多くの方と同じように、

私は息子をなくす前に

自死遺族なんて言葉は知りませんでした。

でも逆縁は知っていました。

私の姉はガンで、

その5年後に兄は自死でなくなりました。

その時、子どもをなくした両親、とくに母は、

その逆縁のサガに崩れ落ちていたのです。

兄弟をなくすというのは私には辛い経験でしたが、

それにもまして子どもをなくすなんてどんな過酷な仕打ちなんだろうと、

当時の私は両親を見ながら

二重に苦しい思いをしました。

そして今度はこの私が、

逆縁に立ち向かわなければならなくなりました。

 

逆縁は本来、

仏様を誹謗するような行いが転じて、

逆に、仏様との縁につながることを指していたそうです。

それが、「親が子を先に送る」意味にも使われるようになったようですね。

 

 

         ⒸD

 

 

逆縁の菩薩という言葉もあります。

自分にとって害をもたらすような人がいたとしても、

結果的にそれがきっかけで、成長したり飛躍できたりすることがある。

そんな本来自分の敵みたいな人が、逆縁の菩薩なんですって。

逆縁という言葉の本意が、

実際に起こったことに対して、何かの理由によって、

それが逆の方向へ事態が動いてゆくことなんですよね。

このところ制御不完全気味で凹んで、

どうにもならずジタバタしていた私でした。

でも逆縁の意味をあれこれ考えているうちに、

この言葉には、現状を覆してゆくべき真意が秘められているように思えてきました。

逆があれば順があるんで、

逆風が吹いても、いつかは順風も吹くわけでしょう。と。

それが人生なんじゃないか。って。

逆縁が巡ってきたのには理由があって、

その先にはしかるべき『シナリオのつづき』が待っているかも。って。

だから、凹んでばかりもいられなくなります。

子どもをなくした親は何を覚悟しなければならないかっていえば、

その『逆縁』を受け入れるということなんでしょうね。

ましてや、逆縁なんて世間一般的には少数派になるのだろうから、

『有難い』のですし。。。

だから、逆縁を有難いこととして、

心して生きていくぞと活入れ直します。

できればいいけど…