こんばんは(^^)o
まだまだ蒸し暑い日がつづきますが、おかげさまで 50回目を迎えた《詩文集》です。
セミ・チェント記念は、ヘッセ詩の朗読をお届けします。↓あとのほうには、ヘルマン・ヘッセ本人の朗読テープもあります。
ともかく、まずは視聴してください。意味はぜんぜん解らなくてかまいません。画像を見ながら、原詩のひびきを聴いていると、なんとなく意味が伝わってくるのが感じられるはず。。。 ほんの2分間です。さぁ、とにかくトライ!!
ヘッセ「秋のはじめ」(朗読)
秋のはじめ
秋の発散する真白な霧:
いつまでも夏ってわけにはいかないんだ!
暮れどきがランプの光でわたしを誘惑する
寒いからはやく家にお入りと。
やがてからっぽになって立つ樹々と庭
野生のワインが家のまわりをしばらくは
照らしだし、それもやがては消えてしまう
いつまでも夏ってわけにはいかないんだ。
まだ若かったころ私を歓喜させたもの
そこにかつての楽しげなかがやきは
いまは無く、わたしを歓喜させることもない――
いつまでも夏ってわけにはいかないんだ。
おお愛よ、不可思議な光よ、それは
何年もの歓びと労苦とをつらぬいて
いつもわたしの血液の中に燃えていた――
おお愛よ、おまえも消えてしまうことがあるのか?
↑ギトンの翻訳を読んで、‥あれっ? さっき耳で聞いたのとフンイキがちがうゾ! と思った方が、もし居たら、それはあなたの耳が良いせいですw ホンヤクなんて、しょせんは不完全なマネゴトにすぎません‥‥
つぎは、ヘルマン・ヘッセ本人の朗読テープを聴いてみたいと思います。
職業的な朗読者とは異なって、途中で声がかすれたり上ずったりしますが、それも含めて詩そのものなのです。
やはり、先に朗読を聴いてもらおうと思います。先に日本語訳を読むと、なにかとてつもない悲観的な内容に思えてしまうでしょう。それは誤解なのです。作者自身の声を聞いて、誤解だということを知ってほしいと思います。
翻訳のあとに解説を付けて、千万言をついやして理屈でわかってもらおうとしても、はたして通じるかどうか、心もとない気がします。それよりも、ことばの音とリズムと、そこに広がる世界に没入してもらうことによって、作者の言いたいことを感得してほしいのです。
あらかじめ、ひとことだけヒントを述べさせてもらえば、‥‥霧の中で“だれもがひとりだ”ということは、歩いている人がひとりしかいないことを意味しません。
ヘッセ「霧のなかで」(作者朗読)
この詩の訳は、すでに一度出しましたが、あらためて訳し直しました。すこしは、訳文がわかりやすくなったでしょうか?
霧のなかで
ふしぎな心地だ、霧のなかを歩くのは!
どの繁みも、どの石も孤独のなかに沈む
樹々たちは互いのすがたを見ようとしない
だれもがひとりなのだ。
わたしの人生がまだ明るかったとき
わたしの世界は友達でいっぱいだった
霧のとばりがおりてしまったいまは
もうだれのすがたも見えなくなった。
じつに、闇を知ることのない者は
賢き者とはなりえない
逃れがたく、また音もなく
ひとを他の皆から切り離すその闇を。
ふしぎな心地だ、霧のなかを歩くのは!
生きるとは孤独であることにほかならぬ
ひとはみな己れ以外の者を知りはしない
だれもがひとりなのだ。
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