カナレット「ヴェネツィア サン・マルコ広場」
(Wikimedia Commons)
サン・マルコ小広場
まるで、緑のじゅうたんの上に古金の
秘蔵のコインがきらきらと転がり出るように、
緑のさざ波がしずかに流れ
たくさんの黄金(きん)色の焔を上げる;潮に押し出され、外海でゆらゆらと揺れる
すみれ色の宵口(よいくち)の明かり
その真中には、王侯の印璽(いんじ)のように
黄金(きん)色の巨大な球体がくっきりと影を映している。
近くの島々では教会の破風の連なりが
険しいシルエットになって青黒くそそり立ち、
その向こうにはもう――人は感じるが眼には見ない――
三日月のおぼつかぬ銀のかがやき。
サン・マルコ広場から迷い出た、くぐもった楽の音(ね)が
風とたたかいながら渡って来る
はっきりした拍子を響かせたかと思うと
すぐにまた波のたたく音に消されてしまう
波はくりかえしゴンドラの着く階段を鳴らし
ときどき泡を吹いては最上段に湧きあがる。
わたしの心を圧していた苦々しい想いは
はるか遠く、夢と唄のなかにさらわれた
わたしが抱えこんできた困苦のわずらいは
美しい夜に尾をひいて消える。
無事息災の甘い感情が媚びるように
擦り寄ってくる;渇望の思いはしりぞき
流れる雲のようにふんわりと、
澄んだ音色、夢と唄のなかに消えてしまう。
この美しい刻(とき)にやすやすと屈した獲物、
わたしは今日という純な一日のふところに取りこまれてしまう。
↑「緑のじゅうたん」と言うから、芝生があるのかと思ったら、ここは、海に面した石畳の「広場」なんですね(↓写真参照)。海面を夕陽が赤く染めるなかで、濃色の波の翳が、補色の深緑色に見えているんです。
ヴェネツィア サン・マルコ寺院の鐘楼から
海(ラグーン)を望む
ヴェネツィア サン・マルコ小広場
昔、海岸の2つの円柱の間に死刑台が置かれ
たので、地元の人は柱の間を通りぬけない。
ヴェネツィアには行ったことがないので、この詩を読むためにずいぶん調べました‥。そもそも、詩には「ヴェネツィア」ともイタリアとも書いてない!! でも、ドイツ人はこの町が好きで、よく知ってるんでしょうねw 海の岸壁やら、島の寺院やら、「ゴンドラ」と書いてあれば、誰でもすぐにヴェネツィアだとわかるんでしょう。
じつは、タイトルも、原文はただの「小広場(ピアッツェッタ)」なんです。これも、調べてようやく、「サン・マルコ広場」に付属する「小広場」のことだと、わかりました。
もちろん、ヴェネツィアには、広場も小広場も、たくさんあります。でも、それらはみな、方言で呼ばれるそうです。標準イタリア語で「ピアッツァ」「ピアッツェッタ」と呼ばれるのは、市の中心にある・この「サン・マルコ」だけなんだそうです。
こんなことは、一度でも観光に訪れていれば、わかることなんでしょうね。だから、ドイツ人はみんな知ってるんでしょう。
↓平面図を見ると、場所の状況がよくわかります。正面に「サンマルコ寺院」があって、その前の四角い空き地が「サン・マルコ広場」。「小広場」は、寺院の手前から右のほうへ続いていて、その先は海(潟湖 ラグーン)です。
同じ方向で見ているのが、↑いちばん上の絵画です。
ところで、いちばん上の絵画、遠近法の見本のような壮大な絵ですが、じつは、この「サン・マルコ広場」じたいが、遠近法を利用した“だまし絵”なんですねw
上の地図を見ると、「サン・マルコ広場」は、じつは長方形ではなくて、サン・マルコ寺院に向って広がっていく台形になっています。ところが、絵を見ても、↓写真を見ても、長方形の広場に見える! 人間の目の錯覚なんです。しかも、左右の建物に柱廊がズラ~ッと並んでいるので、実際よりも奥行きが深く見えます。サン・マルコ寺院は、じっさいよりも大きく、鐘楼は、じっさいよりも高く見えることになります。
こういうしくみは、私たちの古い建物にはあまりありませんね。せいぜい、法隆寺のエンタシス(中ぶくれの柱)くらいです。あれは、屋根を高く見せるために、中ぶくれにしてるんです。これも、遠近法による錯視の応用です。
むしろ、薬師寺の塔のてっぺんにある天人像みたいに、地上の人間にはまったく見えないような場所に、精巧を尽くした彫刻を設けたりします。私たちの古くからの文化は、「見えること」「見せること」よりも、「有ること」を大切にしてきたんですね。これは、よく覚えておきたいことです。
今夜は音楽も、サン・マルコ寺院の楽長を務めたモンテヴェルディのオペラを聴いてみたいと思います。
モンテヴェルディは、バロック初期の 16世紀後半~17世紀、イタリア北部のマントヴァからヴェネツィアに出て活躍した音楽家で、近代オペラの創始者として知られています。モンテヴェルディのオペラのなかでも、その最初の作品『オルフェオ(l'Orfeo)』を取り上げましょう。つまり、これこそオペラの“第1号”というわけです。
【あらすじ】
