台湾人の元日本兵、「日本人として死にたい」。戦後日本人はここまで冷酷になってしもたんか?

走る小


 台湾は親日と言われていますね。じっさい、東日本大震災のときにはものごっつい義捐金を送ってくれはりましたね。韓国みたいに有りもせんかった「従軍慰安婦がー」とか、「中国」みたいに勝手に話をつくった「南京大虐殺がー」とわめくような、恩を仇で返すようなアホなことはしませんね。「中国」はともかく、韓国は台湾と同じく日本やったのに、ですね。やっぱり台湾の人たちとは人種が違うな。

 ところが、そんな台湾の元日本兵が、日本政府を相手取って戦後賠償を要求する裁判を起こす、と聞いたらびっくりしますよね。この話は、私が入れて貰うてるメーリングリストの情報で知りました。「台湾籍旧日本兵の戦後補償と台湾籍日本人の国籍復帰を支援する会」という団体が設立され、裁判を起こす「予定」やそうです。ええー、ついに台湾も、あのうっとしい韓国、「中国」と一緒になってしもたんか、と一瞬思いましたが、話は全然ちがいました!

 先の大戦では、21万人あまりの台湾人が日本軍の兵士・軍属として戦争に参加し、厚生省の調査ではその内の3万1000人が戦死し、戦傷者はおびただしい数にのぼったんやそうです。ところが、戦死者の遺族と戦傷者のほとんどは、今日にいたるまで一文の弔慰金も、遺族扶助料も傷痍年金も、支給を受けていないんやそうです。これが「台湾人日本兵戦後補償問題」と言われている問題なんやそうです。

 台湾は第二次世界大戦後、国共内戦(蒋介石の国民党と毛沢東の中国共産党との内戦)を経て、国民党の蒋介石が逃げ込んできたわけですね。それに付いて来た人たちのことを、もともと台湾に住んでた人たちは、「外省人」と呼んでいますね。このことを台湾人は「戦後、犬が去り、豚がやって来た」と言うんやそうです。まあ犬と言うのは日本人、豚はその外省人のことですが、何となくわかりますね。

 昭和27(1952)年に一応日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約では、蒋介石の中華民国は締約国には入らず、別途、日華平和条約が結ばれました。その瞬間に元台湾人は日本国籍を失ったとみなされたんやそうです。しかも昭和57(1972)年には日本は、台湾(中華民国)を捨てて、中華人民共和国と国交を「回復」したわけですね。

 <日本がこれまで台湾人日本兵の問題を放置してきたことの背後には、中国の影がある。中国は「1つの中国」のスローガンのもと、台湾人は中国の人民であるとし、日本が台湾人日本兵の関係者に戦後補償することを許さなかった。>ということなんやそうです。日本は日本で、毛沢東の「中国」に気を遣うてたわけですね。昭和62年には「戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律」をつくったものの、「有効に機能しなかった」んやそうです。

 そういえば最近、無茶苦茶してる韓国はどうやったかと言うと、もうだいぶ有名になりましたが、昭和40(1965)年の「日韓請求権協定」で、「完全かつ最終的に」解決されてるわけですね。当時の朴正煕大統領に、日本は賠償金を個人にも払う、と言うたのに、いや、まとめて国に対して払うてくれ、と言われたもんやから、ちゃんと人数分を計算して、全部払うたわけですね。ニセ「徴用工」、文句あるんやったら自分の国に言うて、自分の国からもらえ、と言う話ですね。

 そして国交を回復した「中国」に対して日本は、ものごっつい規模の経済援助をしたし、満州にあった当時世界一のインフラ設備は全部差し上げたわけやから、もうお釣りを貰うてもええくらいのことをしてきたわけですね。改めて、日本人は台湾に対しては、ずっと冷たい仕打ちをしてきたんやなあ、と思いますね。

 最初に書いた支援する会の略称は「台湾籍日本人支援の会」と言い、徳永信一さんという弁護士さんが支援のメンバーにいてはるそうです。その話は今年の3月に、ニッポン放送でジャーナリストの須田慎一郎さんとの対談の形で放送されていました(「弁護士徳永信一 「靖国神社参拝問題」や「台湾人日本兵戦後補償請求訴訟」を語る!」)。話は少しずつ広がっているようですね。せやけど実は、もう時間がないんやそうです。

