伊予国から次の国へ向かうのに、前を素通りするのも気が引ける(?)ので、二度目の攻城になりますが、ちょっと乱入しました。
愛媛県松山市道後公園
伊予・湯築城(ゆづきじょう) 別名:湯月城
湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期(14世紀前半〜16世紀末)まで、約250年間にわたって居城としていました。豊臣秀吉による四国征伐の後は小早川隆景や福島正則が城主となりますが、正則が国分山城に居城を移した際に廃城となります。現在は城址全体が県立道後公園となり整備されています。
地形を利用して作られた二重の堀と土塁を備え、城内に居住区を設け、中央に丘陵があるいたってシンプルな平山城です。
日ノ本最古の温泉といわれる道後温泉のすぐ近くにあります。ということは城主は温泉入り放題やったに違いない。それもタダで。
大規模な松山城の後なので見劣りしますが、一晩置いたので松山城の興奮と疲労が少しは和らいだ・・・つもり。それより、湯築城の後で松山城へ行くと湯築城の記憶が消えてしまうような感じでした。んなことないやろ~!
国の史跡にも指定され、水堀と土塁が印象的な城です。これは西側の公園正面入口ですが、こちらは搦手のようです。大手側は東になります。
公園(城跡)入口は重圧で見事な土塁も現存となってるが、見事すぎる感じもするけど実際どうなんやろ? 石列もあるけどどうなんやろ?
ちゃんと資料館があるんですが、朝早かったので扉は固く閉ざされていた。よぅしゃべるおっちゃんには出会えなかった。
復元された武家屋敷もありますが、朝早かったので扉は固く閉ざされていた。
居住区の外側の土塁。
居住区の内側の土塁。居住区から土塁を挟み内堀があって本壇があります。
土塁と内堀。木が茂ってる方が本壇。
居住区から見る本壇。居住区には排水溝完備。
本壇へは登らず。
足早に攻城し、早々と退散。
路面電車(通称・チンチン電車)が走っていた。坊ちゃん列車ではなかった。路面電車も進化するんやね~ モハ5000形超低床単車というらしい。
モハ2000形高床単車。高床と超低床のツーショット。座席の位置がぜんぜんちゃうんやね~
坊ちゃん列車は見れなかった。
伊予国にて捕らえた登城記念符。松山城の朱印は加藤嘉明の蛇の目(清正の蛇の目よりも輪が太い)、蒲生家は対い鶴が有名ですが、朱印は三頭右巴を使用。松平家の梅鉢、それと三つ葉葵ね。
今治城は藤堂蔦(とうどうづた)。久松松平氏の梅鉢。
湯築城は資料館がまだ開いておらず捕らえることできず。
伊予国から撤退
20/08/14