ギリシャ神話の琴の名手オルフェウス(オルフェオ)が弾く琴の音は、どんな猛獣もおとなしくさせてしまうのだった。死んだ妻エウリディケーをあきらめきれないオルフェウスは、冥界から連れ戻そうとして、生きた人間は入って行けないとされる冥界へ下ってゆく。渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスも、琴のしらべを聴くと、オルフェウスの言いなりになった。冥王もオルフェウスの演奏に魅了されて、エウリディケーを連れ帰ることを許すが、「冥界から出るまでは、おまえが妻の前を歩き、決して後ろを振り返ってはならない。」と命ずる。ところが、オルフェウスは、冥界の出口の直前で後ろを振り返って妻を見てしまい、そのとたん、エウリディケーは永遠に消えてしまう。
故郷トラキアの森に戻ったオルフェウスは、死者への嘆きを歌う。オルフェウスの父アポロンが天から降りて来て、地上では、いかなるものも変化生滅をまぬかれないのだ、と諭す。そして、永遠を望むならば、私と天に昇って、エウリディケーにもまさる太陽と星々とともに生きよと奨める。オルフェウスは、ニンフと牧童たちが讃えるなか、アポロンとともに昇天する。(Wikipedia独語版から要約)
“三途(さんず)の川”があったり、“黄泉比良坂(よもつひらさか)”で後ろを振り返るとか、日本の神話や仏教と似ていますね。
エウリディケーの救出に失敗するところまでは、もとのギリシャ神話と同じですが、アポロンと昇天する最後の場面は、イタリアの台本作者の付け足しです。
モンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から
「トッカータ」「リトルネッロ」
「恋人よ、私にお許しを」
ジョルディ・サヴァル/指揮
コンセール・デ・ナシオン
バルセロナ、リセウ大劇場
↑『オルフェオ』のはじめの部分です。楽器を全部、当時の古楽器にするだけじゃ気がすまない。服装も、指揮の手ぶりも、何もかも 17世紀風にしないとおさまらないんですねえ。。。 演奏というより、楽団席がほとんど復元劇です。
チェザーレ・ジェンナリ「オルフェオ」
(Wikimedia Commons)
英語版ウィキペディアを見ると、『オルフェオ』の台本にある配役(歌手)は、みんな男なんですね。ソプラノとアルトは、カストラート(去勢歌手)が指定されています。歌舞伎の女形みたいなもんかな? 中世にはヨーロッパでも、女の俳優が禁止されていたんでしょうか。
現在のモンテヴェルディの上演では、ソプラノとアルトは、女性歌手が歌っていますが、古いのの復元にこだわった舞台では、カウンターテナーの男性が歌います。(カウンターテナーは、歌唱法でして、カストラート(去勢男性)とは違います。ゲイともトランスとも関係ありません。詳しくはこちらの記事を➡➡【ギトンの秘密部屋】声とはどんなものかしら?)
↓ジャルスキーは、ルーマニア出身のカウンターテナーで、現在活動しているカウンターテナーのなかでは、たぶんいちばんよく知られた人です。
モンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から
「そよ風はまた来る(Zefiro torna)」
フィリップ・ジャルスキー/カウンターテナー
ラルペッジャータ・アンサンブル
モンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から
「あなたはいかがわしい森を思い出すかもしれない(Vi Ricorda, ò bosch'ombrosi)」
オルフェオのアリア
ヴァレル・バルナ=サバドゥス/カウンターテナー
ペラ・アンサンブル
モンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から
「ニンフの合唱」「リトルネッロ」
ジョルディ・サヴァル/指揮
コンセール・デ・ナシオン
バルセロナ、リセウ大劇場
フィエーゾレから望むフィレンツェの市街
右の丸屋根は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母寺)
きょう2つめのヘッセの詩↓「フィエーゾレ」は、フィレンツェ近郊の丘の上にある村。ここには、ルネサンス時代から、フィレンツェの貴族たちが、避暑のための別荘を建てていました。ボッカチオの『デカメロン』で、疫病を避けて疎開した男女が、暇つぶしの与太話を語り合った場所は、この辺なのかもしれません。
ここからは、フィレンツェの町と歴史的建造物がよく見えるのですが、ヘッセの関心は、地上の風景にはないようですね。
フィエーゾレ
頭の上の青空で
旅する雲が故郷(ふるさと)へといざなう。
ふるさとへ、呼ぶべき名もない遠い場所、
平安と星辰のはるかな国へ。
ふるさとよ! おまえの青く美しい
岸を、わたしは見ることがないのだろうか?
そんなことはない、この南の土地に来れば
おまえの岸辺は近いはず、きっと手が届くにちがいない。
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