 何と、裁判の原告になる人たちは、もう95~96才なんやそうです。このラジオでの対談の一部書き起こしは、コメント欄に貼らせていただきます。
 <今まで日本兵として立派に戦ったって言うことを自分のプライドとして誇りとして生きてきた。だから今でも自分たちは日本人なんだと。>
 <自分たちはもう95 96歳だけど日本人として死にたいんだと言われているんです。>

 「日本人として死にたい」。もう涙しか出てきませんね。今、ものごっつい勢いで世界が変わっています。米中戦争ですね。今、このタイミングを、絶対にのがしたらあかんと思いますね。

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徳永信一さん、須田慎一郎さんの対談

徳永信一さんとジャーナリストの須田慎一郎さんとの対談の一部書き起こしをいかに貼り付けます。

弁護士 徳永信一さん「靖国神社参拝問題」や「台湾人日本兵戦後補償請求訴訟」を
語る!
ニッポン放送 文字起こし

今週のゲストは、弁護士の徳永信一さん。ご自身も関わられている「靖国神社参拝問
題」や「台湾人日本兵戦後補償請求訴訟」などについて大いに語っていただきまし
た。
「須田」とは、「オジキ」こと、ジャーナリスト須田慎一郎氏

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~
東島:徳永さんは1958年、昭和33年生まれ大阪府のご出身です。京都大学法学部を卒
業され、司法修習生を経て、1988年に弁護士登録。大阪弁護士会所属の弁護士でい
らっしゃいます。薬害エイズ事件、北朝鮮拉致問題などを積極的に担当されて2014年
には首相による靖国神社参拝が憲法違反であるという、いわゆる「靖国神社参拝訴
訟」では靖国神社を支援する代理人を務められました。
須田:色々と注目を集めている裁判・事件を扱ってきたということなんですけれど
も、まず伺いたいのは安倍総理の靖国神社参拝が憲法違反だということで訴訟を起こ
された際の法定代理人でしたが、これは何が問題だったのですか?
徳永:遡って、小泉さんが靖国神社に参拝された時のことを覚えていらっしゃいます
よね?小泉さんが参拝した後、日本全国で7箇所の裁判所に「政教分離に違反する=
憲法に違反するんだ」という裁判がおこされました。これは憲法20条の「政教分
離」に違反するから許されないぞと。しかも当時は珍しかったのですが原告たちをイ
ンターネットで募集して何百人も原告を集めて、
訴えました。その中に在日韓国人だけでなく、在韓韓国人や在中中国人の方々が「ア
ジアの人たちは怒っているんだぞ」ということで小泉さん・日本・靖国神社まで訴え
たという事件がありました。私は、当時は靖国神社も国も小泉さんもどの代理人も務
めていないんですよ。その裁判をやるときに彼らが言っていることは、「戦後の清算
もきちっとされていない中で日本の首相が靖国神社に参拝するということは絶対に許
されない!
しかも靖国神社には私たちの祖先の魂が強制連行されてきているんだ。」と言ってい
ました。傍聴に行かれた遺族の方々がそれを見て、靖国神社が好き放題にやられてい
るわけですよ。それに対して、当時の日本の裁判担当のお役人たちは積極的に反応し
なかったんですね。それで靖国神社を大切に思う人たちの補助参加というやり方を考
えて、
彼らの裁判の中に割って入ったということです。その裁判が小泉さん側の勝訴で終
わったんだけれでも、今度は安倍さんが靖国神社参拝をした後、また同じ人たちが大
阪と東京に同じような裁判を訴えたわけです。それで補助参加という形でまた裁判を
やってきたというということです。
須田:そうすると一連の訴訟の背景に中国共産党や中国政府の意向というか狙いを感
じることができるのですが、そのあたりはどうなのでしょうか?
徳永:そこについては流石の僕も慎重に言葉を選ばないといけないところなのです
が、前面に出ているのは常に韓国の人たちなんですよね。それから北朝鮮。そしてそ
の背後にやはり中国の影が見えるなというのはあって、その辺がスキッと見えたのが
この台湾人訴訟なんですよ。

