瑠麗 父親 濱村良久

母親も東京大学出身で、両親は学生結婚なんですよ。三浦瑠麗さんは5人兄妹なので、母親は子供の教育に専念し、仕事はしていなかったでしょう。

三浦瑠麗さんの兄妹は、長男(私大)、長女(私大)、三浦瑠麗さん、三女(東京大学)、次男(東京大学)で、見事に高学歴の一家ですね。

三浦瑠麗 幼少期

両親が東京大学ゆえに自然と勉強することは生活の一部になっていたのでしょう。

次女の濱村百合さんは、東京大学経済学部金融学科を卒業後シカゴ大学ブースビジネススクールMBA(経営学修士)を取得し、金融庁に勤務している才女です。

三浦瑠麗 妹 濱村百合

姉妹揃って美人で頭がいいとは羨ましい限りですね。

普通な家庭に生まれ、7人家族として育った三浦瑠麗さん。

三浦瑠麗さんの名前の画数が多いことやアジアンビューティーであることから中国人という噂がありますが、純日本人ですよ。

そんな三浦瑠麗さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

三浦瑠麗の出身大学院

三浦瑠麗さんは2004年4月に東京大学大学院・公共政策学教育部・専門修士課程へ入学し、2006年3月に卒業

2006年4月に東京大学大学院・法学政治学研究科・総合法政専攻博士課程に入学し、2010年10月に卒業しています。

学校名 東京大学大学院
学部・学科(修士課程) 公共政策学教育部・専門修士課程
学部・学科(博士課程) 法学政治学研究科・総合法政専攻博士課程
所在地 〒113-0033
東京都文京区本郷7-3
公式HP http://www.j.u-tokyo.ac.jp/

三浦瑠麗さんが東京大学大学院出身であることは、2017年11月25日に放送された『朝まで生テレビ』で出演した際にプロフィールが表示されていることからも明らかですね。

東京大学大学院公共政策学教育部は法学科と経済学科が合併したような学部で、公務員を中心に政策に携わる専門職の人材の育成を目的に2004年、国公立では初めて創設されました。

2010年からは英語の授業のみでも修士課程を修了できる国際プログラムコースを立ち上げ、交換留学協定を海外の9校と締結し、また6校の海外の大学と『ダブルディグリー』という両方の大学院の学位を取得できる制度を設けました。

三浦瑠麗の大学院時代のエピソード

三浦瑠麗さんの卒業論文は『シビリアンの戦争 : 文民主導の軍事介入に関する一考察』で、憲法9条を改変することを恐れず日本も徴兵制を導入するべきという内容です。

戦争は絶対にしてはいけないことですが、だからと言って丸腰で戦う術を知らなければ他国から力ずくで乗り込まれてしまう恐怖を拭いきれないため難しい問題ですね。

大学院で博士課程を修了するほどの女性は一体どこに就職するのか気になりますが、三浦瑠麗さんは就職活動をしていません。

と言うのも面接で自分を上手にアピールすることに「嘘をついているようで嫌だ」と感じていたんだそう。

自分の意見をハッキリということで「上から目線で物を言うな」と言われたこともあったことから、「上司と上手くやっていくことにも自信がなかった」と言います。

三浦瑠麗さんほどの才女を部下として扱える人も少ないでしょうね。

三浦瑠麗の出身大学

三浦瑠麗さんは1999年4月に東京大学・理科一類へ入学し、2004年3月に農学部・生物環境科学課程地域環境工学専修卒業しています。

学校名 東京大学
学部・学科 農学部・生物環境科学課程地域環境工学専修
偏差値 71
入試難度 難関
所在地 〒113-0033
東京都文京区弥生1-1-1
公式HP https://www.a.u-tokyo.ac.jp/

三浦瑠麗さんが東京大学農学部出身であることは、『東京大学政策ビジョン研究センター』のプロフィールに書かれていることから間違いありません。

三浦瑠麗 学歴

東京大学農学部は『学科制』から『課程制』に移行することで学ぶ幅を広げ、『専修制』を採用することで専門分野を深く学ぶことをモットーとしています。

文京区以外にも北海道や静岡、愛知などに研究施設を持ち、東京大学の90%の敷地を農学部が管理しているんですよ。

三浦瑠麗の大学生時代のエピソード

大学院は『国際政治学』を選択した三浦瑠麗さんですが、大学では全く違う『農学部』を専攻していました。

東京大学は大きな分類から始まり、上級生になるほど細分化していくシステムになっているので、入学する時点で何を学ぶかを決めてしまわなくても良いというメリットがあります。

