高松城」(香川県高松市玉藻町)の「後編」です。前回ブログで、「天守台」まで辿り着きました。

 

前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12568621989.html

中編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12568946265.html#_=_

 

「天守台」の中には礎石が残っていて、ここには三重四階地下一階の南蛮造りの天守が上がっていました。

 

天守の古写真が残っていてその姿は、天守台からはみ出す「張り出し」と、四階が三階よりも大きなサイズでその間には屋根が無いという「南蛮造り」特有の形で、一重目と二重目には「比翼入母屋破風」と「唐破風」が、最上階には「華頭窓」を持つ個性的な姿でした。 

 

「南蛮造り」の「天守」のイラスト(城内に掲出)

 

最近まで「天守台」の上にあった神社が他所へ移され、発掘調査と修復工事が完了したことから、将来的には天守の復元が期待され、城内にも復元の様子のイラストが掲出されていました。

 

「天守台」(本丸跡側から見た所)

「天守台」地下入口

「天守台」地下の礎石

「天守台」の周囲(1階部分)

 

「天守台」からの眺めは良く、北は「内濠」から「水門」跡と海を望め、南東には大きな「艮櫓」が間近に見えます。

 

また、「三の丸」跡手前の隅部は、角石垣の角度を75度から80度の鋭角になっているのが解りますが、これは、石垣の地盤が弱い部分の補強策として導入されているそうです。

 

「天守台」から望む「水門」方向

「天守台」から望む瀬戸内海

「天守台」から望む「艮櫓」(重文)方向

「天守台」から望む三の丸南西隅の鋭角な石垣隅」

三の丸南西隅の鋭角(75~80度)な石垣隅」

 

「二の丸」跡にある「正門」(黒鉄門)を出て、午前中に高松に到着した時に少し散策した北側(海側)へ再度廻りました。今度は、「香川県県民ホール(レクザムホール)」の下に残っていると紹介されていた「東の丸石垣」を見る為にです。

 

その途中、「月見(着見)櫓」の斜め北側の海岸近くに建つ「報時鐘」を見ました。これは、城内の外堀土手に建てられて時を城下に告げていた「時鐘櫓」が、その後各所へ移転後、昭和58年にこの埋立地へ移築されたものだそうです。

 

「報時鐘」(「時鐘櫓」を移築)

 

「月見(着見)櫓」と対で海上監視をしていたという「鹿櫓」の大きな櫓台に続いて、「県民ホール」の建物の下を潜るような形で石垣が延び、その先には、「太鼓櫓台」跡の上に移築された「艮櫓」台が、これまた大きなサイズでドカッと居座っています。更に、この延長で今度は南側に向けて長い石垣が延びていました。

 

「鹿櫓」台

「東の丸」石垣

「東の丸」石垣(「県民ホール」下を潜るような形で延びる)

「艮櫓」台(この上の建物は、現在「太鼓櫓」台へ移築)

「艮櫓」台

「艮櫓」台から南側へも石垣が延びる

「艮櫓」台から続いてきた石垣

 

ホールの南側の敷地には「香川県立ミュージアム」が建ちます。その正面は、水を使ったアートを表現していますが、それに組み込まれた壁面には、既に遺構として残されていた石垣の上に復元された石垣を積み増して、綺麗に設えがされていました。

 

「香川県立ミュージアム」1階前の現存石垣と復元石垣

 「香川県立ミュージアム」1階前の現存石垣と復元石垣(横筋から下が現存石垣)

「新曲輪(北の丸)」跡から「三の丸」跡への門跡

 

「ミュージアム」東側の「東の丸」跡や、「西の丸」「外曲輪」は住宅地や市街地となっていました。

 

「東の丸」跡

「東の丸」跡(「旭橋」から県民ホール、県立ミュージアム方向)

 

以上を持ちまして、「高松城」の「お城紀行」を終了します。非常に「高松城」は情報量が多いので、3編(前編、中編、後篇)に分けて投稿しまして一気通貫で読んでいただけませんでしたことをお詫びいたします。

 

さて、この後は「高松城」の「出城」的な役割もあり、また「城主(藩主)」の別邸的な役割も持っていた「栗林公園」へ移動いたします。

 

 

 

 

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