〈中略〉

須田:今日のメインテーマでもあるのですが、台湾人の日本兵戦後補償請求訴訟とい
う訴訟が提起されていて、これは入り口のところではやはり台湾人日本兵に関して戦
後、賠償が行われていないからその補償を求めてという裁判ですよね?
徳永:もちろんそうですね。ただ、大事なことはその裁判はまだ起こしていなくて、
今その準備をしているということです。
須田:今、日本では徴用工の問題や従軍慰安婦の問題などを韓国とやっているわけで
すが、それに台湾の人たちも参加してきたという理解でいいわけですか?
徳永:それは全く違うんです!
違うんだと言うところがこの裁判のいち番大事なところなんです。ちょっと基本から
話してもいいですか?
須田:お願いします
徳永:沖縄の摩文仁の丘という慰霊をする所があるんですがご存知ですか?戦争の犠
牲者慰霊をするところ。
そこには、以前から韓国人が兵隊になって命を落とされた方々の碑が建っていたが、
台湾人の碑が無かった。 3年前に建立されました。台湾之塔と言います。その時か
らその台湾之塔へ台湾の元日本兵の方々が毎年6月の慰霊祭に集まるです。
ちょうど昨年、そこに李登輝さんの揮毫した碑ができたのです。それを機に台湾(や
日本の)議員の方々とかも集まりましてね。私もその慰霊祭にに行かしてもらった時
に、その中の元日本人の台湾日本兵の方々が居られ、歳は皆さん95~96歳ですよ。
自分たちは、日本人としてあの戦争を戦った。戦友たちが死んでいったし、自分たち
も少なくない人生捧げてきたけれども、今まで日本兵として立派に戦ったって言うこ
とを自分のプライドとして誇りとして生きてきた。だから今でも自分たちは日本人な
んだと。ところが戦争が終わったらいつの間にか勝手に日本の国籍がなくなってし
まった。
それとともに元日本兵であれば受けられるはずの恩給だとかあるいは亡くなった方に
対する遺族年金だとかそういった一切合切が突然なくなってしまった。とこう言うこ
れでいいのですかと。自分たちは日本人も日本のことも大好きだけれども、政府に対
してわだかまりがある。
どうして自分たちに対して戦ったことをご苦労様と言う一言、労ってもらえないの
か。自分たちはもう95~ 96歳だけど日本人として死にたいんだと言われているんで
す。この問題は、
その戦後補償と言われる彼らが日本兵として戦ったことに対する日本政府が約束して
いた給付これが今だに成されていないと言う問題について取り上げざるを得ないなっ
ていくに思ってたんです。しかし、これは過去にもそういう裁判があったことはあっ
たって事です。ご存知ですか?中村輝夫さんと言う名前は聞いたことないですか?
須田:ちょっと無いですね。
徳永:小野田少尉がルバング島、フィリピンのルバング島から生還した。それで最後
の日本兵と言うことで言われたけれども、実はこの8ヶ月後に同じ時期にフィリピン
のモロタイ島で日本兵が潜伏してたんだということがわかった。
その方(中村輝夫)が高砂族から志願して義勇隊となった中村輝夫さんです。その方
のことについては報道が非常に小さかったってことだけは今でも覚えてます。
その時は良く分からなかったけれど、日中友好条約ができて、これからの未来は日中
友好をどう図るかと中国にとっては、元日本兵というのは非常に煙たい存在なんです
よね。ほとんど報道されることなく知る人ぞ知ると言う話で、
そして彼は、日本に帰りたいって言うふうに言ったんだけれど台湾に戻って、台湾に
戻ったらそこにあったのは中国の国民党政府がそこにあって、日本との関係について
は厳しく、これも厄介者扱いされた。そして彼は、台湾に帰って僅か4年で日本に来
ると言う願いも叶わず亡くなられた。そのことで、
その当時台湾から日本へ相当の留学生も居た。だから(私は)京都大学だったんです
けど、京都大学にも沢山その台湾から来られていた学生の人たちがこの問題を取り上
げたりしてやってるんですけど、やはり学内の雰囲気も中国万歳なですよね。
毛沢東万歳をやっていた。そういう中でその台湾或は中華民国を支援するみたいな形
の側の人達は政治的にも非常に小さく見られていたと言うこともあって裁判は起こさ
れたんですけども負けているんです。今から振り返ってみると当時、台湾と中国とど
ちらを承認するかと言うことも含めて、この問題について手を出すと中国は非常に怒
るぞと、
中国の自国民に対することを勝手にするなだっていう話です。そのことについてアメ
リカは中国を怒らせるなというスタンスですからね。日本がやっぱりそこで自民党の
方々が大分動いていたってこともあるし、台湾人に対して補償しなければならないと
いう法律もあるんです。
法律も作ったし裁判もやったが結局何も進まないまま今に至っている。僕の記憶にあ
るのは一時、靖国の訴訟を小泉さんに対して起こされたときも台湾人の方々の依頼が
あったで台湾に行きました。その時に目にしたのは台湾の人々がデモをしているんで
す。何を求めてデモをしているのかと聞いたら、
日本政府から200万円の見舞金を支払うと言う話になった。当時自民党の野中さん達
が動いたといことを僕は承知しているけれど、台湾の日本兵に対しても同じ金額を渡
そうと言うこと。今から考えればアリバイになると考えたでしょうね。ところが台湾
の日本兵達の多くの思いは、