このシステムは大学から大学院に進学するときも同様で、大学が理系であっても大学院で文系に移行することができるのです。

なぜ急に『国際政治学』に興味をもったのかというと、大学4年生にあたる2003年3月で学生結婚したことが三浦瑠麗さんに大きな影響を与えたんだとか。

2018年6月16日の『Ojji.jp独占インタビュー』で当時のことを語っていました。

“実はそれまで実家の方針でテレビを見たことがほとんどなくて。ニュース番組も見せてもらえなかったんです(笑)。結婚後にやっと自由に見られるようになったテレビでイラク戦争の実情を知り、国際政治に関心をもったことがこの道へ進んだ最初の一歩です。”
引用元:【キャリアを望んでもいいのかと自問した日々(Ojji.jp)】

また、早く結婚を決めたのは「家庭のしつけが厳しかったから」なんだとか。

大学生になって初めて自由を謳歌したと2018年4月3日の『文春オンライン』のインタビューで語っていました。

“結局、結婚して、家に居て、テレビを見て、今まで食べられなかったようなジャンクフードのお菓子食べて、っていう生活をして、ひとしきり自由を満喫した。”
引用元:【論壇の“異分子”三浦瑠麗が告白「私は人間失格だ」と思ったとき(文春オンライン)】

ニュース番組も見せてもらえなかったために、21歳になるまで日本の総理が誰かさえも知らないくらいだったんだとか。

一風変わった三浦瑠麗さんですが、美人の彼女は大学でもモテモテだったはず。彼女の心を射止めた人は「なるほど」と思えるほど仕事のできる人なんですよ。

三浦瑠麗の夫の職業に唖然!

三浦瑠麗さんは大学4年生の2003年3月13日に大学の1年先輩だった三浦清志さんと結婚しました。

外務省、マッキンゼー、ベインキャピタル、セーフレイ・ジャパンを経て投資ファンド会社『株式会社トライベイのマネージング・ディレクター』として活躍しています。

三浦清志

二人の馴れ初めは、社会学の講義で一緒になったことから。

三浦瑠麗さんは大学4年生のときに単位が一つだけ足りずに留年しているのですが、農学以外の授業も受けてみようと社会学も履修したことで三浦清志さんと出会うんですよ。

本来ならば出会うはずもないところで偶然出会ったことがきっかけで結婚するなんて運命を感じますよね。

日本人とアメリカ人を両親に持つ三浦清志さんは、外務省だけでも驚きますが、世界的なコンサルティング会社マッキンゼーは東大生でも憧れの会社ですし、ベインキャピタルはアメリカの大手投資会社であって、連なる会社名に凄いの言葉しか見つかりません。

また、三浦清志さんはドイツの太陽光発電を扱うセーフレイ・ジャパンで日本支社長をしていたんですよ!エリートは超一流街道を突き進むんですね。

ちなみに三浦瑠麗さんの父親は東京大学大学院出身で心理学者の濱村良久さん ですが、父親も学生結婚だったんですよ!

三浦瑠麗 父親 濱村良久

学生は経済的に安定していない印象を受けますが、高学歴になるとアルバイトの時給も高かったりして生活にゆとりがあるのかもしれません。

三浦瑠麗の出身高校

三浦瑠麗さんは1996年4月に神奈川県立湘南高等学校・全日制・普通科へ入学し、1999年3月に卒業しています。

学校名 神奈川県立湘南高等学校
学科・コース 全日制・普通科
偏差値 74
入試難度 難関
所在地 〒251-0021
神奈川県藤沢市鵠沼神明5-6番10号
公式HP http://www.shonan-h.pen-kanagawa.ed.jp/

