ブログという世界では、

限られた字数の中ですべてを表現するのは難しいことですね。

前の記事で逆縁の菩薩様について書きましたが、

なんだか私が虐待されていた母を

「神様」扱いしてるようなニュアンスがあったとしたら

それは 全くの誤表現でした。

スイマセン。

『逆縁の菩薩様』という言葉の響きは強いし、

実際 母を逆縁の菩薩とは認識していますが、

それは 日常の生活で彼女を拝み崇めているということではないデス。

私が母を逆縁の菩薩として捉えることは、

そこから引き出された結果に対しての話なんで、

何もスゴイとか、特別なことではないんデス。

それに、あくまで『逆縁の菩薩』なのであって、

菩薩ではありませんから。

ただ、その彼女を自宅に引き取るか否かというのは、

たしかに別の問題ではありました。

 

 

       ⒸD

 

 

そもそも、事の発端は兄の死でした。

自死で、顛末もドラマチックなものだったし、

私がすべてを取り仕切らなければならなくなったのですが、

事のショックが大きかった分、

初めて『痛みを分かち合う』関係が母と生まれたといえます。

以降は、その後始末も含めて、

夏を中心に何度も両親の家へ通いましたが、

だからといって、すべてが順調だったわけではありません。

その間にも、私の『古傷』が突然大出血することがあって、

心理士に毒出しをしてもらったこともありました。

(これが記憶の誤りで、5年ほど前のことでした。)

事実上、この時の毒出しで、

私の体が覚醒した感があります。

母の脅威というベールから

外へ踏み出せたという感じなんですかね。

それ以降も、母との関係は決して平らかではありませんでしたけど、

少なくても、兄の自死がなかったら、

彼女との係わりが変化することは先ずなかっただろうと断言できるのです。

 

 

ダイヤグリーン

 

 

それで、母との生活が始まったのですが、

毎日のように「死ぬ」だの「家出する」だの騒がれ、

私がモミクチャになってるような状況です。

「年老いた母親を介護する孝行娘」みたいな図柄とは

ほど遠いことだらけでアリます。

今日も「死にたい」とか騒ぎ出したので、

本気で怒ってしまいました。

「そんな事を言ってはいけない」

「私たちは、最後の日まで生き抜く使命があるんだよ」

もっと優しく諭せればよかったのにと後悔しても遅しです。

いくら生きても、『適度』ができないデス。

ダメダメです。

こんだけダラダラ書いて 何が言いたかったかといえば、

母と暮らしてますが 聖人君子みたいなことは全然できてません、

失敗だらけで、ドロドロです。

不完全の嵐デス。ってこと。

だから、凄くも何ともないってことを言いたくて。。。

 

ただ 3男が旅立って変わったことがあります。

たしかに絆が深まったと思います。

だから 兄にも息子にも後押しされて、

なんとかできているのだと思っているのです。