自分達が日本兵だった事に対して労いの意味で出してくれるんだったら金額の如何を
受け取りたいと。だけれど、何が何だかよく判らないで、しかも慰安婦と同じ金額と
言う政治的配慮をする、そんな事はいやだ嫌だって言う、そういうデモでしたね。そ
の時にその問題が解決されずにあることに気がついたんだけれども、
で、今なぜその問題を裁判として取り上げるのかと言うことなんですけれどもこれは
ね、正にこの戦争問題の戦後補償の問題について、今多くの国民が関心を持っている
というか、ある意味常識的に知ったことがあるんです。
いわゆる徴用工判決に対して、或いは慰安婦の問題を出発点として韓国と日本との間
のこの戦後補償の問題についてまだ、未解決じゃないかと言う意義申し立てが向こう
(韓国)の方から来たわけですよね。
それは、とんでもないじゃないかと韓国との間では日韓基本条約や請求権協定を結ん
で、その問題(個人補償)については韓国の方で解決してくださいと。自分達の方で
解決するからお金を下さいっていうふうに言ったから、
基本的には個人個人に支払わなければならないと言うスタンスでいたんだけれども、
向こうの方からそういう風な形で来たんだから、じゃあ後は宜しくねと言う形で完全
にこの問題と解決を見た。にも拘わらず、今になってそのようなことを言い出すのは
おかしいじゃないかって言うことで、日本人の多くの方々も、日本政府はちゃんと
やっているのに韓国政府は、
自分達の責任を果たさないままに最高裁判決が出たからと言ってほったらかしにして
いる。条約違反じゃないかということで今問題になっている。多くの日本人も、いや
韓国に対してはきちんとやることをやったんだってことを皆知るようなりました。そ
れとの関係なのですけども、
台湾人との関係では日本政府は何もやっていないんです。
須田:やるべきことをやってない。
徳永:やるべきことをやっていない。中村さんという昔の台湾兵が来られて日本に来
たときにその時の首相とかが、これについては必ずやります、当たり前のことですと
言ったにも関わらず、未だに何もなされていないと言う状態がついている。今までい
ろんな人にこの問題について話をして意見を聞きました。
誰一人それはおかしいって言う人はいないんです。みんなその台湾人に対して補償さ
れてないんだって言って、それでよいという日本人はいない。日本人として戦って人
生を捧げた人に対して、日本人と同じ処遇をすべきなんだと、日本人の常識に照らし
合わせて当たり前だと思うんです。
それを阻害している政治的な要素だとかそういったものについて今まさに整理できる
状況が新たに出てきた。台湾と日本との間にある非常にその近しいけれどもそこにあ
るわだかまり。ここを解決すること、
そのためにその日本人が動いてるんだと言う姿を見せる事だけでも台湾との絆を取り
戻してこれからの未来につなげていくことができるんじゃないかと私たち自身の問題
次第なんだと言う思いでこの問題に取り組んでいるという事です。
須田:今日ずっと話を伺ってますと、いち番の根本的な原因って言ったらいいんです
が、何故そういった台湾人の或いは台湾の日本兵等の気持ちに我々が応えることが出
来なかったのか考えていたゆくと、政治の側が余りにも中国に配慮したと言って顔色
伺った、そういう土壌があったはずなんですよ。そうすると今これから訴訟を提起し
ようと言う中で今の政権と言うのは、私のこれは個人的感想なんだけども、
そういったその顔色を伺うと言うことに関してはほとんどそれをやらない、そこに対
してきちんと対峙していく、そのような政権だと私も思うんですね。これはこの訴訟
が、きちんと進んでいく土壌が今整っていると思いますか?
徳永:正にそのように思っているんです。ご指摘なった中国に対する配慮ってことな
んだけどもその背後には、更にアメリカがそれをしろと言うか、それをその枠組みを
壊したと言うことで日本政府に対して中国に対すして配慮しろと言うこれはアメリカ
の意向で会ったのだけれど、
現在、そのアメリカと中国との間の国際情勢の変異、大きく変わりました。それと中
国との関係で、中国はどうなっているのか、今の中国を日本から見てどうなんだと言
うことをストレートに言って、そしてそのことについて政治も言えるはずなんですよ
ね。言わなければならないはずなんですね。
しかもそのことによって今度またアメリカの方からいやいや中国様の顔色を伺いなさ
いって言われることそういう意味において今やっと来たその大きなチャンスで、しか
もそれは台湾人日本兵の人達が95歳~96歳だと言う事で照らすと最後のチャンスなん
です。その為にやれることをやろうじゃないかと。今、支援者の方々と一緒にやって
るとそういう状況です
須田:今日はお話を伺う前までは、台湾の方から韓国に似たような提起がなされるの
かと思って、ちょっと困ったなと思ったら違っている。その人達のお金じゃなくてプ
ライドって言ったらいいのか?矜持と言ったいいのか?
徳永:日本人として死にたいという気持ちだったら嬉しいじゃないですか。
須田:それを取り戻す戦い訴訟だと是非是非がんばって頂きたい。
徳永:有難うございます。
東島:初めて知ることが多かったから是非また色んなメディアで私たちを教えて下さ
い。宜しくお願いします。
本日のお客様は弁護士の徳永 信一 弁護士でした。ありがとうございました

