ヘリット・ベルクヘイデ「ケルン近郊ライン河の風景」1654-98
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【必読書150】デカルト『方法序説』(1)―――
―――“破壊しつくしてから建設する”
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、良識なら十分身にそなわっていると、だれもが思っている……正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれるものだが、そうした能力は、すべての人に生まれつき平等に具わっているのだ。」
『方法序説』の巻頭におかれているのは、このような
“万人に平等の理性”という高らかなマニフェストだ。
しかし、「それだから誰でもが、正しい考えに達する」とは
デカルトには言えなかった。人びとの考えは、
国ごと地方ごと身分によっても信ずる宗教によっても異なる
さまざまな習慣や前例にとらわれていて、デカルト自身、
何が習俗にとらわれた偏見で、何が理性に基く「真」なる見解か
見わけることさえ容易でなかったからだ。
学校の全課程を終え、「教師たちへの従属から解放されるとすぐに」
デカルトは書物による学問を完全に放棄して旅に出た。
「私自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに
見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心した」からだ。
そしてある日、疑わしい知識はすべて投げ捨ててしまおうと心に決める:
「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、
どんなことも真として受け入れないこと」
『方法序説』を最初に、何の用意もなく読み始めた
中学生の私が躓いたのは、この箇所だった。
しかし、躓くことができたのは幸いだった。もし、倫理社会の
教師か誰かの解説を聞いてから読みはじめたとしたら
何も考えないで素通りしてしまっただろうから。
↑この文句によってデカルトが言おうとしているのは、
真理は、たんなる情報でも知識でもない、
真理は知るものではなく、馴れるもの、
習練のすえに、それを受け入れるか否かが
決まるものだということなのだ。