三浦瑠麗さんが湘南高校出身であることは、2018年4月3日公開『文春オンライン』のインタビューアーが発言していることから間違いありません。

“高校は受験して県立湘南高校に入学された。石原慎太郎さんや、外交評論家の岡本行夫さんの後輩にあたるわけですね。”引用元:【三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜いと思ってた」中学時代(文春オンライン)】

湘南高校は神奈川県屈指の進学校で、1920年開校と歴史も長く、『湘南』という名前からも神奈川県の中高生からは憧れの高校です。

1時限70分制で2週間単位で時間割が決められているのですが、他校ではあまり見ない珍しいシステムですね。

三浦瑠麗の高校生時代のエピソード

高校時代、陸上部だった三浦瑠麗さんは友達とあまり馴染めませんでした。長距離走部門でコツコツを走っていたんだそうで、勉強も走りもコツコツとすることが結果を出せる共通の秘訣なのかもしれません。

出席日数を計算して単位を落とさない程度に学校を休んでいたようで、授業をサボって江ノ島で一人ぼーっとしていたんだとか。

別に江ノ島が好きだった訳ではなく、学校に行きたくない理由があったからなんです。

三浦瑠麗は高校時代“ぼっち”だった?

後述しますが、小学校高学年から“いじめ”を受けていたために、友達との接し方が分からなかったそう。

“(ずっと学校では一人で食べていたので)人前で食べることがかえって苦しかった時代がありました。高校時代、学校の近くにモスバーガーがあって、陸上部の部活の帰りに部員同士で寄ることもあったんです。でも、ハンバーガーの数センチの厚みまで口が開けられなかったですね。小さい頃から外食をほとんどしなかったので、ハンバーガーの食べ方がよくわからない。人前で口を開くことすらいやでした。”
引用元:【「ぼっち」でいじめられていた少女が“三浦瑠麗”になるまで(文春オンライン)】

人前で食事ができない人用に京都大学の食堂では2013年7月から『ぼっち席』を導入しましたが、三浦瑠麗さんと同じ心境の人がたくさんいるんですね。




三浦瑠麗の出身中学校

三浦瑠麗さんは1993年4月に平塚市立金旭(きんきょく)中学校へ入学し、1996年3月に卒業しています。

学校名 平塚市立金旭(きんきょく)中学校
所在地 〒259-1219
神奈川県平塚市広川12

三浦瑠麗さんの出身中学校は、ツイッターで投稿されていたことから明らかになりました。

金旭中学は部活動が盛んで、剣道は15年に渡って外部指導者を招き県下一に成長しました。

文化系の部活では吹奏楽部が有名で、2010年11月19日公開の『湘南ジャーナル』では県大会を突破し、東日本大会に出場する記事が書かれています。

三浦瑠麗の中学生時代のエピソード

中学時代がいちばん“いじめ”がひどく、辛い時期だったようで、高校は中学の友達と誰とも会わないように学区外を選ぶほどでした。

三浦瑠麗はいじめられていた!

2018年4月3日公開の『文春オンライン』では中学時代にかなり深刻ないじめを受けていたと語っています。

“当時はまだスケバン文化が私の中学では残っていたので、身の危険を覚えるような腕力でのいじめもありました。それから、陸上部内部でのいじめも逃げ場がなかったですね。今考えると、陸上部をやめればよかったと思うんですが、子供ってそういうことが考え付かないんですね。だから黙って部活も続けていました。”
引用元:【三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜いと思ってた」中学時代(文春オンライン)】

身の危険を感じていても部活動を辞められなかったのは、辞めることで新たないじめの原因を作ってしまうのではないかという恐怖があったのかもしれませんね。

なぜ三浦瑠麗さんがいじめられる側になってしまったのかと言うと、もともとテレビを見ないことで友達と話が合わなかったところに、後述しますが配慮のない言葉で友達を傷つけてしまったんだそう。

陸上部の練習は三浦瑠麗さん一人でしていたんです。

“三浦瑠麗さんが仲間はずれになっている状況は問題だ”と顧問が陸上部を仲良くさせようと“お互いに思っていることを話し合う機会”を設けたことがありました。

一人一人が順番に語る三浦瑠麗さんへの不満は「(友達の)テスト点が悪かったことに落ち込んでいるのに三浦瑠麗さんは励ましてくれるどころか『そうだね(点数が悪いね)』と言って傷ついた」ことや、「男子にちやほやされていた」というもの。