2019/07/17 (Wed) 20:06

彩希  

台湾との繋がりの歴史は日本人は何も教えられて来なかったですね。そして東日本大震災の時に超大国アメリカと並ぶ莫大な義援金を頂いて台湾の方達が戦後からもずっと日本のことを思っていてくれたことを初めて知ることになりました。田中角栄が、あんなにも簡単に台湾との国交を断絶して中国を選んでしまったにも関わらず。日本は台湾の人達に恥ずかしいことをしました。台湾も朝鮮も日清戦争で支那に勝って割譲された国ですが、台湾はその翌年の1896年から統治を始めて50年間日本でしたが、朝鮮の方は保護国のままに置かれていました。何故、侵略したなどと言いがかりをつけられなければいけないのか。併合は1910年からで、しかも朝鮮から何度も嘆願されていたのに。清から独立させてやったから「大韓帝国」などと言うフザケタ国名をつけることが出来ていたのでした。帝国と言うのは植民地を所有していた国のことで、だから大英帝国で大日本帝国だったのです。

今も語り継がれる「台湾少年工」。

🔻使命感と向学心に燃えた「台湾少年工」 戦闘機製造に従事 20日に記念式典 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/smp/premium/news/181012/prm1810120003-s1.html

 「いまも懐かしさでいっぱいだ。10代に同じ釜のメシを食べた仲間との心のつながり、喜怒哀楽は何年たとうとも忘れられない」
 第二次世界大戦期の昭和18(1943)年、日本統治下にあった台湾から選抜された10代の少年が神奈川県に位置した「高座海軍工廠(こうしょう)」に集められ、今年で75年。終戦までの2年間で8400人以上の「台湾少年工」が戦闘機の製造に携わった。
 台北で生まれ、18歳で少年工になり、現在は元少年工の同窓組織「台湾高座会(こうざかい)」の総会長を務める92歳の李雪峰氏は日本語でこう話した。

年工(海軍軍属)顕彰碑」の除幕式も行われる。戦時中に父親が少年工の寄宿舎で舎監を務め、自身も少年工らと寝起きをともにしていた「高座日台交流の会」の石川公弘会長が、大会実行委員長の重責を果たす。

 子供のころ、台湾からの少年工たちを“兄貴分”と慕っていた石川氏は、「台湾少年工の戦時下における労苦と、戦後の台湾における知日団体としての働きに感謝する大会にしたい」という。ただ、「元気な方々も90歳前後になった。“第二の故郷”である『高座の地』で開催する大規模な歓迎大会としては、おそらく今回が最後になると思われる」と寂しげに話した。