三浦瑠麗さんは「大したことでもないのに」と感じた上に、友達が号泣する姿を見て「醜いな」と思い、言い返さなかったんだそう。

光GENJIが歌っていた『ガラスの十代』ではありませんが、少しのことで傷ついてしまうのが中学時代であるにも関わらず、三浦瑠麗さんの不満をブツケられても冷静でいられるとは強靭な精神の持ち主だったんですね。

三浦瑠麗さんはいじめ以上にとてもつらい経験をしていたのです。

三浦瑠麗が暴行被害に

三浦瑠麗さんは中学3年生の時に、車で連れ去られ複数の男性から暴行を受けたことを自叙伝で告白しています。

殺風景な新幹線の高架下で、ほらよ、と放り出されて、私はバッグとスカーフを胸に抱えて家までよろよろと歩いた。自分がどんなにぼろぼろでも、いつも通りの田舎の風景は微塵も私の心に寄り添ってはくれなかった。
引用元:【『孤独の意味も、女であることの味わいも』1章「初めての経験」】

普通であれば精神が崩壊したり、事件の反動で非行に走るケースが考えられますが、三浦瑠麗さんは過去を乗り越え学歴もさることながら、現在は子育てをしながら仕事で活躍しています。

過去にどんなことがあったとしても❝その後の人生をどう生きるか?❞で豊かな未来を掴むことができるということを教えてもらった気がします。

三浦瑠麗の出身小学校

三浦瑠麗さんは茅ヶ崎市の小学校へ1987年4月に入学。

1988年に平塚市の小学校へ転校し、1993年3月に卒業しています。

三浦瑠麗さんの入学した小学校がどこなのかは明らかにされていませんが、2019年8月5日公開『withnews』のインタビューで茅ヶ崎市から平塚市に引っ越したことを語っています。

転校した小学校は、金旭中学校の通学区から下記のいずれかの小学校に通っていたと考えられます。

  • 平塚市立松延小学校
  • 平塚市立金田小学校
  • 平塚市立金目小学校

小学生時代のエピソード

小学校時代はとにかく本が大好きだったと『文春オンライン』で語っていた三浦瑠麗さん。

本の読みすぎが原因なのか視力が0.1しかなく、図書館に入り浸りだったんだそう。

母親のお手伝いのような台所の画像がありますが、カメラ目線のようで焦点が合っていないように見えるのは視力が弱かったからかもしれません。

三浦瑠麗 小学校

特に『ナルニア国物語』や『指輪物語』、『赤毛のアン』にハマっていて、読みながら登下校していたんですよ。

歩きスマホくらい危ないような気もしますが、小学校から家まで田畑ばかりで見渡せる環境だったそうで事故もなく良かったですね。

それでも三浦瑠麗さんも女の子。親戚がバービー人形をプレゼントしてくれたときは嬉しくて嬉しくてたまらなかったんですって!

しかし、常に冷静な三浦瑠麗さんですから、きっと表向きはそんなに表情を変えずに一人になってから大喜びしていたのではないかと想像してしまいますね。

そうは言いつつも、小学校時代の三浦瑠麗さんは笑顔で元気いっぱいの少女だとうかがえます。

三浦瑠麗 小学校

三浦瑠麗 小学校

小学校より幼い頃と思われる画像がありますが、一緒に写っている兄弟全員賢そうなんですよ。

三浦瑠麗 幼少期

(※画像左から:三浦瑠麗さん、姉、兄)

三浦瑠麗さんは子役モデルですぐにでもデビューできるくらいカワイイですね!

三浦瑠麗の学歴まとめ!

三浦瑠麗

いじめを経験しながらも一人で乗り越え、しかも成績を落とすことなく東京大学大学院で博士課程を修了している三浦瑠麗さんは本当に強い意志を持っている人ですね。

また、夫の協力があるとはいえ、育児をしながら仕事もこなす三浦瑠麗さんの頑張りが、日本の女性を応援することにも繋がると思いますので、これからの活躍に期待したいですね!