 李雪峰氏が台北市内で少年工の仲間や友人たちと好んで集い、日本などからの来客と会うカフェが、松江路の「ゴールデンチャイナホテル(康華大飯店)」1階にある。
 李氏は目を輝かせて「台湾では当時、何万人もの10代の少年が向学心に燃えて少年工に応募したんだ」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話した。
 戦前の皇民化教育の影響もあっただろう。だが、李氏によれば、「勉強しながら働く『半読半工』で、給料や退職金に加え、上級学校の卒業資格が与えられる好条件にひかれた」。学校の推薦や保護者の承諾に加え、日本語や礼儀作法、体格など厳しいテストで高倍率を勝ち抜いた。小学校を出たばかりの、あどけない少年も少なくなかった。

 李氏は、「台湾では(日本の内地から来た)教師や警官の息子が生意気で、よくケンカした」と話す。
 当時は日本の版図に含まれ、日本の領土の一部であったはずの台湾。だが、台湾人は日本人の支配下にある、と勘違いした一部の人々による、差別的で心ない言動も少なくなかった。
 李氏らはそうした中でも少年工になって社会に認められ、生意気な連中に“一矢報いたい”とする思いもよぎったのではないか。
 一方で李氏は「神戸から汽車で名古屋、到着した神奈川などで日本人の本当の優しさを知ったんだ」と懐かしそうに打ち明けた。
 「おばさんたちが振る舞ってくれたおむすびや、お茶の味はいまでも忘れられないな。焼き芋をもらったり服のつぎはぎもしてくれたりした。休日には仲間と横浜の南京街に行って肉まんを買ったな」と李氏は少年の目をして話し続けた。

 とはいえ、戦時中のことだ。物資や食料が不足する中で、台湾という南国で育った身には神奈川の秋から冬にかけての寒さが身にしみる。戦闘機「雷電」を製造するため鉄板をハンマーで成型するなど、少年には辛い労働も待っていた。
 しかも、李氏は年長者で少年工のリーダー格だった。古参の工員らから執拗(しつよう)ないじめにあったことは、悔しい思い出だ。「米機の空襲で60人もの少年工が亡くなった」という。少年工たちも戦中の最前線にあって生命の危機に直面していた。
 それでも、台湾で選び抜かれて内地で任務についたという自負と、「1機でも多くの戦闘機を戦地に送り出さねばならない」と考える使命感が、少年工を突き動かしていたのだろう。

 昭和20年8月15日。台湾少年工も勝利を信じていた戦争は敗北。「半読半工」でめざした台湾少年工の向学心は夢と消えた。ただ、李氏はこのとき、敗戦のショック以上に「多数の少年工たちをどうやって台湾に安全に連れて帰るかが、まず頭にあった。とにかく冷静だった」と振り返った。
 台湾の出身地区ごとに組織を構築し、秩序を保って故郷をめざしたという。
 無事に台湾に戻った少年工たちも戦後、中国国民党政権の強権支配下で、日本軍に協力したなどと弾圧され、苦難が続いた。1987年まで38年間の戒厳令期に、正当な理由もなく投獄されたり銃殺されたりする元少年工がいた。「それでも厳しい時代を生き延びて、医師や企業家などとして成功するなど(元少年工から)人材が輩出した」と話す。

 李氏らは87年7月に戒厳令が解除されてすぐ、88年に元少年工の同窓組織、台湾高座会を立ち上げた。
 李氏らが「10代に同じ釜のメシを食べた仲間との心のつながり、喜怒哀楽」を戦後もずっと忘れられなかったことの証左だ。李氏はいわば台湾高座会を代表する形で2013年春の叙勲で、日本政府から旭日小綬章を受章した。伝達式で李氏は、「日本は私たちを忘れなかった」と述べた。
 75周年を祈念する10月20日の歓迎大会も、もちろん日本が台湾少年工、その家族や友人たちを決して忘れていないことの証左だ。
(台北 河崎真澄)

⚡韓国と台湾の「戦時中労働者」が抱く感情の違い
2017年9月29日 10:30

・・・・
一方、2013年5月9日のこと。約250人の『台湾高座会』を名乗る団体が、神奈川県座間、大和両市に来日した。太平洋戦争中、8400人以上の15歳前後の少年たちが台湾から日本にやってきて、学びながら現在の大和市内にあった『高座海軍工廠(海軍直属の軍需工場)』で軍用機製造に携わったのだが、その少年たちが80代になって再び来日したのだ。

■ 「日本へ行けるのは誇りでした」

当時の同工廠は座間と大和など数村にまたがる30万坪の用地に行員1万人を擁し、最新鋭の局地戦闘機『雷電』を生産していた。このうち8400人が台湾出身の少年工だったのである。

「2013年に彼らの初来日から70年を迎えるに当たっての記念式典が開催され、その行事に参加するための来日でした。同年4月に日本政府から旭日小綬章を受賞した台湾高座会会長の李雪峰さんは『わたしのクラスでは、受験者が三十数人も出て、そのうち合格したのはわずか3人でしたから競争率は10倍以上でした。日本へ行けるのは誇りでした』と、250人全員が日本にいまだに感謝の念を抱いていてくれたのです。韓国の旧徴用工やその遺族とは真逆な人々です」(台湾ウオッチャー)以下略

https://www.excite.co.jp/news/article/Myjitsu_031262/

2019/07/17 (Wed) 22:55

彩希  

⚡【吉報】日本政府、ICJ提訴へ本格検討 偽徴用工問題

政府、国際司法裁提訴へ本格検討

 日本政府は17日、韓国人元徴用工訴訟問題の打開を目指し、国際司法裁判所 (ICJ)への提訴に向けた準備を本格化させた。韓国に仲裁委員会の開催を 要請して18日が最終的な回答期限だったが、韓国側は16日に受け入れられない との考えを示しているためだ。以下略
https://jp.reuters.com/article/idJP2019071701002017

・ >ICJは、韓国側の同意がなければ審理が開かれない仕組み。日本側は、韓国が
>応じる可能性は低いと分析している
ということで経済制裁w

・韓国が応じなくてもよい
日本は国際社会に向けて韓国は逃げたと粛々説明すればよい

・当然韓国は逃げるだろうけど、世界中にアピールはしてね

・まあ粛々とやることやればいいのよね 。ICJ出てこないだろうけど。これでさらに世界からの目は厳しくなる。どうせあちこちで銅像立てて日本を嘘ついて避難するのが関の山だろ

・国同士の条約も守らず仲裁の話し合いも無視して ICJにも出てこないそんな国とまともに付き合う国があるかと。まあ北と末永くお幸せに

2019/07/18 (Thu) 08:28

きゅうり好き  

台湾でも日本人虐殺があったのにね

ご損じかと思いますが、些細な気持ちの行き違いから、現地の人の鬱憤が爆発して日本人132人と和装の台湾人2人が殺害された霧社事件という事件がありました。
この事件の発端などをみると、日本人巡査を結婚式に招きたいがために手を取ったが、宴会が不潔と日本人にステッキで叩かれたのが発端とあります。いったい誰が、心底嫌っている連中を結婚式に招きたいと思うでしょうか。現地の人と統治者の軋轢はいつか起こるものだったかもしれませんが、結婚式に招かれた巡査がもっと台湾の少数民族の風俗に理解があったなら起こらなかったと、この事件以後、日本側は台湾の少数民族への接し方を反省します。
いろいろな悲惨な事件があったけれど、日本を慕ってくれる台湾と、日本の統治を受けたくて仕方がなかったのに今では世界一の反日民族である朝鮮と人間の質が違うと思えてなりません。

2019/07/18 (Thu) 12:23

八丈島  

急がないといけませんね。もうご高齢だし。

2019/07/18 (Thu) 12:54

安仁屋正昭  

今度見捨てれば、日本人は恩知らずとなる

台湾出身の日本兵は、外地から帰還すると蒋介石率いる国民党が進駐して2・28事件やその後の白色テロで大東亜戦争に志願した軍人軍属らを処刑したり、投獄して拷問を加えたりしました。また、大陸の主権を奪還すために毛沢東軍との先頭に立てて戦わせもしました。 そして、共産党軍に追いつめられると、元日本兵を置き去りにして逃走しました。毛沢東軍に捕虜された彼らは、韓国動乱にも参戦させられました。
昭和47年日中国交が樹立されると台湾(中華民国)との国交を断絶。(米国は安全保障の為に台湾関係法をつくりました)
現在、習近平中国共産党は、武力でも台湾を併合すると明言しております。
日本の最も苦しかった時代に、一命を捧げる決断をされたこの老兵の皆さんに、
70数年間の薄情を詫び、日本人として迎え入れれば、護国の英霊がどれほど歓ばれ、安堵されるか分かりません。
沖縄からも応援致します

2019/07/18 (Thu) 21:02

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